麻原彰晃への思いを記した手記
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「岡崎一明」の記事における「麻原彰晃への思いを記した手記」の解説
※グル麻原であった当時の貴方に申し上げます。 昭和60年、オウム神仙の会の主宰者であった貴方は、慈愛に満ちた心優しい本物の修行者であり、救済者そのものに見えました。『あるヨギの自叙伝』の著者パラマハンサ・ヨガナンダと、そのグルであるスワミスリ・ユクテスワとの師弟愛を話した時、貴方もよく存じており、それから二年後「わたしが弟子に対する慈愛の念を、もし言葉にするならユクテスワどころではないだろう」と、しみじみと仰ってましたね。愚かにも貴方のその言葉を信じた私はグルの中のグルと感動したものでした。 初めて受けた貴方のシャクティーパットは、衝撃的な体験でした。なぜならクンダリーニが上昇し、目の前が光で満ち溢れ、そして三十分近く私は身体を動かすことが出来ませんでした。貴方は常々「グルは弟子のカルマを見切り、コントロールしそして取り除くことが出来るんだよ」と申してましたね。だからこそ貴方は、私のカルマを取り除き霊的ステージを上昇させ、クンダリーニを体感させて呉れたのだと心から感謝し、正に貴方こそ前世のグルだと妄信し、全く疑うこともなく、出家すれば間違いなく世のため人のために修行が出来、自己の解脱・悟りも可能だと決意したのです。 貴方は、弟子達の前世夢に乗じてよくカルマ理論と永遠の輪廻を繰り返す菩薩の道と称して、グルと弟子の順縁と逆縁に付いて語られましたね。少なくとも貴方と私との前世の因縁は三つの物語として説法の中で申していました。 このような説法がオウム特有の教義の不文律となり、四六時中カルマと高次元のエネルギーをベースにしてグル中心に意識を集中させる弟子の集団へと発展され、価値観が現実社会からどんどん切り離されて行きました。当時の私達は、神秘体験の日々の中で当たり前の如く現実社会こそ幻影(マーヤ)であると考え、オウムのカルマ理論と高次元のエネルギーこそ真理であると確信し、これこそ科学であると自身をもって胸を張っていたものでした。貴方は、草創期の頃。出家した弟子たちの前で「解脱とは、器をカラッポにすることなんだよ」と仰ってましたね。それは、弟子が無心の境地に達したとき、初めてグルの高次元のエネルギーが注がれ、そして解脱に至るのだ、と。故に『虹の階梯』にあるティローパとナローパの物語がヴァジラヤーナのグルとなり、ポアの出来る密教修行者が真の解脱者であるかのような大きな錯誤へと導かれてしまったのでしょうね。 愚かにも弟子たちは、貴方が人生のすべてだと妄信し、貴方の爪や髪の毛まで煎じて飲み、説法を丸暗記し、寸暇に録音テープを聞き、グルヨーガを百万回唱え、五体投地を十万回しても尚、一日一食のオウム食で、夜は毛布二枚で座りながら寝る修行と無言の行を続け、無私の帰依を実践して来たのです。 すべて貴方の指示であり、弟子達は皆、心の底から利他行であり、功徳となり、魂の救済になると信じていたのです。 昭和六十二年の五月。貴方は二人の弟子に初めて独房修行をやらせ、たった一週間で、二人が音を上げて失敗しました。貴方は「解脱するか狂うか」と申してましたね。その後、唐突に私に「30日間もやれば成就するだろう」と申され、二人がギブアップし失敗しているのに何故私を選んだのか、当初はよく解からなかったものです。しかし修行が大好きな私ですので、カルマを落として、心の浄化が進めば、この独房修行は最高のイニシエーションになるだろうと歓喜しても、まさか気が狂うとは思いませんでした。結局、約束の30日が倍の59日もの長期集中修行となり、最後の方では肉体よりも精神面でかなり追い詰められ、意識だけの世界であったことは確かでした。いくら両眼を開いて凝らして見ても24時間真暗闇の独房修行。6時間の呼吸法と10時間のツァンダリーの瞑想法に五体投地。終わりになる頃は、四つの浄化法と逆転のアーサナを7時間もやり続けました。一日一食で、室内は蒸し暑く、一日中、汗を流しての修行で、水はペットボトル一リットルのみなので体重は減って47kgでした。お陰さまで神秘体験や幽体離脱もして、呼吸法では、一サイクル最高18分で、6分以上のクンヴァカ(保息)が出来ました。貴方は、途中二回指導に来られましたね。そして、私に、幼少の頃からの懺悔を求め、私のカルマを全て取り除かれましたね。そう信じました当時は。二回目のときは、正座している私を、右手全体で頭頂から全体重を掛けシャクティーパット以上のイニシエーション(エネルギー注入)をされましたね。あのときは、真っ赤なエネルギーが降りて来て、マニプーラチャクラが満たされたので、驚くと共に感謝の気持ちと至福に満たされた一日でした。処が途中に、忽然と隣の部屋に石井久子さんが来て「佐伯さんに今から遺書を書いて貰います。これは先生の意志です」と。驚きました。何んのための遺書かがよく解からなかったのです。しかし、終わりの頃は、もはや死んで涅槃するしか、自分は解脱できないという諦念もあったことは事実です。すると続けて石井さんは「今から私が言う文章を遺書の中に入れて作成して下さい」と。その要点は、①私が今行なう修行は麻原彰晃の指示では無く自らの意志でやっているものである。②この修行は自ら望む解脱の修行なので、たとえ死に至ることがあろうと、それは修行者として覚悟の上であり本望である。③今、行なっている解脱の修行によって、もし死に至ったとしても、その責任はオウム真理教及び代表の麻原彰晃とは何等関係ないものとする。総ては自分の意志によって始めた修行なのでオウム真理教に対して責任を追及してはならない。以上の、なんとも冷たい内容の指示であり、貴方の意志だと石井さんはハッキリ申していたので、私は何んの疑いもなく、貴方は、私の解脱を望まれ、更に心の浄化を深めようとされているのだと考え、もし修行に失敗し、死んだとしてもグルである貴方と法友たちに迷惑を掛けない内容であれば、この遺書で問題ない、と改めて帰依を深めたものでした。 なぜなら即に約束の30日を過ぎても解脱に至りませんし、やはり自分は死んで涅槃する道しかないのだろうと、そう感じながらの切迫した日々の修行でしたから。でも、この遺書に続き、養父母への遺書も書くようにと促されたときは、思わず涙が溢れてしまい、清書する手が震えてしまいました。真暗闇の中で横にライトを置いて丁寧に書いていた自分は、一般社会では決して体験できない解脱の修行法であるだけに、貴方こそ本物のグルであり仏陀の生まれ変わりだと、そう信じていたのです。その後、愚かにも成就と認められた私は、気のエネルギーに満ち溢れ、大師のワークを熟し、改めて様々な能力を発揮できたことで貴方のイニシエーションの偉大さに驚愕し心の底から錯誤に陥っていたのです。 その翌年の夏。貴方はマハームドラーの説法の中で、ヴァジラヤーナの実践が必要というニュアンスのポアを少し申されてました。そしてその翌日に、在家信徒のMさんが道場の風呂場で水を飲んで倒れたとき、貴方は、道場の二階に居る他の在家信徒の意識(魂)をMさんと入れ替えるポアによって蘇生させる方法を取りました。あのとき、私は心肺蘇生法とマウスツーマウスを岐部さんと村井さんと交互にやり続けていたとき、途中、脈が戻ったので、流石にグルは凄いと驚きましたが、結局、一時的のみで蘇生は失敗しました。 その後、名古屋支部の弟子が交通事故で集中治療室に運ばれ、女性大師からの連絡で、富士のサティアンに居た貴方は、何度も、弟子の意識(魂)を出し入れしてコントロールしていましたね。結局、最終的には、生きていても片輪のままでは修行は無理だし可哀想じゃないか、ということで、ポアを決断して、その直後、病院から死亡の連絡があり、貴方と一緒に居た上祐君は「なぜ彼をポアするのですか、片輪でも生かして置くべきです」と、怒って、貴方の部屋を飛び出したとき、私は、そのドアの外で上祐君の目が赤く腫れていたのを確認しています。部屋に入ると貴方は「否、いまマイトレーヤーが、どうしてポアするのですか、といって言い争いになってな....中略...」と仰ってましたね。このとき、私は、以前のMさんのときと併せて、本当に貴方にはポアが出来るグルであると妄信したものです。他の側近の弟子たちも、同じく貴方をそう信じていました。私がオウムを脱走する迄の平成二年頃は、薬を使用して神秘体験を促するような修行法はあり得なかった。貴方のイニシエーションと自己の修行法で、様々な神秘体験とダルドリーシッディを得ていたものです。 その後、何か大きなイベントがある度に、貴方は管理システムを強化され、成就者が増えるごとにストイックな修行法を発案され、とうとう24時間説法ビデオ垂れ流しの修行空間を、しかも「ポアの間」と称して建築班に造らせましたね。成就者が増えた為、エネルギーの低下を防ぐことも兼ねて、ワークのミスや破戒の弟子たちの為の「ポアの間」だけでなく、大師や側近の大師であっても月に5日間の修行を計画的に強制させてましたね。 当時の弟子達は、エネルギーに満ちた器(身体)に過ぎず、その器がワークやカルマの交換によって汚れたら、再び修行により元のクリアーの状態に戻すのが使命であり利他行と信じていたのです。故に「ポアの間」は、エネルギーを回復させ、心の浄化を促す最高の空間であると、むしろ貴方に心から感謝し、「ポアの間」での修行を終了した後の状態を楽しみにしていたものでした。もはや、この頃のサマナ(弟子)は四百人を超え、誰もがエネルギーの状態をキープさせる為に、お互いに肌に触れることすらも出来ずカルマの交換を虞れていたのは確かです。特に頭頂を他人に触れさせないことが修行者の心得のひとつでもありました。実際に、多くの大師たちは、道場で在家信徒の相談やコースの指導をする度に疲れが出て、エネルギーの低下を意識せざる状態を実感してます。 私も、貴方の指示でシャクティーパットを数人やらされましたが、仰るように、氣のエネルギーが吸い取られ、目の前が暗くなった体験をしてます。 今、振り返って見ると、氣のエネルギーの「氣」は氣功の氣と鍼灸の経穴の氣や、邪氣の氣と同様なものであり、オウムの教義の問題点は、この氣のエネルギーの交換が、カルマの交換とされ、そのカルマの状態が現時点のレベル(欲六界)を示すことで、(自己のステージを常に意識させるシステムの生活空間であったことが)ありもしない輪廻転生説を現実の世界観と妄信する、間違った価値観に転移されたことなのです。 そもそも、二千五百年前の仏陀はカルマや輪廻転生説を無視しており、不問としていた。私が仏教史の中で識り得たのは、平成十五年でした。 禅宗以外の、仏教とチベット密教やヒンズー教、その他の宗教等がカルマや輪廻転生説を掲げて宗派を競ってますが、真実、仏陀は、当時、宗派の信仰を否定する側の、一般意味論としての正偏智を識る人間完成の道を説いていたのです。仏陀入滅後、多くの経典の全ては、ありもしない輪廻説を大衆に煽り続け、信仰を強制して来た結果、仏教という宗教にされてしまったのです。正に、真の仏教史と法脈の流れを知らなければ、多くの人々は、仏陀を誤解するでしょう。 さて、貴方は、真の仏陀の意志とは逆に、宗教の心の呪縛という教義を選んで、自己実現の達成を夢見たのでしょうか。それとも、貴方自身、そもそも先天的なパラノイアで、しかもサイコパスの気質が備わっていたのでしょうか。今更、貴方だけに罪を被せようというつもりもなく、当然にして一緒に刑に服すのがせめてもの償いになればと思います。しかし、貴方は、どうして途中で気付かなかったのか。純粋な弟子たちはカルマを妄信し、善意のまま、何でも服従する、その狂気的な有様を見て。せめて貴方の言葉で正気のな姿で語ってほしかった。 そして、多くの疑問に応えてほしかった。弟子たちの為にも。世間様はもちろん、多くの被害者とご遺族の為にも、貴方の総てを語ってほしかった。
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