発表から発売まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 09:49 UTC 版)
ラタン会長は、雑誌インタビューで、ナノの性能はようやくインド国内基準をクリアしたところだが、3 - 4年後にはナノを他国の基準に適合させて輸出したいと答えた。 だが、ナノの発表後、環境は大きく変化し、ナノが当初の期待に応えられるかは難しい状況に陥った。世界的な原材料価格の上昇は、ナノへの大きな不安要素となっている。例えば鋼材の値上がりは他の車も同様だが、ナノは高級な機能と装備を省き半導体などの使用量が少ない分、鋼材が価格に占める割合が他の車よりも高い。したがって、鋼材の値上がりが他の車より収益に響く構造となっている。そのため「車体価格を上げればナノの魅力がなくなるし、価格を維持すれば利益が圧迫される」ジレンマに陥ったという。 また、石油製品の値上がりは、消費者の負担感として影響を与えることが懸念されている。ナノは自動車としては燃費がよいが、オートバイ利用者の買い換えを主な購買層として想定しているため、燃費を比べられる相手はオートバイとなり、どうしても買い換えによって燃料費が増す。 生産拠点も問題となった。当初は西ベンガル州シングルに新工場の建設を予定していたが、工場用地をめぐって当時のインド共産党マルクス主義派州政権が強引な土地収用で全インド草の根会議派を中心とした地元農民による激しい抗議行動を受けたため建設を断念し、代わって当時のグジャラート州首相ナレンドラ・モディの誘いを受けて同州のサナンドに建設することとなったが、発売開始時期は大幅に遅れることとなった。しかし、サナンドの新工場も1年少々という異例のスピードで2010年6月に完成し、年産25万台体制を築けるようになった。 2009年3月23日、タタ・モーターズは正式にナノの発売を発表した。価格は当初の目標であった10万ルピーを若干上回る11万2735ルピー(約21万7000円)からとされた。また、サナンド新工場が稼動する2010年までは本社工場で対応せざるを得ないため、初期ロット分の10万台は予約による抽選販売とされた。 2009年7月17日、ナノの納車が開始された。最初の3台の顧客にはラタン会長自らがキーを手渡した。また、2010年前半に予定しているサナンド工場の操業開始後も、ウッタル・プラデーシュ州パンタナガル工場での生産が続けられることが発表されている。 2010年7月現在、累計出荷台数は5万4129台となっている。 2012年10月、タタ自社長がGMインドなどに在籍の実績のあったカール・スリムに交替。ナノ以降めぼしい新型車が投入されないなどの事情も考慮する必要があるが、ナノの売れ行き不振も原因の一つとなり同年後半よりタタ自は経営不振に陥り、同氏が再建を託される形となった。
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