実在の人物・他の武家とは? わかりやすく解説

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実在の人物・他の武家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:25 UTC 版)

信長のシェフ」の記事における「実在の人物・他の武家」の解説

足利義昭 作中では、謀略家だが人の上に立つ器量の無い人物として描かれるケン作った「うずらの焼き照り焼き」を食して感服自分料理人として迎え入れようとするも、拒否されると共にその際見せた傲慢な性格ケン失望させる将軍である自分ないがしろにする信長に対して浅井朝倉を引きこんで包囲網展開した信長命令ケンスッポン料理供したことを切っ掛け挙兵するが、大安宅船使った電撃戦によってあっさりと敗北茶壷立て篭もり自身価値引き換え譲歩引き出そうとするも、ケン用意したスッポンすき焼き」と説得受けて降伏した降伏後ケンにまた料理作ってもらえるのなら照り焼き良い要望した。 信長顕如ケンとようこ)の料理勝負の際、「毒見役になっていれば双方料理試食できたのに」と悔しがるなど、コメディリリーフ要素併せ持つ。【ドラマ版での設定岐阜での宴で多く臣下参加させて困らせようとする朝倉義景進言信長貶めようとするなど、信長嫌がらせをする描写増えている(いずれもケン機転阻止された)。 三淵藤英 北畠具教 北畠家当主朝廷から権中納言の位を授かったこともあり、自身や一族を将軍家にも影響をおよぼすほどの名門かつ文化人自負しており、信長のことは「力だけの成り上がり」「粗暴な山猿」と見下していた。圧倒的な兵力にも関わらず織田軍を相手善戦し信長から和睦持ちかけられるも「何年でも持ちこたえてみせる」「そちらが退くのが筋」と強気な姿勢を崩さなかったが、初めて見るケン作った品および調理方法戸惑い、その中に含まれていた「炒める」という方法が明の技法であると突きつけられたことで「自分文化面でも信長負けている、秀でている部分何もない」と心が折れ信長二男茶筅丸(織田信雄)を養子迎えた上で家督継がせることを無条件飲んだ(史実では信雄は具教の実子・具房の跡を継いで北畠家当主となる)。 朝倉義景 真柄直隆 松永久秀 信長足利義昭双方臣従している点では明智光秀同じだが、裏で反織田勢力繋がり義昭信長包囲網形成にも加担し武田家への使者役も務めている(信長察知しているが、本人とぼけている)。ただし積極ではなく、どちらに加担すれば良いのか天秤にかけている風である。信長もそれを承知で、あえて利用している。 情報収集精力的に行っており、その情報高く買うところに流す算段をしている。信長比叡山焼き討ちの際に比叡山もぬけの殻であり、女子供死者がほとんどいない事実も、いち早くつかんだ。この時は信長意図察知し、自らも「信長悪評広める」ため行動した動揺する義昭対し、あえて前述事実伝えなかった)。後に久秀が信長意図見抜いたことを知って光秀驚愕することになる。 果心居士松田)を配下にしているが、人物として信頼していない。顕如ともつながりがある。 野心家与力となった後も天下狙い謀反起こすが、信貴山城の戦い敗北決定的になると信長への嫌がらせのためにケン道連れ自殺を図る。平蜘蛛爆発合図に城に火を放ちケン押さえ込んでいたが、ただの料理人であるケン押さえ切れなかったことで自らの老い悟り一人炎に包まれた。 浅井長政 当初信長憧れ心酔するが、信長言葉書面を交わすうちに、信長革新的思考理解できないようになり、不安に陥ることとなる。さらに、浅井盟友ある朝倉に対し信長長政断りなく攻め込んだことをきっかけとして、信長敵対することになる。 姉川の合戦から3年後、再び開いた織田方との戦に敗れる。お市ケンからも降伏すすめられたが、自身お市の情に甘えていたことに気づき妻子織田方へ帰す自分信長の「下」ではなく「隣」にいたかった最後まで思っており、自分もう少し強ければそれが出来た思った自刃する間際ケンから自身未来から来たことと「遠くない未来に戦の無い世の中が来ること」と「自分娘たち戦乱終わらせる礎となる」と聞かされ、「それなら、ここで死んでおくのも悪くない」と納得した上で自害するお市 金ヶ崎城の兄の信長送り長政行動それとなく知らせる(ケンがその真意察する)。 ケン信長の命で朝倉方の料理人になり代わって小谷城潜入した際に使った料理見て信長メッセージ読み取るが、長政一緒に行動するケンたちに言ったために間者として送り込まれたことが露見する捕らえられケン語り合うが、ケンの話(未来料理栄養学知識)が半分理解できず、上述信長長政すれ違いについて思い至ることになる。結果ケン信長面影見て、自らを盾にするように芝居打って逃がすことになる。 姉川の合戦から3年後、再び開いた織田方との戦に際してケンから伝えられ料理によって降伏してでも生き延びることを長政にすすめるが、長政はそれを拒絶したことで自分も妻として長政同じく自害し一緒に死のうとするもケン料理食べた長政から「浅井の血を守れ」と娘たちと共に織田方に帰される。 茶々 浅井長政お市の娘で肉を食べるのが苦手だった。ケン作った使った料理興味を示す。ケン料理したハンバーグメインしたお子様ランチ興味示し完食する。 姉川の合戦から3年後、再び開いた織田方との戦のころには幼いながらおしゃま女の子になっていたが、親と離れ離れになった際には妹の初と共に涙した合戦終結の後、岐阜出会った濃姫には「すてき…」と心酔していた。 堀秀村 遠藤直経 姉川の戦いにて三田村国定の首を持ち織田家臣化け首実検申し出てたが、首を持たせた小者が、たまたま近江ケン信長を匿った農民の男だったので見破られ最終的に勧誘されるも拒否して信長に斬られた。ちなみに遠藤の礼か、信長小者の命は助けた阿閉貞征 阿閉貞大 三好三人衆 徳川家康 義昭年賀挨拶の席で、信長指示によるケン御膳見てその意味理解する。また情勢悪化から部下から反織田勢力に着くように提案されるが、ケン料理幼少期信長との記憶思い出し織田とともに武田信玄はじめとする反織田勢力と戦うことを決意する幼少記憶思い出させてくれたケン高く評価している。けっこう食い意地張っており、平時有事問わず織田家訪れた際にはケン料理楽しみにしている。 武田から解放されケン一時期手元に置くが、三方ヶ原の戦いの後、ケン信長の下へと帰す酒井忠次榊原康政本多忠勝 後に徳川家四天王呼ばれる武将たち(井伊直政未登場)。いずれも家康を慕う股肱の臣であり、信長よりも家康こそ天下を取る器であると期待している。 酒井四天王筆頭として家康支えるが、忠勝などの能天気な若手には頭を痛めることが多い。康政は少々毒舌家康に対して遠慮のない意見を申すこともある。忠勝は能天気な健啖家だが、食い物の味にはこだわらないところがある。 主君である家康含めてケンも彼らを気に入っており、酒井別動隊として命懸け役目着いた際には危険を冒して手助けをしている。 中根正照 武田信玄 義昭内書密書)で上洛促されるが、慎重な態度取っていた。実は既に病に冒されていた。 顕如からの手紙で信長料理人ケン)の噂を聞いて配下秋山信友暗殺命じるも、秋山の独断連行されケン料理認め手元に置く。 当初ケン料理体調回復するが、西上作戦開始後からケン料理食べなくなり、再び体調を崩す自分の命が長くないことを悟り、かつ死後を勝頼に任せることを決意しての、最後の夢としての上洛だった。 ケン信長心服していることを理解し、にもかかわらずケン自軍義理を立てていること、自分の健康を気遣っていることに感謝し餞別太刀持たせてケンを逃がす(この太刀岐阜まで持ち帰っている)。 三方ヶ原の戦い後で亡くなったことが間接的に描写される武田勝頼 信玄嫡子だが、父親威光陰に隠れてかすみがちな自身劣等感感じている。ケンと共に甲斐連行されてきた夏を気に入る。 ケンに「自ら滝を登らぬただの」と喩えられたことからケン憎悪するが、同時にその命を賭けた言葉認めその時点(西上作戦前)での家督相続辞退するまた、ケン懇願信玄受け入れたことで夏が岐阜帰されたことでもケン憎悪し三方ヶ原の戦いでは本多忠勝八つ当たりに近い態度取った生まれた時点武田には不要と母の実家養子出され、必要と言って呼び戻し当主据えたにも関わらず父・信玄心酔するがゆえに自分軽視する家臣たちに辟易するも「それが愉しい」と大器への片鱗をみせる。臣下からも「勇猛果敢にして強すぎる」と評されるが、それゆえ一武将としては優秀であっても、総大将としては貫目足らぬ部分がある。ゆえに長篠の合戦においては敗色濃厚になってからも最後まで戦い抜こうとするも、家臣たちに諫言され、あえて屈辱をかぶり撤退することとなる。 秋山信友 信玄の命によりケン拉致暗殺しようとする。しかし、史実信玄その時期に病に冒されていることを知っていたケンが、食事病人治すとして自分の腕を売り込んだため、信友はあえて信玄の命に背きケン丁重に甲斐迎え入れることとなる。 信長使者として滝川一益ケンらが来訪した際は、監禁されていた彼らを解放した長篠の合戦以後東美濃岩村城守りについていたが、半年近く守り通したにもかかわらず突如信忠軍に降伏その背景には、弱体化した武田軍信忠軍との決戦回避し、勝頼の面目守りつつ勝頼を救わんとする意図があった。信長との会食の後に、岐阜にて磔となる。享年49ケン自分生きて欲しいと実感した時にケンには自分満足して死んで信玄達に会い行ける語った山県昌景 馬場信房 上杉謙信 信長とは盟約結んでいたが、比叡山焼き討ち将軍追放改元とたて続いた信長行動激怒討伐と京奪還決意する。しかし信長使者となったケンによって「京を渡す」と告げられ大義封じられ格好となり、しばし討伐断念し同盟継続し状況観察することとする長年対立してきた信玄死には思うことがあったのか、ケンから伝えられ信玄との別れ際言葉感じ入っていた。 信長家督委譲後に、遷都意図察し織田領へ進軍七尾城攻略後にケンの手引きにより信長大将同士密談を行う。信長目指す国の形を理解することはできなかったが、誰にも見えぬものを見据える信長期待通りの男として軍を引く。その後春日山城内にて死去享年49実子がなく、また後継者指名しなかったため、死後上杉家は、謙信養子である景勝景虎の間で、内紛態となる。 毛利輝元 毛利家当主松田働きかけたことで天王寺の戦い援軍を出すが、ケンの策によって援軍は間に合わなかった。料理人によって援軍遅れたことを知るとケン興味抱き村上元吉ケン捕らえるように命じる。自身の才のなさを自覚しており、やれるものがやればいいという考えを持つ。その分人を見る目養っており、元吉信長言葉揺れていることをすぐに見抜いた村上元吉 毛利協力する村上水軍武将で、海賊大将武吉息子木津川九鬼水軍圧倒し本願寺への補給成功させる信長の命でケン村上水軍の船に乗った際は、腕を誇示せず食材牡蠣)に真摯に向き合うだけのケン気に入り相手自分探している人物とは知らずに輝元の探す料理人心当たり尋ねている。信長から海賊ではなく世界相手にする日本の水軍として勧誘された際は拒絶するものの、内面では揺れており第二次木津川口の戦いからは外された。望月思わしき、「三好長治料理人」を知っている語り織田村上水軍勝てたら教えるとケン伝えた

※この「実在の人物・他の武家」の解説は、「信長のシェフ」の解説の一部です。
「実在の人物・他の武家」を含む「信長のシェフ」の記事については、「信長のシェフ」の概要を参照ください。

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