省庁制発足と松本サリン事件 (1994年6月)
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「オウム真理教の歴史」の記事における「省庁制発足と松本サリン事件 (1994年6月)」の解説
1994年5月ころ,オウムでも日本や米国のような省庁制、及び日本壊滅後のオウム国家の憲法草案を起草するよう青山吉伸に指示し、1994年6月ころの草案「基本律」には,主権は神聖法皇である麻原に属し、国名は太陽寂静国とされた。1997年に年号を「真理」として、真理元年となるとした。 1994年6月27日、東京都内のうまかろう安かろう亭で省庁制発足式が開かれ、これにより教団内に「科学技術省」「自治省」「厚生省」「諜報省」などといった国家を模したような省庁が設置された。3女松本麗華によれば、1994年6月に麻原の体調が悪化し、教団運営ができなくなる恐れが出たために、省庁制が敷かれたという。各省庁の責任者や大臣が大きな権限を持つようになり、3女は、11歳にして法皇官房長官に任命される。任命時に麻原は麗華に「お前はもう11歳だから大人だ」と言ったが麗華がふてくされていると「法皇官房は、私のことを一番に考える部署なんだ。お前は長官だから、私の世話をしっかり頼む」と言った。 同日、オウムの土地取得を巡る裁判が行われていた長野県松本市において、裁判の延期と実験を兼ねてサリンによるテロを実行。死者8人、重軽傷者600人を出す惨事となる(松本サリン事件)。当初はオウムではなく第一通報者の河野義行が疑われ厳しい追及が行われるなど、後に捜査の杜撰さが指摘された。またマスコミによる報道被害も問題になった。教団は松本サリン事件はフリーメーソンやアメリカの仕業だと主張。
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