1962年 - 1969年
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「東海林修」の記事における「1962年 - 1969年」の解説
洋楽カバーポップス1962年、中尾ミエの「可愛いベビー」(可愛いベイビー)の編曲を手がける。その後、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりのナベプロ三人娘をはじめザ・ピーナッツ、梓みちよ、田辺靖雄、鹿内タカシ、内田裕也、ほりまさゆき、紀本ヨシオなどによる洋楽カバーポップス作品を多数編曲した。 「ウナ・セラ・ディ東京」1963年にリリースされたザ・ピーナッツ「東京たそがれ」(岩谷時子作詞/宮川泰作・編曲)はヒットの気配がなく、再編曲を依頼される(ただし再編曲のものもそれほど変化がない)。1964年、この曲は東海林修の格調高いアレンジに変わり、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」として再発売された。このリメイク版は大ヒットしてザ・ピーナッツの代表曲となり、『紅白歌合戦』では3度歌われた。 テレビ番組渡辺プロダクション制作の番組、『ホイホイ・ミュージック・スクール』、『シャボン玉ホリデー』、『あなた出番です!』(以上日本テレビ)や、ジャニーズ主演の『若さとリズム』(NHK)などの音楽を担当。なお、『若さとリズム』の1エピソード「The Flying Ball」は、海外のモントルー・ゴールデンローズ国際テレビ祭に出品された(1966年)。ほかに主な作品として『名犬ロンドン』の主題歌(田辺靖雄)、「ビバ・ラ・ビータ・トッポジージョ」(山崎唯)がある。 1964年、ザ・ピーナッツが西ドイツのババリア・フィルム制作の番組『スマイル・イン・ザ・ウエスト』にメイン・キャストとして出演する際に、音楽スタッフとして同行。この番組はユーロビジョン・ネットワークを通じて、大晦日にヨーロッパ各国で放送されたが、わずか75分の番組に1ヶ月の制作期間を費やす熱の入れようであった。その折に、欧州音楽界の重鎮であるハインツ・キースリングに出会い、オーケストレーション、ブラスアレンジほか多大な影響を受けた。 渡辺プロダクション所属歌手等のために、多数の楽曲・ステージの編曲を担当。和装のヴァイオリニスト、高珠恵が事実上プロデュース、エヴァー・グリーンの曲を石丸寛の指揮により100人の弦奏者で演奏する「ストリング・スペクタクラー」(1969年)には、編曲者として指名を受けアレンジするなど、ジャンルを問わず活躍した。
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