1986年 - 1990年 第一次ブームとは? わかりやすく解説

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1986年 - 1990年 第一次ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:59 UTC 版)

パラパラ」の記事における「1986年 - 1990年 第一次ブーム」の解説

1986年頃から、新宿東亜会館というビル中にある、客層のほとんどを中高生占めディスコで、曲に合わせて手の振りで踊るパラパラ呼ばれる踊り流行り出した。これは東亜会館ディスコならではの踊りであり、東京都内の他のほとんどのディスコでは店の雰囲気そぐわないとしてパラパラ禁止にしていた。もし東亜会館以外のディスコパラパラをした場合は、高確率で「パラパラはやめて下さい」等とDJからマイク使って注意された。それでもパラパラ止めない者は、店員によってダンスフロアからつまみ出され、店への出入り禁止という最悪処分を受ける事もあった。 東亜会館ディスコパラパラで踊られた曲名 / アーチスト一部ではあるが以下に紹介。 ■Pistol In My Pocket / Lana Pellay ■Dance Your Love Away / Michael Prince ■Something In My House / Dead Or AliveBoom Boom / Paul LekakisWhisper To A Scream / Bobby O ■Play Boy / David Lyme ■The American Dream / The Big SmokeTonight / Ken Laszio 尚、同時期に名古屋地域では、星の子呼ばれる手の振り踊り存在していた。 1988年東亜会館の中のひとつのディスコが、店名変更した後、パラパラ禁止方針変換こうした理由もあり東亜会館パラパラ徐々に衰退していくことになる。 1980年代後半バブル時代)に大人楽しめる高級ディスコとして当時としては画期的な青山King&Queen」やマハラジャ麻布十番店など、いわゆるNOVA21系の高級ディスコにおける女性客の集客主業務とする従業員である「黒服」と常連女性客の間で、パラパラ広まった当時パラパラレコード会社によるパラ振りビデオ存在せず、各店の黒服常連作っていたため店によって振り違い黒服教えて貰うか通って見て覚えるしかなかった。 楽曲的には、当時イギリスなど流行していたデッド・オア・アライヴカイリー・ミノーグリック・アストリーバナナラマシニータなど、いわゆるPWL(ストック・エイトキン・ウォーターマンプロデュース)サウンド中心で、パラパラ当時バブル徒花黒服の芸だった。

※この「1986年 - 1990年 第一次ブーム」の解説は、「パラパラ」の解説の一部です。
「1986年 - 1990年 第一次ブーム」を含む「パラパラ」の記事については、「パラパラ」の概要を参照ください。

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