発表 - 「D-ディ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 23:41 UTC 版)
「IBM PCjr」の記事における「発表 - 「D-ディ」」の解説
1983年11月1日、IBMはニューヨーク本社でPCjrを発表し、イベントの生中継を含む多数の記者が詰めかけた。Compute!誌は「パーソナルコンピュータの歴史の中で(明らかに短い歴史だが)、これほどまでに多くの人が熱心に待っていた製品はない」と記した。ワシントン・ポスト紙の専門家は「(PCjrは)すぐに他のホームコンピュータが測定される標準となるだろう」と予測した。 Colecoやコモドール、タンディなどの競合会社も、IBMの参入は混沌とした20億ドルのホームコンピュータ市場に「(IBMの)刻印によって大勢の心の中に会社が続く限りの品質、信頼性、保証というマインドを与える」ことで安定性と信用をもたらす事を望んだが、しかし18か月間の悲惨な価格競争に直面した。TIはコモドールに対抗してTI-99/4Aを99ドルの低価格で売却して9ヵ月間に2億2,300万ドルを失った後、IBMの発表の4日前に市場を離れた。PCjr用ソフトウェア開発は1982年に開始され、シエラオンライン等は彼らのソフトウェアを準備していたが、IBMの秘密保持契約を守った 。しかしIBMは、早期発表は競合他社に対するFUDとなる事を避けるために、クリスマス商戦の直前の発表としたが、製造の遅れが発生して時期を逸した。 ホームコンピュータのD-ディだ — タイム, 1983 PCjrは少なくとも3つの重要な資産を持っており、その文字は「I」「B」そして「M」 — The Wall Street Journal, 1984
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