テロ・グループの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 22:53 UTC 版)
「シガチョフ事件」の記事における「テロ・グループの誕生」の解説
シガチョフはオウム真理教の信者であったが、ロシア担当者大内利裕が1995年のオウム事件後に脱麻原路線をとったことに反発し独立グループをつくった。 麻原逮捕後、シガチョフには「尊師がいなければ、オウムの思想、そして全人類が早期に滅亡する」との妄想が生まれた。この妄想は徐々に麻原解放の構想へと変わり、彼は自分の見解をインターネットのサイトで詳細に叙述した。1999年初め、2人のオウム信者、ボリス・トゥペイコ (Борис Тупейко とアレクサンドル・シェフチェンコ (Александр Шевченко) が彼の構想に加わった。こうして、麻原を解放し、彼をロシアに連れ出す任務を帯びたグループが誕生した。 このためには、金と武器が必要とされた。当初、彼らは、知人から1万2千ドルを借り受けた。当初、トゥペイコはトカレフTT-33(TT拳銃、いわゆるトカレフ)とカラシニコフAK47S自動小銃、およびその弾倉2個以上と弾薬を調達した。しばらく後に、もう1挺のTT拳銃が調達された。武器の点検のため、グループ構成員は郊外に出て、銃を試射した。 電気工学に明るく、破壊工作員としてグループに加わったシェフチェンコは、かなり高度な電気信管を設計した。これは、携帯電話を使った遠隔操作で起爆させるものであり、携帯電話の電波の通じるところなら、世界のどこからでも信号を送ることができたということになる。
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