生涯・来歴とは? わかりやすく解説

生涯・来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/18 01:57 UTC 版)

シャーンドル・ヴェーグ」の記事における「生涯・来歴」の解説

1912年5月17日オーストリア・ハンガリー帝国第2の都市コロジュヴァール現在のルーマニア・クルージュ=ナポカ)で出生6歳からピアノ学び始めた1924年リスト音楽院ブダペスト)に入学しヴァイオリンイェネー・フバイに、作曲コダーイ・ゾルターン学んだ1927年リヒャルト・シュトラウスの曲を作曲者自身指揮ソリストとして演奏してデビューした同年同音楽院からフバイ賞とレメーニ賞を獲得し1930年同音楽院を卒業その後ソリストとして活動する同時にハンガリー三重奏団を結成した1935年ハンガリー四重奏団を結成当初ヴェーグが第1ヴァイオリン務めていたが、2年後バルトーク親交のあったセーケイ・ゾルターン(ゾルターン・セーケイ)が同四重奏団に加入すると、セーケイが第1ヴァイオリン務めヴェーグは第2ヴァイオリンまわった。そしてヴェーグ在籍していた1936年ハンガリー四重奏団によるバルトーク弦楽四重奏曲第5番』の初演が行われた。 1940年ハンガリーに残るべく、オランダに活動拠点を移すこととなったハンガリー四重奏団を脱退リスト音楽院教授就任すると共に自身の名を冠したヴェーグ四重奏団を結成して活動開始1946年ヴェーグ四重奏団がジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位を獲得。だが暫くしてヴェーク自身と共に亡命のためハンガリーを去る。1970年代半ばまでヴェーグ四重奏団はコンサート活動続けヴェーグ自身ソリストとして活動していた。ヴェーグは、1953年フランス国籍を取得1952年ヴェーグは、チェロ奏者パブロ・カザルスから、カザルススイスツェルマット開講していたサマークラス(1953年 - 1962年)に招待され以後カザルス主催していたプラド音楽祭1953年 - 1969年)に毎年参加するようになったまた、バーゼル音楽院1953年 - 1969年)、フライブルク音楽院1954年 - 1962年)、デュッセルドルフ音楽院1962年 - 1969年)、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院1971年 - 1997年)において教鞭を執った。 1962年ヴェーグチェルヴォ国際室内楽音楽祭創設、また自らシャーンドル・ヴェーグ室内管弦楽団立ち上げ1968年から1971年までの音楽祭の期間中タクトを執った。更に1974年から1977年までは、マールボロ祝祭管弦楽団指揮していた。 1979年モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ指揮者となる。同楽団指揮してモーツァルトディヴェルティメント及びセレナーデ録音1989年のフランス・ディスク大賞受賞したヴェーグまた、レジオンドヌール勲章シュバリエ章(1986年)、イギリスウォーリック大学エクセター大学名誉職1987年)、ザルツブルク・ゴールドメダル(1987年)、大英帝国勲章コマンダー章(CBE1988年)をも授与されている。 1997年1月6日オーストリア・ザルツブルクほど近い、ドイツ・バイエルン州のフライラッシンクの病院没した

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生涯・来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 09:12 UTC 版)

ミヤコ蝶々」の記事における「生涯・来歴」の解説

1920年大正9年東京府東京市日本橋区小伝馬町現・東京都中央区日本橋小伝馬町生まれ鈴子0歳、兄が4歳のときに両親離婚し1924年大正13年)に父親兵庫県神戸市移住した。 父はデパート家具販売しながら神戸・元町小さな家具屋を営んだ。父は芸事が好きで新内節唄った寄席芸人招いては宴を楽しんでいた。 1927年昭和2年家具屋をたたみ、父親思いつき芝居一座結成し、娘を座長にさせた。九州炭坑町の小さな劇場安来節唄い初舞台を踏む。 その後あらゆる芸(漫才喜劇、女剣舞バレエ三味線など)を身に付ける。 1942年昭和17年)に吉本興業入り一座解散三遊亭柳枝結婚した終戦後柳枝劇団を旗揚げするが、柳枝浮気が元で離婚初代ミスワカナ死後一時期二代目ワカナ名乗る1947年弟子だった鈴夫(本名吉村朝治、のちの南都雄二)と再婚事実婚だったという)し、JR美章園駅近く大阪市東住吉区)のガード下部屋借り夫婦生活始める。 1948年昭和23年)に「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビ結成して、三重県津市曙座コンビ初舞台1949年昭和24年)から、秋田實誘いを受け、大阪ラジオ番組始めた。このとき上方トンボ改め南都雄二となる。が、初代ワカナ同じく当時芸能界蔓延していたヒロポン覚醒剤一種)に手を出し強度依存症となったが、治療のため入院するなどして克服1952年昭和27年)に、秋田實宝塚新芸座に参加し大阪道頓堀中座拠点活躍した民間ラジオ放送草創期人気番組漫才学校』『夫婦善哉』(いずれもABCラジオ)の司会などで知名度高めた。特に1955年昭和30年)に始まった夫婦善哉」はラジオからテレビへ20年長きわたって続く長寿番組となった雄二とは「おしどり夫婦」と思われていたが、内情雄二浮気癖で早くから家庭内不毛であったという。1958年昭和33年)の「離婚」後数年公にせず「夫婦善哉」の司会など"夫婦コンビ"としての活動続けたが、週刊誌等で話題になってきたことなどもあり、「夫婦善哉」の番組内離婚していたことを告白した離婚後ソロ女優として活動するようになった雄二とは公私共に付き合い続き1972年昭和47年)に雄二糖尿病悪化させ入院し翌年1973年昭和48年)に亡くなるまで一切面倒を見たのは蝶々だった(雄二が、蝶々別れた後に結婚した女性離婚していたことや、ほかに面倒を看る人がいなかったため)。 1974年昭和49年)に道頓堀中座1ヶ月公演実施脚本主演演出の3役をこなした大好評であったことからその後25年定期公演続けるという偉業なし遂げる。その他、名古屋などでも定期公演を行うなど舞台女優として大きくはばたく。 その一方でタレントとしても『2時のワイドショー』での辛口コメントなどで健在ぶりを発揮していた。 1971年第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞1984年昭和59年)に紫綬褒章を、1993年平成5年)に勲四等宝冠章受章1998年幸せのために…』05月21日発売昔から腎臓持病があり、晩年車椅子移動しないといけないほど体調悪化したが、舞台対す思い強く積極的に舞台上がったその様子は『NHKスペシャル』でも取り上げられ話題となった最後の舞台1999年平成11年10月15日の『じゅんさいはん』(中座)。特別ゲストとして登場し自身ホームグラウンド称していた中座閉館惜しんだ2000年平成12年3月テレビ出演したのが公式の場に出た最後となり、10月12日午後1時7分に慢性腎不全で、大阪市天王寺区NTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)で死去80歳没。墓所大阪市天王寺区大善寺没後地価約4億円といわれる大阪府箕面市自宅記念館として整備したいという義弟のひとりと売却主張する他の親族とで約8年わたって争い続いていたが、土地一部分割・売却決着改装経て2008年平成20年5月24日ミヤコ蝶々記念館オープンしたが、2018年6月10日にて入館者の減少による財政困難のため閉館した亡くなった後も関西地方では根強い人気があり、大阪府ひったくり予防キャンペーンCMにかつての映像登場するなど、親しまれている。

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生涯・来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 18:39 UTC 版)

南都雄二」の記事における「生涯・来歴」の解説

1941年大阪電機学校卒業戦後大阪中央郵便局電気係を経て三遊亭柳枝主宰柳枝劇団参加し照明部裏方をしていた。その後演者側に回り看板女優だったミヤコ蝶々弟子となり「鈴夫」と名乗る1947年柳枝離婚した蝶々結婚し1948年柳家三亀松改名提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビ結成。後に夢路いとし相談して南都雄二改名。(漢字があまり読め周りに「何という字?」とよく尋ねたことからついたと言われる。) 1952年秋田實小林一三宝塚新芸座に参加し夢路いとし・喜味こいし秋田Aスケ・Bスケ笑福亭松之助らと舞台俳優として活躍するその後、「漫才学校」「夫婦善哉」(いずれもABCラジオ)の司会などで「男前の雄さん」として人気者となる。 蝶々との夫婦仲芸名の由来などについては、ミヤコ蝶々の項を参照映画俳優として東映大映映画数多く出演した。特に勝新太郎主演の『悪名』や『兵隊やくざ』ではシリーズ出演している。「姉さん女房」の蝶々とのイメージからか、女の尻に敷かれ少々頼りないのような役どころ多かった夜遊び、夜の豪遊語り草になっており「キタ雄二南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、東西南北藤山寛美といわれるほどであった1973年持病糖尿病がもとで死去48歳ミヤコ蝶々南都雄二として、死後2006年第11回上方演芸殿堂入りしている。

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