三田村国定とは? わかりやすく解説

三田村国定(みたむら くにさだ) ????~1573


三田村国定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 07:41 UTC 版)

 
三田村 国定
時代 戦国時代
死没 1573年
別名 左衛門尉、秀俊、左衛門大夫
主君 浅井氏
氏族 三田村氏
父母 父:三田村定元 母:今川定清女
兄弟 三田村家政、三田村元忠、三田村親政、西坊幸、三田村定頼?
三田村長盛ら4人
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三田村 国定(みたむら くにさだ、生年不詳 - 1573年)は、戦国時代武将浅井氏の家臣。三田村城(現在の滋賀県長浜市)城主。

経歴

三田村氏は浅井家の庶流であり、江北記には京極氏の根本被官として今井氏、河毛氏、赤尾氏、安養寺氏、浅井氏ら12氏のうちの一つとして記録がある。1570年大野木秀俊野村直隆らと共に織田信長から横山城を守りきり、横山城救援に来た浅井勢との間に姉川の戦いが起こる[1]。小谷城が落城し主家である浅井氏が滅亡した(小谷城の戦い)後、羽柴秀吉を通じて信長に投降するが、許されず裏切者として殺害された(戦死とも)。浅井家家臣の遠藤直経が単身で敵陣に乗り込んだ際、三田村左衛門(国定本人もしくは父・定元か)の首を持参したという。

脚注

参考文献

  • 小和田哲男『近江浅井氏の研究』(清文堂出版、2005年)

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