麻原逮捕後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:10 UTC 版)
逮捕後の取調で麻原は「目の見えない私がそんな事件をやれるでしょうか。信じてもらえないでしょうが……。」と語るなどし、1995年5月27日に取調室を出る際には「武士は言い訳しないものだ」と武士道のようなことを呟いた。 1995年暮れ、麻原の「どうすれば、私の真実を明らかにできますか」との問いに、安田好弘弁護士は、法廷での空中浮揚を提案、麻原は初公判に向けて東京拘置所で修行を重ねたが、「修行により体内にためたエネルギーが、看守に体を触られて消えてしまう」と述べ、結局、空中浮揚はできなかった。麻原は、時間と空間を超えて2003年に飛んだら、米国が最終宗教戦争を引き起こし、広島に二度目の原爆が落とされていたことを現実に見聞してきた、これは予言ではない、と安田に話した。また、麻原は弁護人との接見でスピッツの歌「空も飛べるはず」を歌うこともあった。
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