フジテレビアナウンサー
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「酔いどれない競馬」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
番組開始当初は三宅正治が司会を担当することが多かったが、三宅がプロ野球ニュース2000の司会を担当することになったため、2000年3月27日の放送で「卒業」となった。その後2004年頃までは、ほとんどの放送で吉田伸男が司会を務めていたが、2006年秋からはフジテレビの競馬担当アナウンサーが月替わりで担当していた。また、青嶋達也は番組内では「Aアナ」と呼ばれ、名前は出てくるもののなかなか出演が果たせなかったが、2003年5月13日に初出演してからはたびたび司会を務めていた。 堺正幸 三宅正治 塩原恒夫 青嶋達也 吉田伸男 福原直英 佐野瑞樹 福永一茂 長谷川豊 梅津弥英子 岡田浩揮 中村仁美 倉田大誠
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フジテレビアナウンサー
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「宮瀬茉祐子」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
プロ野球ニュース2011 月、金曜日担当 プロバスケ! bjリーグtv(金曜23:00 - 23:55、BSフジ) プロゴルファーTV(2009年12月 - 2011年7月、隔週) 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル(2010年3月30日) とんねるずのみなさんのおかげでした「ノリタの神様」など(不定期出演) 女子アナスペシャル アナ★バン BSフジNEWS BBコンプレックス(2005年5月30日 - 9月7日) 海筋肉王 ~バイキング~ スペシャル番組のリポーター(個人戦第3弾・第4弾、ペア戦第2弾) 情報プレゼンター とくダネ! リポーター(2005年10月 - 2006年3月) O・D・A~ODAIBA ANGEL~(2005年10月18日 - 2006年3月21日) 女子アナ部屋(2005年12月27日未明 - 12月30日未明、2006年1月3日未明 - 1月6日放送) お笑いネクストブレーカー(2006年1月1日、1月8日、3月12日、3月19日) フジテレびーびー(2006年3月7日~5月30日) FNNスーパーニュース フィールドキャスター(2006年4月6日 - 9月、木・金、2008年10月 - 2009年3月までリポーターとして不定期出演。報道分野のフィールドキャスターとして出演しなかった。) ニューカマーズ「おふくろの味バラエティ DK~ダイニングキッチン~」司会(2006年6月6日) クイズ$ミリオネアアナウンサー大会(2006年7月6日、13日)筆記問題74点、10人中8位 ネプリーグ・アナウンサーチーム(2007年1月15日) 晴れたらイイねッ!Let'sコミミ隊(不定期) 山おんな壁おんな 第7話 リポーター役(2007年8月16日) SPEpisode-I(2007年11月3日)東京都知事インタビュアー役 お台場学園 アイドリング居残り授業!(2008年4月29日 - 5月3日) コンバット FNNスーパーニュースWEEKEND スポーツコーナー(2006年10月7日 - 2008年9月28日) アナ☆ログ めざましどようび(2005年9月3日、10日放送)「TOKYOセレブMAP」(2006年1月7日 - 2008年9月27日) ココ調レポーター(2010年1月23日 - 6月26日、高樹千佳子の休養時の代理) サキヨミLIVE(2008年12月21日)中継リポート 東京マラソン2009(2009年3月22日)リポーター 企業最前線(不定期出演) 森田一義アワー 笑っていいとも! 金曜日担当(2006年10月6日 - 2007年9月28日)、月曜日担当(2007年10月1日 - 2009年3月23日) 笑っていいとも!増刊号(2006年10月8日 - 2009年3月29日) 魔女裁判(2009年5月23日)レポーター役 東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場、フジテレビONE、2009年8月29日)実況中継アナウンス めざにゅ〜(月〜水、2009年3月30日 - 9月23日)情報キャスター担当、(12月9日、2010年9月15日 - 17日)メインキャスター代行 おまかせ!リビング(2009年4月5日 - 9月27日、日曜7:55 - 8:00・21:55 - 22:00、BSフジ) 出雲全日本大学選抜駅伝競走(2009年10月12日)優勝インタビュー 国際千葉駅伝(2009年11月23日)中継リポート 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」初出場(2010年3月30日) 全開ガール 第1話 司会者役(2011年7月11日) 自転車専科(土曜10:00 - 10:30、BSフジ)
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フジテレビアナウンサー
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「頼近美津子」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
フジテレビでは同局史上初の女性正社員となる。それまでフジテレビは、女性は全員契約社員でのみ採用する方針を貫いており、益田由美や城ヶ崎祐子らも当時は契約社員であった。頼近のフジテレビ入社で田丸らも正社員となる。移籍金は1,200万円とも2,000万円とも3,000万円ともいわれ大きな話題を呼んだ。年収も300万円から1,200万円に跳ね上がったとされ、現在のフリー転向の流れの先駆け的存在でもあった。田丸と頼近でフジの二枚看板などと、鳴り物入りでフジテレビに迎えられ『小川宏ショー』の新アシスタントになるが、NHKから来たのでミスしてはいけないという気負いから「お高くとまってる」などと見られ、当時のマスメディアに散々たたかれた。各方面から批判を受けていたこの年、映画監督の野村芳太郎がフジテレビ専務の村上七郎と中学の同級の関係で、撮影所に見学に来ていた頼近に出演交渉して松竹映画『真夜中の招待状』にバーのママ役で出演した。頼近はNHKから移籍する際「私はジャーナリスト」とミエを切ったこともあってゴタゴタが起きた。話題づくりのため、頼近の出演を大いに宣伝したい松竹サイドと、この程度の出演で女優と宣伝されては主婦層の反発を買うと恐れたフジテレビの間で揉めた。元々、頼近のフジ移籍は、視聴率の低迷していた『小川宏ショー』に出演依頼を受けたからだったのだが、同番組は一年後に終了。続いて露木茂と組んで『ニュースレポート11:30』を担当した。
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フジテレビアナウンサー
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「ちびまる子ちゃんの登場人物」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
境鶴丸 声 - 境鶴丸 上記の「おじいちゃんベルトクイズに出る」の巻(後編)で出題ナレーションとして担当。 ウサ子君 声 - 西山喜久恵 『27時間テレビ夢列島』内、本編の後のおまけアニメで登場。 ゆうみちゃん 声 - 永島優美 「まる子、運動会がめんどくさい」の巻(2019年10月13日放送)に、まる子の先輩(小学5年生)のゆうみちゃん役として久慈と出演。3年生の徒競走のナレーターを務めた。 あきこちゃん 声 - 久慈暁子 上記の「まる子、運動会がめんどくさい」の巻に、まる子の先輩(小学5年生)あきこちゃん役にとして永島と出演。 井川せい子 声 - 井上清華 「まる子、町をパトロールする」の巻(2021年8月15日放送)。 博多弁を話す福岡から来た小学生の女の子。小学校3年生である。
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フジテレビアナウンサー
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「田丸美寿々」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
大学卒業後の就職先は三井物産に内定していたものの、好奇心から学内の掲示板を見て、親に内緒でフジテレビへも応募した。田丸は当時低迷期にあった同局の就職試験に合格、1975年に報道局解説放送室付リポーターとして入職した。2000人の受験者で大卒の採用は3名だった。 当時のフジテレビでは、正社員以外のアナウンサーをリポーター(記者)と呼んでいたが、田丸はこのリポーターとしての入職であった。同期入局には、後の同局アナウンス室長・堺正幸や、報道局解説委員の和田圭、フリーアナウンサーの酒井ゆきえらがいた。 「重要なニュースは男が読まなければ信頼されない」と思われていた時代、女性アナウンサーの出番は、街の話題やお知らせなど、業界で言う「暇ネタ」とか「ヤワネタ」の担当、天気予報、番組司会者のアシスタントなどだった。当時は女性アナウンサーは勿論、女性記者、カメラマン、ディレクターなど、女性そのものの姿が報道の現場になかったという。当時はそれが普通で、田丸本人もアナウンサーを長くやるとは思わず、それを差別とも思わなかったと話している。入社時、「報道をやりたい」と当時の鹿内信隆会長に直訴すると半年間、お茶くみやコピーとりばかりの閑職に追いやられた。同期の酒井は、『ママとあそぼう!ピンポンパン』の担当となっていたが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}田丸にようやく決まったのが『FNNニュース』の天気予報だった。入局2年目の1976年にはロッキード事件が発生したが、田丸は天気予報中に自由民主党の内部抗争の話題を引き合いに出し、政府筋から猛抗議を受けることになった[要出典]。 その後、天気予報や『3時のあなた』のアシスタントを3年半務めた田丸は1978年10月、『FNNニュースレポート6:30』へ先輩の逸見政孝と共にメインキャスターとして抜擢された。また逸見がとにかく現場に行って生の声を伝えようとしたので、田丸も時に強引な突撃取材を行う。当時はまだアナウンサーが取材することが珍しい時代だった。逸見は田丸を評して「この番組に強烈なイメージを持たせたのは田丸美寿々さんであり、報道番組における女性の位置を考える時、彼女の果たした役割というのははかりしれないものがある。当時、アナウンサー、レポーター採用試験の際に『田丸さんのようなキャスターになりたい』という女性志願者の声が、どんなに多かったか。彼女は、さまざまな意味で個性的な女性でした。今まで私が一緒に仕事をした女性の中では傑出しています。彼女は十年に一度、あるいは二十年に一度出るかどうかの逸材であろうと思います」と述べている。 1980年4月にNHK初の早朝ニュースショー、『NHKニュースワイド』で、初代女性キャスターとして頼近美津子(森本毅郎とのコンビ(平日)、土曜日は山根基世と明石勇)が、同じ月から加賀美幸子が『7時のニュース』でメインキャスターとなる。田丸はフジテレビ女性キャスター第1号であり、業界全体でも女性キャスターの草分けである。この番組では、キャスターが現場に出向いてリポートする新しい手法がとられ、田丸も中川一郎や笹川良一、武見太郎ら、大物とされる人物に直撃インタビューを行った。こうした相手に田丸は、言葉じりをひとつひとつ捉えて揶揄する形で、さらに言葉を引き出そうという手法を取ったため、相手が激昂し「やり過ぎ」「最も聞きたい筈の本質についてアプローチ出来ていない」などの批判を受けた。 1981年4月、頼近がフジテレビに引き抜かれて鳴り物入りで移籍してきたが、この移籍を手引きしたのは、同郷で大学の先輩・後輩の関係でもある田丸であった。元々、アナウンサー志望だった頼近は、大学時代から先輩の田丸に就職先など相談していた間柄であった。頼近がフジテレビ史上初の女性正社員となったため、機構改革が行われ、ようやく田丸らもアナウンサー(正社員)という身分になった。1981年7月、頼近と共にフジテレビ代表としてダイアナ妃結婚の衛星中継をロンドンからレポート。 1982年2月に発生した日航機事故の取材の際、機長に事故発生当時の心境を聞こうと、警察が張っていた立入禁止のロープを越えて病院から出てきた機長に突撃取材を敢行したが、警察はこの予想外の取材姿勢に対し、フジテレビに警視庁記者クラブへの出入りを5日間禁止する処分を下した。 『FNNニュースレポート6:30』を3年半務めた後の1982年4月、17年間続いた『小川宏ショー』の後番組『おはよう!ナイスデイ』のアシスタントに抜擢される。 1982年、田丸が妻子あるジャーナリスト・美里泰伸と不倫関係にあることが報じられた。田丸と美里は翌年2月に結婚した。当時美里の妻が妊娠中であったことが報道された。田丸は、「(美里泰伸を前妻から)奪ったのではなく、譲ってもらった」と述べている。 1983年2月2日に田丸の退任記者会見が行われ、同年3月末をもってフジテレビを退職することを発表した。担当していた『おはよう!ナイスデイ』は1983年に入って視聴率が上がり同局編成局長・日枝久も「結婚は個人の問題。番組は4月以降も続けてもらう」と話していて、田丸の契約は3月で切れるもののフジテレビは4月以降も起用の方針であった。田丸は急転直下の電撃退職だった。退社会見には日枝も同席し、田丸は『おはよう!ナイスデイ』宇留田俊夫プロデューサーと私の間の個人的な不信感」と会見で公表した。田丸は退社前月の2月7日をもって担当番組の全てから降板し、約40日間の長期有給休暇に入った。最後は10日間でフジテレビの各部署に挨拶回りを済ませると、予定通りに同年3月一杯で同局を退社した[要出典]。 和田アキ子は1983年の著書『和田アキ子だ 文句あっか!』で、女性アナウンサーの美人化、タレント化について、田丸をその嚆矢として言及していた。
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フジテレビアナウンサー
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「オレたちひょうきん族」の記事における「フジテレビアナウンサー」の解説
レギュラー(「ひょうきんベストテン」司会担当) 山村美智子(現・山村美智)(1981年5月 - 1985年3月) 寺田理恵子(1985年4月 - 1986年9月) 長野智子(1986年10月 - 1989年4月、1989年10月) 準レギュラー 本間淳子(1983年 - 1984年ごろ「朗読の部屋」ほかコーナー進行) 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演) 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演) 露木茂(1986年4月ごろから「ひょうきん私の秘密」コーナー進行) 逸見政孝(「ひょうきんスペシャル」に数回ゲスト出演) 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演) 岩瀬惠子(1986年7月ごろから「青春グラフティ」コーナー進行) 川端健嗣(1987年6月から1987年10月まで「関根くんの知られてる世界」コーナー進行) 笠井信輔(1987年10月から「ひょうきん流行通信」コーナー進行)ほか、三宅正治、福井謙二、向坂樹興などがチョイ役で出演。
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フジテレビアナウンサー
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1988年、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期は有賀さつき、八木亜希子、青嶋達也、片岡飛鳥や杉尾敦弘、笹栗実根。 河野と有賀、八木とともに「花の三人娘」と呼ばれ、デビューは2人より遅かったが、河野はアナウンサーとしてニュース番組『FNNモーニングコール』『FNNスピーク』等でキャスターを担当し、ニュース・情報番組を中心に活躍する。大学で学んだことを活かしてパリ支局で勤務したいとの希望が叶い、1991年4月の『FNN World Uplink』の放送開始に伴い1991年から1年間特派員としてフランス・パリ支局に駐在、帰国後は東京のスタジオでメインキャスターを務めた。 1994年3月にフジテレビを退社。フリーアナウンサーに転身し、『投稿!特ホウ王国』などの司会を務める。
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