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木本元敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 01:08 UTC 版)

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木本 元敬(きもと げんけい、1920年大正9年)2月22日 - 2014年平成26年)9月12日)は、日本実業家西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。

人物

福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校京都帝国大学卒業。1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社し、専務、副社長を経て社長に就任した。専務時代の1970年(昭和45年)には、プロ野球西鉄ライオンズのオーナーに就任、黒い霧事件の処理におわれたが、1972年(昭和47年)に球団の身売りを決断した[1]。副社長時代はバスワンマン化、社長時代はバス事業や不動産事業、物流事業の拡大など経営の多角化を進めた[2]。社長退任後は同社会長、相談役を歴任した。そのほか、九州鉄道協会会長、日本経済団体連合会理事などを務めた。1980年(昭和55年)に紫綬褒章1996年(平成8年)に勲二等瑞宝章を受章した[3]

第二次世界大戦陸軍の歩兵部隊に入隊したが、フィリピン戦線で負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという[2]

略歴

  • 1965年(昭和40年)11月  取締役 
  • 1967年(昭和42年)11月  常務取締役
  • 1970年(昭和45年)5月  代表取締役専務取締役
  • 1970年(昭和50年)6月  代表取締役副社長 
  • 1981年(昭和56年)6月  代表取締役社長
  • 1985年(昭和60年)6月  取締役会長
  • 1991年(平成3年)6月  相談役
  • 2014年 (平成26年) 9月 死去。94歳没。

脚注

  1. ^ 【あの日】西鉄ライオンズが身売り発表=10月27日”. 西日本新聞. 2021年1月23日閲覧。
  2. ^ a b INC, SANKEI DIGITAL. “木本・西鉄元社長の「お別れの会」” (日本語). 産経ニュース. 2021年1月22日閲覧。
  3. ^ 当社相談役 木本元敬 訃報のお知らせ”. 西日本鉄道株式会社. 2021年1月23日閲覧。


先代:
吉本弘次
西日本鉄道社長
第11代:1981年6月27日 - 1985年6月28日
次代:
大屋麗之助



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