文壇デビューへ
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1920年(大正9年)4月、鈴木十郎らと同人誌『金と銀』を創刊(3号で終わる)。8月、島崎藤村の紹介で雑誌『新小説』に「凸面鏡」を発表し、初めて原稿料を得て、文壇にデビューする機運が開かれる。10月、「闘戦勝仏」を同人誌『十三人』に発表。これも牧野の処女作ともいわれ、谷崎潤一郎の『麒麟』の影響が見受けられる。時事新報社『少女』の投稿者だった鈴木せつとの交際が始まり、やがて同棲する。せつはモダンで賢く、非常に明るく活発な性格で、牧野とは反対におしゃべりであったという。 1921年(大正10年)、佐佐木茂索を介して中戸川吉二と知り合う。3月、「白明」を雑誌『解放』に発表。5月、「公園へ行く道」を『十三人』に発表。8月、「坂道の孤独参味」を雑誌『人間』(新進作家創作集)に発表。9月、「痴想」を雑誌『早稲田文学』に発表。それぞれ新進作家として認められる。時事新報社を辞め、鈴木せつを伴って小田原へ帰り、結婚。東京の友人のいなくなった淋しさもあって酒に親しむようになる。 1922年(大正11年)4月、同人誌『白磁』を創刊し、「池のまわり」を発表。6月、長男・英雄が誕生。9月、「鞭撻」を同人誌『象徴』(『金と銀』の継続誌)に発表。10月、「妄想患者」を雑誌『新小説』に発表。1923年(大正12年)、妻子と共に熱海に転居。6月、「熱海へ」を雑誌『新潮』に発表。これは最初の“父親小説”となる。7月、「地球儀」を雑誌『文藝春秋』に発表。9月1日の関東大震災により、小田原へ帰る。10月、中戸川吉二から、雑誌『随筆』創刊(11月)のための協力を求められて単身上京。東京市牛込区天神町(現:新宿区天神町)の佐佐木茂索の家の一室の編集室に住む。『随筆』の編集を通じ、宇野浩二、葛西善蔵、久保田万太郎らと知り合う。
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