そして低迷期へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:48 UTC 版)
1989年はピケと中嶋のドライバーラインナップはそのままであったが、ホンダエンジンを失い、カスタマーエンジンのジャッドCV90°V8エンジンを搭載する101を投入する。当初は5バルブ、3カムシャフト(吸気2、排気1)のティックフォード製5バルブヘッドを搭載したスペシャルチューンエンジンを使用する予定だったが、開発が遅延してシーズン途中まで投入できなかった上に、パワーと信頼性に欠けるためフランスGPで使用されたのみで、他のレースではベーシックな4バルブヘッドのカスタマーエンジンを使用した。モナコGPとカナダGPでは中嶋が予選通過に失敗し、昨年はピケも中嶋も予選で4列目以内に並んだベルギーGPでは、ピケ、中嶋両者ともに予選落ちを喫した。1台も予選を通過できなかったのはチーム史上初めてのことであった。このような成績低迷もあり、シーズン途中でチーム社長が逮捕、さらにチーム監督のピーター・ウォーが解任され、ピケと中嶋もこの年限りでチームから離脱することを決めるなどのゴタゴタが相次いだ。最終戦オーストラリアGPでは中嶋が雨の中でファステストラップを記録し気を吐いたものの、2人ともシーズンを通じて表彰台へ上がる事は無かった。最高位は4位(ピケ3回、中嶋1回)。 1990年にはジャッドV8からランボルギーニV12にエンジンをスイッチしたマシン102がデビュー、ドライバーもデレック・ワーウィックとマーティン・ドネリーのイギリス人コンビへと変更したが、チームの成績は向上しなかった。メインスポンサーのキャメルが翌年からはウィリアムズ、ベネトンのメインスポンサーとなり、ロータスを離れる事をイタリアGPにて公表し、ランボルギーニが翌年のエンジン供給を行わないと決めたことや、スペインGPの予選中のクラッシュでドネリーが瀕死の重傷を負うなどの不運も重なり、チームは存続の危機に立つ。
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