昭和61年 (ひのえとら 丙寅)
年(年号) | |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック |
●1976年 (昭和51年) | ■ロッキード事件 |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック |
●1982年 (昭和57年) | ■東北・上越新幹線開通 |
●1983年 (昭和58年) | ■大韓航空機撃墜事件 |
●1985年 (昭和60年) | ■日航ジャンボ機墜落事件 |
●1986年 (昭和61年) | ■国鉄分割・民営化 |
●1989年 (平成元年) | ■ODA世界第1位となる |
●1989年 (平成元年) | ■消費税導入 |
●1991年 (平成3年) | ■バブル崩壊 |
●1992年 (平成4年) | ■国際平和協力法成立 |
●1995年 (平成7年) | ■阪神大震災 |
●1995年 (平成7年) | ■地下鉄サリン事件 |
●2000年 (平成12年) | ■地下鉄大江戸線開通 |
●2003年 (平成15年) | ■江戸開府400年 |
・ 加藤 シヅエ | 1897年〜2001年(明治30年〜平成13年) | 89才 |
・ 田河 水泡 | 1899年〜1989年(明治32年〜平成元年) | 87才 |
・ 大岡 昇平 | 1909年〜1988年(明治42年〜昭和63年) | 77才 |
・ 黒澤 明 | 1910年〜1998年(明治43年〜平成10年) | 76才 |
1986年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 08:23 UTC 版)
1986年(1986 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。昭和61年。
- 1 1986年とは
- 2 1986年の概要
1986年~(現役晩年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:06 UTC 版)
「ジミー・コナーズ」の記事における「1986年~(現役晩年)」の解説
その後のコナーズは、年齢的な衰えもあって好成績は少なくなり、1986年は15年ぶりにグランドスラム準々決勝に進出できなかった(しかしグランドスラム以外の大会では軒並み好成績を維持しており、この年もトップ10を守っている)。しかし翌1987年は、35歳を迎えるにも関わらず全仏では準々決勝、ウィンブルドンと全米では準決勝まで進出した。その後はグランドスラムでの早期敗退も増えたが、地元の全米では1988年、1989年にも準々決勝まで進んだ。1990年は手首の手術を受け、公式戦にほとんど出場しなかった(0勝3敗)。しかし翌1991年は、全米オープンで、コナーズはワイルドカードで辛うじてノーシード選手として出場。深夜まで繰り広げた第1ラウンドでパトリック・マッケンローに第5セットで競り勝つ。第2、第3ラウンドでストレート勝ちし、39歳を迎える第4ラウンドでアーロン・クリックステインとの歴史的な死闘を繰り広げ、第5セットで見事逆転勝利を飾る。準決勝で当年度の全仏オープン優勝者ジム・クーリエにストレートに敗れてベスト4に留まったが、コナーズの久々の活躍はアメリカのテニスファンを大いに沸かせた。 コナーズが1年間をフル参戦したのは1992年が最後でこの年を限りを限りに第一線を退いたが、その後も年に数大会ずつの出場記録があり、1996年(1大会のみ)まで出場記録が残っている。先述したように、その長い選手生活で数々の大記録を残している。他にも20年連続グランドスラム出場をはじめ、14年連続グランドスラム準々決勝進出など、選手生命の長さを象徴する記録を持っている。(2018年時点で、フェデラーが20年連続グランドスラム出場、16年連続グランドスラム準決勝進出を達成中)。 全米オープン5勝は、ピート・サンプラス・ロジャー・フェデラーと並ぶ大会最多タイ記録(オープン化前の全米選手権では、リチャード・シアーズ、ウィリアム・ラーンド、ビル・チルデンの3人が7度優勝している)。また、全米オープンではシングルス通算で98勝を挙げた。これは全米の最多勝記録である。以下2位のフェデラーが85勝(2018年終了時)、3位のアガシが79勝,4位のレンドルが73勝、5位のサンプラスが71勝と2位以下に大きな差をつけている。 ウィンブルドンでもシングルス通算で84勝を挙げており、フェデラーの95勝(2018年終了時)に次いで2位である。3位のベッカーが71勝、4位のサンプラスが63勝と、こちらも3位以下に大差をつけている。 全盛期に出場できなかった全仏オープンのみ優勝には手が届かず、4度の準決勝止まりに終わった。
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1986年(1985年大晦日)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 19:01 UTC 版)
「エンドレスナイトスペシャル」の記事における「1986年(1985年大晦日)」の解説
この年は関西テレビ近くの太融寺境内で「TVオークション」(前年春まで放送されたチャリティーオークションコーナー)を初の公開形式で展開。前夜21時の開場とともにファンが殺到し、番組の冒頭では「今から来ても入れません」という告知がなされた。オークションでは当時45万円の価格だったワープロが、10万円で買えるなどの激安ぶりに、その興奮はヒートアップする一方だった。 この他にも京都・円山公園で開催された深夜のファッションショー、神戸ワールド記念ホールで行われた、さだまさしのオールナイトコンサート会場、深夜の結婚式場など、6元生中継で展開した。また、スタジオでは「86年これが流行る!」と題し、番組独断で珍グッズやグルメを紹介する企画などが放送された。 なお、この日の放送と直接の関係はないが、その「公開オークション」が開催される24時間前の12月31日未明、会場である太融寺近くで強盗傷害事件が発生した。これを受けて番組は、1986年2月22日に「勇気ある追跡!大阪北区太融寺傷害事件・TV公開調査」を放送。関西テレビの報道記者に加え、大阪府警の刑事も番組に出演。スタジオでは視聴者からの目撃情報を10台の電話で受け付けた。若者向けの情報バラエティ番組としては異例の企画であったが、早期解決に向けて、生放送を活用した、番組の新たな試みであった。
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1986年(4月地方・福岡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:43 UTC 版)
「愛のカレードスコープ」の記事における「1986年(4月地方・福岡)」の解説
※地方公演、福岡公演共通。 役名生徒名(団員名)エスカミリオ 平みち クリスチーナ 神奈美帆 ソニヤ 真咲佳子 イグナシオ 千城恵 役名生徒名(団員名)ジョージ 平みち カレン 神奈美帆 アラン 箙かおる オスカー 北斗ひかる 役名生徒名(団員名)ビクトール 平みち マリー 神奈美帆 カール 一路真輝 マリア・テレジア 晃みやび
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1986年(全7タイトル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:49 UTC 版)
「セガ・マークIIIのゲームタイトル一覧」の記事における「1986年(全7タイトル)」の解説
9月 チョップリフター(セガ、128Kカセット) 9月 Hang-On / Astro Warrior(ハングオン/ アストロウォリアー)(セガ、128Kカセット) 9月 Hang-On / Safari Hunt(ハングオン / サファリハント)(セガ、128Kカセット) 10月 Astro Warrior / Pit Pot(アストロウォリアー/不思議のお城ピットポット)(セガ、128Kカセット) 11月 Black Belt(セガ、128Kカセット) - 『北斗の拳』のキャラクター差し替え作品。 11月 Marksman Shooting & Trap Shooting(セガ、128Kカセット) 日付不明 サファリハント(セガ、マスターシステム2.4 BIOSバージョンを内蔵)
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「1986年」の例文・使い方・用例・文例
- バンコマイシン耐性腸球菌は1986年に発見された。
- 『極道の妻たち』は、1986年、東映配給網により公開されたヤクザ映画。
- フランスのフェミニスト、実存主義者、小説家(1908年−1986年)
- 米国の映画俳優で、強靭な役柄で知られる(1899年−1986年)
- 米国の詩人で評論家(1916年−1986年)
- 米国のクラリネット奏者で、1934年にビッグバンド(黒くて白人のミュージシャンを含んでいる)を形成して、スイングとして知られている一種のジャズを紹介した(1909年−1986年)
- 米国の俳優(英国生まれ)で、多くの映画の上品な主演男優(1904年−1986年)
- 米国の金融家で、ソ連が核兵器試験を禁止する条約を交渉した(1891年−1986年)
- 米国のSF作家で、サイエントロジーの創始者(1911年−1986年)
- 米国の作家(イギリス生まれ)で、最もよく知られる小説は1930年代のベルリンを描写し、詩中の劇を書く際にW.H.オーデンと共同制作した(1904年−1986年)
- 米国の作詞家で、作品がフレデリックロエベと共にミュージカルで協力して作業した(1918年−1986年)
- 米国の生化学者(ドイツ生まれ)で、代謝プロセスの研究で知られる(1899年−1986年)
- 米国の作家(1914年−1986年)
- ソビエトの政治家(1890年−1986年)
- 英国人彫刻家で、非常に大きく生物の形をした作品を作った(1898年−1986年)
- 米国の画家(1887年−1986年)
- 米国の法律専門家で、1972年から1986年まで、裁判長に任命されるまでの間、連邦最高裁判所の陪席判事を勤めた(1924年生まれ)
- 米国の海軍大将で、原子力潜水艦の開発を支持した(1900年−1986年)
- 米国の歌手で、愛国歌のその解釈で知られる(1909年−1986年)
- 米国の生化学者(ハンガリー生まれ)で、初めてビタミンCを分離した(1893年−1986年)
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