1962年 - 1969年とは? わかりやすく解説

1962年 - 1969年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:20 UTC 版)

東海林修」の記事における「1962年 - 1969年」の解説

洋楽カバーポップス1962年中尾ミエの「可愛いベビー」(可愛いベイビー)の編曲手がけるその後中尾ミエ伊東ゆかり園まりナベプロ三人娘をはじめザ・ピーナッツ梓みちよ田辺靖雄鹿内タカシ内田裕也、ほりまさゆき紀本ヨシオなどによる洋楽カバーポップス作品多数編曲した。 「ウナ・セラ・ディ東京1963年リリースされザ・ピーナッツ東京たそがれ」(岩谷時子作詞/宮川泰作・編曲)はヒット気配がなく、再編曲を依頼される(ただし再編曲のものもそれほど変化がない)。1964年、この曲は東海林修格調高いアレンジ変わりタイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」として再発売された。このリメイク版大ヒットしてザ・ピーナッツ代表曲となり、『紅白歌合戦』では3度歌われた。 テレビ番組渡辺プロダクション制作番組、『ホイホイ・ミュージック・スクール』、『シャボン玉ホリデー』、『あなた出番です!』(以上日テレビ)や、ジャニーズ主演の『若さとリズム』(NHK)などの音楽担当。なお、『若さとリズム』の1エピソード「The Flying Ball」は、海外のモントルー・ゴールデンローズ国際テレビ祭に出品された(1966年)。ほかに主な作品として『名犬ロンドン』の主題歌田辺靖雄)、「ビバ・ラ・ビータ・トッポジージョ」(山崎唯)がある。 1964年ザ・ピーナッツ西ドイツのババリア・フィルム制作番組『スマイル・イン・ザ・ウエスト』にメイン・キャストとして出演する際に、音楽スタッフとして同行。この番組ユーロビジョン・ネットワーク通じて大晦日ヨーロッパ各国放送されたが、わずか75分の番組1ヶ月制作期間費やす熱の入れようであったその折に、欧州音楽界重鎮であるハインツ・キースリングに出会いオーケストレーション、ブラスアレンジほか多大な影響受けた渡辺プロダクション所属歌手等のために、多数楽曲ステージ編曲担当和装ヴァイオリニスト、高珠恵が事実上プロデュースエヴァー・グリーンの曲を石丸寛指揮により100人の弦奏者演奏する「ストリング・スペクタクラー」(1969年)には、編曲者として指名を受けアレンジするなど、ジャンル問わず活躍した

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