「離婚」後とは? わかりやすく解説

「離婚」後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:58 UTC 版)

キャサリン・オブ・アラゴン」の記事における「「離婚」後」の解説

教皇側に離婚進め動き全くないまま、1531年夏頃にキャサリンヘンリー別居させられる1531年から法改正などが行われ、1534年にはイングランド国教会創設されヘンリー8世はその長となり、ローマ教皇庁から独立を果たす。 一連の動きの中で1532年11月14日国王アン極秘結婚し、翌1533年4月12日公表された。このときアン妊娠しており、生まれてくる子を庶子にしないための措置だった。『レビ記』を逆手取ったヘンリー8世カンタベリー大司教トマス・クランマー命じ5月23日婚姻の無効宣言させ、キャサリンはバックデンに隠棲させられるカール5世は、オーストリア拠点ウィーントルコ軍包囲され以降オスマン帝国脅威直面しており、キャサリンを救う余力はなかった。 キャサリン婚姻の無効決し認めなかったが、ヘンリー8世からは王太子アーサー未亡人としての遇され、公式には「Princess Dowager」(王太子未亡人)と呼ばれることとなったまた、ヘンリー8世との結婚自体無効であるため、庶子扱いとなった一人娘メアリーとの面会文通禁じられた。 1533年6月1日アン戴冠式が行われ、9月7日エリザベス王女(後の女王エリザベス1世)が誕生しヘンリー8世大い落胆する追い討ちをかけるように、翌1534年3月23日王位継承法成立によって、メアリー王女継承剥奪された。しかし同日教皇クレメンス7世キャサリン結婚正当性認め判決下したキャサリン5月、さらにキンボルトンに移され軟禁状態に置かれる監禁に近い生活であったが、近辺住民努めて接触し王妃時代同様に評判良く住民たちは彼女をプリンセス王太子妃ではなくクイーン王妃)と呼んだ先述王位継承法序文及び同年11月国王至上法成立しこの中でイングランド君主宗教世俗における最高権謳われイングランド正式にローマ・カトリック教会から独立したまた、公職教会役職に就く者たちには、イングランド君主が最高統治者首長)であることを認め至上権承認の宣誓義務課せられたが、キャサリンはこの誓約をわざとスペイン語行って誓約したように見せかけた。以降、この宣誓拒否したモアジョン・フィッシャーなど、国王反対する人間次々と処刑されエリザベス1世時代まで30年余りにわたって宗教起因した混乱が続くこととなる。 国内混乱知ったキャサリンは、1535年10月病を押してそれまで躊躇してきた、ヘンリー8世破門教皇カール5世極秘裏に上訴する1536年1月7日キャサリンキンボルトン城英語版)で崩御する数日前ヘンリー8世宛てた最後の手紙に「イングランド王キャサリン」の署名残したヘンリー8世は、彼自身メアリー王女王妃従者たち気遣った手紙涙したのも束の間、この署名見て敗北感味わったとされる。 娘メアリーにはスペインから持参した持ち物のうち、わずかに残った毛皮1枚金の鎖十字架ペンダント残した。そして、甥であるカール5世対しメアリー庇護求め手紙残した葬儀にはメアリー出席禁じられ目立った行事厳禁とされた。しかし、キャサリンを慕う住民たちはそれを無視して進んで葬列加わり行列500人にも及び、キンボルトンから40キロ北のピーターバラ修道院まで代わる代わる担いだという。奇しくも葬儀の日、アン・ブーリン男児死産しヘンリー8世寵愛を失うことが決定的になると、同年5月処刑されるその後ヘンリー8世次々と再婚、そして離別処刑繰り返し1547年崩御した。 ヘンリー8世正嫡男子唯一生存したエドワード6世15歳崩御すると、ジェーン・グレイを巡る混乱経てキャサリン所生メアリー王位に即いた。「ブラッディ・メアリー」(血塗れメアリー)と呼ばれた女王メアリー1世である。 メアリー即位すると、キャサリンの名誉は完全に回復されヘンリーとの婚姻関係も有効であるとされた。

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