稲尾和久
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関連情報
著書・書籍
- 『臥薪嘗胆の戦士たち』(1985年5月、大阪教育図書)
- 『鉄腕一代:超人投手の豪快野球人生!』(1993年7月、ベースボール・マガジン社)
- 『生まれ変わるピッチング:勝つための野球』(2001年7月、新星出版社)
- 『神様、仏様、稲尾様:私の履歴書』(2002年2月、日本経済新聞出版社)
- 2004年12月に加筆し同社から文庫化(日経ビジネス人文庫266)
- 『鉄腕伝説 稲尾和久 ― 西鉄ライオンズと昭和』(2007年12月、西日本新聞社)
映画
出演番組
- 稲尾Q談 - 1983年10月 - 1984年3月、朝日放送制作・テレビ朝日系列で日曜朝8:30 - 9:00のトーク番組。司会を担当。当時21歳の長女がアシスタントとして出演。
- この人「稲尾和久ショー」(1983年3月10日、NHK)
- 今日感テレビ
- 侍プロ野球
- RKBエキサイトナイター
- TBSラジオエキサイトナイター
- ゴールデンナイター(ABC制作分、オールスターゲームや日本シリーズではテレビ朝日の中継にゲスト解説で招かれることもあった)
- ABCフレッシュアップナイター
CM
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 稲尾和久 - NPB.jp 日本野球機構
- 野球殿堂 稲尾和久 - 公益財団法人野球殿堂博物館
- 稲尾和久 - NHK人物録
注釈
- ^ 2013年に田中将大が更新するまで56年間も保持。
- ^ 1956年の三浦方義の29勝を更新。
- ^ この「神様、仏様、稲尾様」という見出しは、2008年のライオンズ・クラシックの第4章(対北海道日本ハムファイターズ戦)でもサブタイトルとして付与されている。
- ^ 2019年に平井克典が更新
- ^ 完封は7で、土橋正幸9に次ぐ2位。
- ^ シーズン奪三振の当時の日本記録は、1955年の金田正一(国鉄)の350であった。稲尾は最終的に353を記録して金田の記録を更新した。後に1968年に江夏豊(阪神)に401で抜かれたが、現在でもパ・リーグ記録である。
- ^ 太平洋クラブはネーミングライツによる冠スポンサー
- ^ ただし、解説者は稲尾の他に野口正明もいた。
- ^ 西武ライオンズ(埼玉西武ライオンズ)となった後も、背番号「24」は小川史、秋山幸二、平野謙、小野和義、金村義明、眞山龍、松永浩典ら、そのまま他の選手が使用していた。永久欠番になる前に最後に24をつけた選手はライアン・マルハーンであった。
- ^ また、権藤は稲尾の普段の生活スタイルや歩き方までも真似するほどの私淑ぶりだったと述べている
- ^ この愛称を最初に呼び始めたのは、先輩の河村と和田博実である(新貝行生『鉄腕稲尾の遺言』弦書房より)。
- ^ 最年少は金田正一(24歳10ヶ月)、プロ入り7年目での資格獲得は史上最速
出典
- ^ 『鉄腕一代』18頁
- ^ 『鉄腕一代』22-23頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>31頁
- ^ 「西鉄ライオンズ」と、稲尾投手の軌跡 - 西日本シティ銀行(ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」)
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>34頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>36頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>40-41頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>45頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』40,42頁
- ^ 河村の著書『西鉄ライオンズ-伝説の野武士球団』や映画『鉄腕投手 稲尾物語』でも語られている。
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』49頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』60頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』62頁
- ^ 週刊ベースボール連載コラム「豊田泰光のオレが許さん!」稲尾追悼回
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』64頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』75頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』77頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』76-77頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』87-88頁
- ^ 年度別成績 1956年 パシフィック・リーグ
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』103頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』169-170頁
- ^ 年度別成績 1957年 パシフィック・リーグ
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』136-137頁
- ^ 年度別成績 1958年 パシフィック・リーグ
- ^ 鉄腕はヘトヘトに疲れていた…西鉄、奇跡の大逆転V裏話 スポニチ 2008年10月21日[リンク切れ]
- ^ サイちゃん主演映画「鉄腕投手 稲尾物語」がクランクイン スポニチ 2007年1月23日
- ^ 『鉄腕一代』145頁
- ^ 『鉄腕一代』153頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>169-170頁
- ^ 年度別成績 1961年 パシフィック・リーグ
- ^ 『プロ野球記録大鑑』815頁
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』文藝春秋〈文春文庫ビジュアル版〉、1986年、35頁
- ^ 高橋安幸『伝説のプロ野球選手に会いにいく』白夜書房、2008年、pp.219 - 220
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>171頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>171, 173頁
- ^ 実際には、ほかに10年選手功労金300万円を加算。
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>177頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>180-181頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>181頁
- ^ 鉄腕稲尾和久、最速達成 たった7年で200勝 スポニチ 2009年8月25日
- ^ 『鉄腕一代』161頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>186-187頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>191頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>192-193頁
- ^ 『鉄腕一代』176頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』194頁
- ^ 『鉄腕一代』177頁
- ^ a b 『鉄腕一代』180頁
- ^ a b 『神様、仏様、稲尾様』196頁
- ^ a b 『神様、仏様、稲尾様』198頁
- ^ 『鉄腕一代』183頁
- ^ 年度別成績 1966年 パシフィック・リーグ
- ^ 2004年にNHK衛星第1テレビジョンで放送された「スポーツ大陸 よみがえる熱球第7集「二つの引退」」のインタビューで自ら述べている。
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』200頁
- ^ 『鉄腕一代』246頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』203頁
- ^ a b 『鉄腕一代』247頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』204頁
- ^ 『鉄腕一代』245-246頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』206-207頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』207-208頁
- ^ 『鉄腕一代』249頁
- ^ 『鉄腕一代』252頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』209頁
- ^ 『鉄腕一代』253-254頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』211頁
- ^ a b c d e f No.10 稲尾さんのビンタとヨガ修行指令
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』212頁
- ^ a b 『鉄腕一代』258-259頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』221-222頁
- ^ 『鉄腕一代』262頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』222-223頁
- ^ a b “【背番号物語】西武「#24」振り返られた西鉄の栄光。“鉄腕”の永久欠番が西武を黄金時代に導いた?”. 週刊ベースボールONLINE. ベースボール・マガジン社 (2021年1月31日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』226頁
- ^ 青木一三『ここだけの話 プロ野球どいつも、こいつも…』ブックマン社、1989年、138- 140頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』227頁
- ^ a b 『神様、仏様、稲尾様』228頁
- ^ 「中日・鉄腕コーチ 一味違う投手矯正法 ウィリアム・テルならぬイナオ・テル」日刊スポーツ1978年2月3日
- ^ 日めくりプロ野球 12月 【12月20日】1979年(昭54) 藤沢公也→小松辰雄 契約更改でも“快勝リレー”
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』237頁
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』241-243頁
- ^ a b ベースボールマガジン、2020年9月号、東映フライヤーズ暴れん坊伝説 (ベースボールマガジン別冊夏祭号) 、ベースボール・マガジン社、パンチ佐藤の漢の背中、第43回ゲスト 佐藤道郎さん、92頁
- ^ 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 Part.10 [1984年編] (週刊ベースボール別冊秋風号)、ベースボール・マガジン社、2020年、78-79頁
- ^ a b 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 Part.10 [1984年編] (週刊ベースボール別冊秋風号)、ベースボール・マガジン社、2020年、76-77頁
- ^ 幻に終わった「ロッテ福岡移転計画」監督候補は稲尾和久氏 - Newsポストセブン(2012年7月4日)
- ^ 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 Part.2 [1986年編] (週刊ベースボール別冊冬桜号)ベースボール・マガジン社、2019年、60頁
- ^ a b 山室寛之『1988年のパ・リーグ』新潮社、2019年7月16日、第1章 - 第4章[要ページ番号] ISBN 9784103527312
- ^ ロッテの福岡移転は実現寸前まで…/山室寛之氏・中 - プロ野球 : 日刊スポーツ
- ^ テリー伊藤『お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝』光文社<知恵の森文庫>、2004年11月、[要ページ番号] ISBN 9784334783259。
- ^ 稲尾和久急逝 恩師の死に落合博満は…ライバル野村克也は… スポーツニッポン 日めくりプロ野球 11月13日
- ^ ライオンズ鉄腕稲尾「24」西武で永久欠番 日刊スポーツ 2012年4月28日
- ^ ライオンズ・クラシック 稲尾和久 生誕75周年 永久欠番メモリアルゲーム ~背番号「24」の記憶~ 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト(2012年5月1日配信)
- ^ a b c d 稲尾和久『神様、仏様、稲尾様:私の履歴書』日本経済新聞出版、2002年、[要ページ番号]
- ^ 『鉄腕一代:超人投手の豪快野球人生』 自の投球フォームの分析時に語っている。
- ^ 自著『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>132-133頁
- ^ 自著『神様、仏様、稲尾様』<文庫版>136頁
- ^ 二宮清純著「最強のプロ野球論」(講談社)
- ^ 『Number』468号(1999年4月22日号)
- ^ 松井浩著「打撃の神髄 榎本喜八伝」(講談社)
- ^ a b 野村克也著『私が見た最高の選手、最低の選手』
- ^ a b 王 貞治、長嶋茂雄、田中将大、大谷翔平……球界のレジェンド・野村克也が『パワプロ』各選手&自身の能力データをボヤキながら分析してみた 2018年9月28日付
- ^ 大沢啓二談、『サンデーモーニング』週刊 御意見番(TBS系)、2007年11月18日
- ^ 2004年放送のNHK衛星第1テレビジョン「スポーツ大陸 よみがえる熱球第2集「背番号「3」燦々」でのインタビューより。
- ^ 『伝説のプロ野球選手に会いにいく』白夜書房2008年 P210~211
- ^ 『伝説のプロ野球選手に会いにいく』白夜書房2008年 p215
- ^ 清原和博は一晩500万円! プロ野球「夜遊び“剛速球”伝説」
- ^ 変わっていなかった稲尾さんの鉄腕
- ^ 『神様、仏様、稲尾様』127頁
- ^ 週刊ベースボールプラス6 1950-2011 わが愛しのスワローズ 国鉄から始まった栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2011年、P33
- ^ 『九州ライオンズ激闘史―1950ー1978 (B・B MOOK 1123)』ベースボール・マガジン社、2014年、91頁。
- ^ 落合博満著、コーチング―言葉と信念の魔術、ダイヤモンド社、2001年、181-184頁
- ^ 「稲尾さんは本当に神様」ノムさん、星野さん…レジェンド支えた新人王投手・佐藤道郎 私生活では2度離婚 あの人~ネクストステージ - まいどなニュース(2020.01.25)
- ^ “2007年 日本プロスポーツ大賞発表!!”. 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人日本プロスポーツ協会. 2017年11月25日閲覧。
- ^ 「CF撮影余話(キリンビール)」『近代企業リサーチ 7月10日』第708号、中小企業経営管理センター事業部、1994年7月10日、77頁、NDLJP:2652209/39。
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