文壇への挑戦――仮面の告白とは? わかりやすく解説

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文壇への挑戦――仮面の告白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「文壇への挑戦――仮面の告白」の解説

1947年昭和22年11月28日三島東京大学法学部法律学科卒業した同年9月東京帝国大学から名称変更)。卒業前から受けていた様々な種類試験クリアし、12月13日高等文官試験合格した三島は(成績合格者167人中138位)、12月24日から大蔵省初登庁し、大蔵事務官任官されて銀行局国民貯蓄課に勤務することになった当時大蔵省霞が関庁舎GHQ接収されていたため、焼け残った四谷第三小学校を仮庁舎としていた。銀行局長は愛知揆一主計局長は福田赳夫で、基本給月給)は1,350であった大蔵省同期入省者(22年後期組)は、三島のほかに長岡實田中啓二郎後藤達太など全26名だった。三島は、「こんなのっぺりし野郎ござんす何分よろしく」と挨拶したという。 東大法学部卒業した直後12月三島吉田満直接会ってGHQ検閲削除されていた門外不出の「戦艦大和ノ最期」の初稿手書き草稿)を読ませてもらい、その内容驚愕感動したことから、大蔵省時代吉田親しくしていた。この頃吉田三島に、今後どんな作品を書くつもりか訊ねると、「美というもの。日本の美日本的な美」を書きたい語っていたという。 同じ12月には、「自殺企図者」(長編盗賊第2章)、短編春子」や「ラウドスピーカー」が各誌掲載された。大蔵省入省してすぐの頃、文章力期待され三島は、国民貯蓄振興大会で大蔵大臣栗栖赳夫)の演説原稿を書く仕事任された。三島はその冒頭文に、〈…淡谷のり子さんや笠置シズ子さんのたのしいアトラクション前に、私如きハゲ頭オヤジがまかり出まして、御挨拶申上げるのは野暮骨頂でありますが…〉と書き課長怒られ赤鉛筆バッサリ削られた。将来有名作家となる三島原稿削除したという一件は、後々まで大蔵省内で語り継がれるエピソードとなる。 翌1948年昭和23年)も、三島は『進路1月号の「サーカス」を皮切りに多く短編発表し、〈役所仕事両方綱渡りみたいな〉生活をしていたが、この頃の〈やけのやんぱちニヒリスティック耽美主義〉の根拠を自ら分析する必要を感じていた。 そのころ私の文学青年友人たちには、一せいに死と病気が襲ひかかつてゐた。自殺者発狂者は数人に及び、病死者も相次ぎ急速な貧困に落ちて行つたものも二三とどまらず、私の短かい文学的青春は、おそろしいほどのスピード色褪せつつあつた。又それは、戦争裁判判決はじまりつつある時代であつた。(中略)せつせと短篇小説書き散らしながら、私は本当のところ、生きてゐても仕様がない気がしてゐた。ひどい無力感が私をとらえてゐた。(中略)私は自分若さには一体意味があるのか、いや、一体自分本当に若いのか。といふやうな疑問さいなまれた。 — 三島由紀夫私の遍歴時代役人になったものの相変わらず文筆業続け息子将来に不安を抱いた父・は、鎌倉文庫木村徳三訪ね、「あなた方は、公威が若くて、ちょっと文章うまいものだから、雛妓半玉可愛がるような調子でごらんになっているのじゃありませんか。あれで椎名麟三さんのようになれるものですかね」と、息子朝日新聞小説連載するような一人前作家になれるのかを聞きに来た。木村は、「花形作家」になれるかは運、不運によるが「一本立ち作家」になれる力量はあると答えたが、終始浮かない様子だったという。 同年6月雑誌近代文学』の第2次同人拡大呼びかけ応じ三島同人となったその際三島天皇制認めるなら加入してもよいという条件参加した。この第2次参加顔ぶれには、椎名麟三梅崎春生武田泰淳安部公房らがいた。6月19日には、玉川上水13日入水自殺した太宰治遺体発見された。太宰遺作人間失格』は大きな反響呼んだ同年7月8月三島役所勤め執筆活動二重生活による過労睡眠不足で、の朝の出勤途中長靴滑って渋谷駅ホームから線路転落した電車が来ないうちに這い上がれたが、危なかった。この事故きっかけ息子職業作家になることを許したは、「役所をやめてよい。さあ作家一本槍行けその代り日本一作家になるのが絶対条件だぞ」と言い渡した同年8月下旬河出書房編集者坂本一亀坂本龍一の父)と志邨孝夫が、書き下ろし長編小説執筆依頼のために大蔵省勤務中の三島訪ねた三島快諾し、「この長篇作家生命賭ける」と宣言した。そして同年9月2日三島創作専念するため大蔵省辞表提出し9月22日に「依願本官」という辞令受けて退職した同年10月6日芦田内閣総辞職号外の鈴が鳴り響く晩、神田喫茶酒場ランボオ」の2階で、埴谷雄高武田泰淳野間宏中村真一郎梅崎春生椎名麟三出席する座談会12月同人誌序曲創刊号)に三島加わった。その座談会の時、三島初対面だった埴谷は、真正面座った三島の「魅力的」な第一印象を、「数語交わしている裡に、その思考廻転速度速い解るような極めて生彩ある話ぶり」だったと述懐している。 もし通常の規準マッハ数とすれば三島由紀夫廻転速度一・八ぐらいの指数をもっていると測定ねばならぬほどであった。私は彼と向いあわせているので、ただに会話音調聞いているばかりでなく、会話附随するさまざまな動作のかたちを正面から眺め位置にあったが、間髪をいれず左右振りむいてする素早い応答の壺にはまった適切さ眺めていると、いりみだれ閃く会話火花のなかで酷し訓練されたもの、例えば、宴会にあるひとりのヴィヴィッド芸者快感といった構図がそこから聯想されるのであった。(中略三島由紀夫に向って最も多く応答しているのは、偶然左隣り腰かけている野間宏ということになるのであったが、困ったことに、野間宏思考廻転速度マッハ数〇・四ぐらいなのであった。 — 埴谷雄高三島由紀夫河出書房から依頼され長編タイトルを〈仮面の告白〉と定めた三島は、〈生まれてはじめての私小説〉(ただし、文壇私小説でない)に挑み、〈今まで仮想人物に対して鋭いだ心理分析の刃を自分向けて自分自分生体解剖をしよう〉という試み11月25日起筆した。同月20日には、書き上げまで2年以上を費やした初の長編盗賊』が真光社から刊行され12月1日には短編集『夜の仕度』が鎌倉文庫から刊行され1949年昭和24年2月24日作家となってから初上演作の戯曲火宅』が俳優座により初演され従来リアリズム演劇とは違う新しい劇として、神西清岸田国士などの評論家から高い評価受けた4月24日には、「仮面の告白」の後半原稿喫茶店ランボオ」で坂本一亀渡した紫色古風な袱紗から原稿取り出して坂本手渡す三島を店の片隅目撃していた武田泰淳は、その時三島の顔を「精神集中連続のあとの放心と満足」に輝いていたと述懐している。 三島にとっての〈裏返し自殺〉、〈生の回復術〉であり、〈ボオドレエルの「死刑囚にして死刑執行人」といふ二重の決心自己解剖〉した渾身の書き下ろし長編仮面の告白』は同年7月5日出版され発売当初反響薄かったものの、10月神西清高評した後、花田清輝激賞されるなど文壇大きな話題となった年末にも読売新聞昭和24年度ベストスリーに選ばれ作家として三島地位不動のものとなった。 この成功以降も、恋愛心理小説純白の夜」を翌1950年昭和25年1月から『婦人公論』で連載し同年6月30日には、〈希臘神話女性〉に似たヒロインの〈狂躁〉を描いた力作愛の渇き』を新潮社から書き下ろし出版した同年7月からは、光クラブ事件山崎晃嗣モデルとした話題作「青の時代」を『新潮』で連載するなど、〈一息つく暇もなく〉、各地への精力的な取材旅行励み長編小説の力倆を身につけていった。 8月1日立ち退きのため、両親・弟と共に目黒区緑ケ丘2323番地(現・緑が丘一丁目17番24号)へ転居同月岸田国士の「雲の会発足小林秀雄福田恆存らと参加し年上文学者らとの交流広まっていった後、中村光夫発案の「鉢の木会」にも顔を見せるようになった10月には、能楽基調にした「邯鄲」を『人間』に掲載し劇作家として挑戦の幅も広げていった。この作品は、のちに『近代能楽集』としてまとめられる1作目となり、矢代静一通じて前年知り合った芥川比呂志による演出12月上演された。

※この「文壇への挑戦――仮面の告白」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「文壇への挑戦――仮面の告白」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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