王妃時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/15 15:07 UTC 版)
「エリザベス・バウエス=ライオン」の記事における「王妃時代」の解説
1936年1月30日にジョージ5世が崩じたため、アルバートの兄である王太子エドワードがエドワード8世として即位した。しかしエドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望み、議会と対立。結局、同年12月にエドワード8世はシンプソン夫人との結婚を選択して退位したため、アルバートがジョージ6世として即位、エリザベスは王妃となる。翌1937年5月12日に戴冠式が行われた。 内気なアルバートは譲位されることを聞き及んだ時に泣いたという。エリザベスは夫の性格に対するその重責を案じた。また、ジョージ6世が若くして急逝した原因の1つに、身体が生まれつきあまり頑丈ではないのに王位を継ぎ、心身とも疲労したことがあるとして、エドワード8世とシンプソン夫人を終生許さなかったという。 1939年6月、ジョージ6世とエリザベス王妃はアメリカ合衆国、カナダを訪問している。 第二次世界大戦中、ジョージ6世とエリザベス王妃は、イギリスの抗戦の象徴とされた。ドイツ軍の激しい空襲を受ける中、夫妻はロンドンから避難することを拒み、国民の慰安に尽力した。また 英帝国政府は大戦中、エリザベスとマーガレットの両王女を安全なカナダに疎開させることを計画していた。しかしエリザベス王妃はこれを拒否し、「私の子供たちは私のもとを離れません。私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と語ったとされている。バッキンガム宮殿がV2ロケットの直撃を受けた時も、「爆撃された事に感謝しましょう。これでイーストエンドに顔向け出来ます。」(=ロンドン東部、下町の低所得層・下層階級の人々と同じ境遇になれた)("I'm glad we've been bombed. It makes me feel I can look the East End in the face.") と、超然としていた事を知らされ、ヒトラーが慄然とした話は有名である。ジョージ6世やエリザベス王妃がイギリスの士気に多大な影響を与えたために、エリザベス王妃を『ヨーロッパで最も危険な女性』と評したという。
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