省庁制 (オウム真理教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 10:07 UTC 版)
ここでは、宗教団体オウム真理教に1994年6月20日[1]に導入された内部組織である省庁制(しょうちょうせい)について述べる。
注釈
- ^ ビラ配り、勧誘を担当 - ●「戦い」の意味するもの オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
- ^ 日本の国務大臣のように「○○大臣」ではなく「○○省大臣」と呼ばれていた。ただし、朝日新聞社系のマスメディアは「○○省トップ」と呼んだ。また上祐史浩は「外務省大臣」ではなく「外報部長」、青山吉伸は「法務省大臣」ではなく「顧問弁護士」、遠藤誠一は「厚生省大臣」、土谷正実は「化学班キャップ」と呼ばれていた。
- ^ 真理科学研究所/コスミック・サイエンス・インスティテュートの略[10]
- ^ コスミック・メディカル・インスティテュートの略[12]
- ^ 尊師パーソナルスタッフの略[15]
- ^ 当初麻原は諜報省と名付けようとしたが、直球すぎてまずいと考えCHS(Chou Hou Shou)と呼ばれることとなった[17]
- ^ アストラル・ホスピタル・インスティテュートの略[19]
- ^ コスミック・ビルディング・インスティテュートの略[12]
出典
- ^ 島田、p.201
- ^ 林、p.120-121
- ^ 江川紹子『救世主の野望』 p.101
- ^ 林、p.261-263
- ^ 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち上』 p.66
- ^ 「省庁制」発足式の実態 オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
- ^ 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち 上』 p.37
- ^ a b c d 東京キララ社 2003, p. 119.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 43.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 63.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 33、 p.51.
- ^ a b 東京キララ社 2003, p. 64.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 83.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 84.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 23.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 65.
- ^ 降幡賢一『オウム法廷9』 p.21
- ^ a b 東京キララ社 2003, p. 93.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 22.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 32.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 72.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 29.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 50.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 133.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 139.
- ^ a b c - ●各省庁の実態 オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
- ^ 東京キララ社 2003, p. 134.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 138.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 68.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 113.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 104.
- ^ 東京キララ社 2003, p. 74.
- ^ 『ヴァジラヤーナ・サッチャ no.9』オウム出版、1995年 p.78
- ^ 「オウム問題 閣僚ピリピリ」 朝日新聞 1995年4月4日
[続きの解説]
「省庁制 (オウム真理教)」の続きの解説一覧
- 1 省庁制 (オウム真理教)とは
- 2 省庁制 (オウム真理教)の概要
- 3 脚注
- 4 関連項目
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