文壇復帰とは? わかりやすく解説

文壇復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 06:17 UTC 版)

今東光」の記事における「文壇復帰」の解説

1953年2月短編役僧」が30年ぶりに『文藝春秋』に掲載され文芸家協会編 『創作代表選集』にも収録された。『大法輪』に「天台大師」「師の御坊」、『祖国』に幕末の志士河上彦斎を描く「人斬り彦斎」を連載、「破戒無慚」「人の果て」を発表1955年10月2日比叡山上山天台宗随一古儀法華大会(ほっけだいえ)「広学豎義」(こうがくりゅうぎ)に臨み教学論議僧侶試験)を及第し阿闍梨となり、1956年1月京都宗教紙「中外日報第二代目社長に就任した天台院訪れた谷崎潤一郎により「闘鶏」の原稿中央公論社送られ、『中央公論1957年2月号に掲載された。その前年1956年裏千家機関誌淡交』に1年間連載していた『お吟さま』で第36回直木賞受賞し一躍流行作家として文壇復帰するそれまで天台院では法施への対価として、宝前河内産の茄子胡瓜、ときに軍鶏肉があがる、長閑朴訥したものだったが、東光和尚ブーム到来一夜にしてバタくさいものになった夫人語った。「だって、それまでお布施ったって30円くらいでしょ。それが印税入ってくるのですものね。」「お寺修理だ、復興だって出てゆく。本山から給料が出るわけじゃないし。ネ。」「私が好きな作品は『悪童』。一番い時代でした。」「毎日毎日面白かったのよ。言葉なんてちっともわからないのにね。」「東光は。オイ今日はいい日だな。いい日だな。って言うけれど、何もいいことなんてないのよネ(笑)檀家の話は、ケンカだ。バクチだ。ヨバイだ、ジョロカイだって、そればかりでしょ(笑)放送局(BK:NHK大阪)が取材来て録音してっても放送できないっていうのヨ(笑)。」「それでいて夜中になると、そのテープみんなで聞いてゲラゲラ笑ってんだって(笑)。あのテープ、どこかに残ってないでしょうかね。」(「驚きももの木20世紀」「知ってるつもり」等、民放取材こたえて夫人談) 作家活動再開後は「山椒魚」「春泥尼抄」「悪名」「こつまなんきん」「河内風土記」など、八尾周辺河内地方取材した一連の河内もの」を立て続け発表し舞台化映画化相次いだ辺鄙な農村八王子市方に篭り第2回毎日出版文化賞受賞したきだみのるの「気違い部落周游紀行」と、上方河内在の異色の僧が描く「河内もの」は東西の雄と評され衆目を蒐めた。大宅壮一福田定一(司馬遼太郎)、村上元三寺内大吉をはじめ、天台院訪れ識者多士済々柳原白蓮の姿もあった(本人談)。文学講座開かれ日本書紀」の講義では、大和河内地理にもとづく、在郷ならではのオモロ講座」が展開した。(鈴木助次郎談) 1957年東京京都開催され国際ペン大会京都大会では、日本ペンクラブ会長川端康成援け関西財界人呼びかけ大会成功導いた。その流れ1960年山田耕筰和田完二らとの「大阪文化協会設立第1回大阪文化まつり開催となってゆく。1958年には帝塚山学院四天王寺学園相愛女子短期大学講師として、比較文学講義。 この時期作品として、古代史河内キリシタン伝承取材した弓削道鏡」「生きろマンショ」、また「はぜくら(支倉常長)」「東光太平記楠木正成)」など歴史小説数多く創作天台院の名は全国知られた。同院の再興につづき、貝塚市水間寺密蔵院(春日井市)明眼院安養寺など特命住職として次々兼務する荒廃した古刹復興身を挺し印税注ぎ込んで寺院経営を手がけ、権僧正拝命する一方、「オレ大工坊主みたいなものだよ。オイ」と周囲笑わせケム巻いていた。取材赴く先々、また執筆途次を、筆を留めしずかに読経することしばしばであったという。『悪名』は1961年勝新太郎田宮二郎出演映画(大映)となりシリーズ化されるほど大ヒットした。

※この「文壇復帰」の解説は、「今東光」の解説の一部です。
「文壇復帰」を含む「今東光」の記事については、「今東光」の概要を参照ください。

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