番組の遍歴
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「今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」の記事における「番組の遍歴」の解説
2005年4月、「決定!これが日本のベスト100全国一斉○○テスト」の番組内容がリニューアルされ、雑学クイズ企画がスタート。これが後の特番「芸能人(芸人)雑学王最強No.1決定戦SP」や「クイズ雑学王」の源流となった番組でおり、テロップやBGMは当時のものをそのまま流用している。 2005年9月25日18時30分 - 20時54分(JST)、同番組内の企画として、最終回に「史上最強の芸人雑学王No.1決定戦SP!!人気お笑い芸人21人が大集結…バカは即!強制退場…2度とテレビに映りません!!師匠vs若手の大バトル」と題し放送。以後、不定期に「芸能人(芸人)雑学王最強No.1決定戦SP」が放送されるようになる。 2005年12月30日19時00分 - 21時48分(JST)、2006年6月29日19時53分 - 21時48分(JST)、「芸人雑学王No.1決定戦SP」(後述)を放送。 2007年1月8日19時00分 - 21時48分(JST、月バラ!枠)、2007年4月12日19時00分 - 21時48分(JST)、「芸能人雑学王最強No.1決定戦SP」(後述)を放送。平均視聴率は17.9%の高視聴率を獲得した。 2007年5月13日15時30分 - 17時25分(JST、日曜ワイド枠)、特別番組として、第1回が放送された。以降、『バラエティ祭』のどちらかの枠で半月に1回のペースで、合計5回放送された。 2007年9月27日19時00分 - 21時48分(JST)、「芸能人雑学王最強No.1決定戦SP」を放送。番組最高視聴率22.4%の高視聴率を記録した。 2007年10月3日 - 12月19日、毎週水曜日の23時15分 - 翌0時10分(JST、ネオバラエティ枠)で週1放送。2007年12月30日23時30分 - 翌0時30分(JST)、総集編を放送し、視聴率は13.5%(ビデオリサーチ関東地区調べ) 2007年12月31日23時30分 - 2008年1月1日1時30分(JST)「年越し雑学王」と題して、初の生放送。全国各地に年末年始の知りたい雑学をアンケートし、人気の高かった年末年始雑学のベスト10をランキング形式で出題。無人島にいたよゐこも生中継で出題。年越し時には仁摩サンドミュージアムからのカウントダウン中継もあった(しかし、「仁摩サンドミュージアム」がある島根県はテレ朝の系列のない地域であるため一部の地域では見られない)。ただ、司会の爆笑問題は23時45分までバラエティー番組『1億分の1の男』(フジテレビ系、但しテレビ大分・テレビ宮崎除く)に出演していたため、23時45分頃に登場した。開始から15分の間は2008最初に使える雑学でベスト10に漏れた問題や前番組の無人島中継を時間調整して埋めた。 2008年1月9日 - 、毎週水曜日の20時00分(一部地域では19時54分から前座番組として「このあとクイズ雑学王」を放送) - 20時54分(JST)に週1放送。ネオバラ枠からのゴールデン移動はよくあることだが、わずか3か月でのゴールデン枠移動は過去のテレビ朝日の番組の中では最速となる。 ゴールデン移動初回は、3時間スペシャルとして『芸能人雑学王最強No.1決定戦』(後述)として放送、関東での視聴率は17.7%で同時間帯1位となった。通常放送では開始当初から9月まで1桁を記録することが若干多かったが、開始した10月以降は2桁をキープしていた。 2008年12月31日23時30分 - 2009年1月1日1時30分(JST)前年に続いて「年越し雑学王」を生放送。太宰府天満宮からのカウントダウン中継があった。 2009年2月4日19時00分 - 21時48分(JST)テレビ朝日開局50周年記念『50時間テレビ』の一環として3時間のスペシャルが放送され、50年の歴史からの雑学が出題された。さらにこの日の23時15分 - 翌0時10分(JST)には久しぶりに「芸人雑学王No.1決定戦」のタイトルで生放送された。 2009年12月31日23時30分 - 2010年1月1日1時30分(JST)「年越し雑学王」を生放送。年越しの瞬間は、「太田の雑学ウソ?ホント?」でテレビ朝日屋上の出題者ジュディ・オングが「魅せられて」を歌っている最中にジュディ・オングの衣装全体がスクリーンになった場面だった。なお、市谷亀岡八幡宮や吉水神社からの初詣出題も生中継された。 2010年春の改編で、4月より水曜20時台は『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』が放送開始される。それに伴い、同時間帯での放送は2010年3月3日をもって終了。同年4月5日から番組名を「雑学王」と変えて月曜深夜11:15(一部地域除く)へ移動。同時に通常回の出題ナレーションも杉本るみから矢島アナに変更するが、スペシャル回での出題ナレーションは杉本のまま。シーズン2からは杉本るみに戻されたが、シーズン3では再び別の人物に変更された。 2010年10月からの雑学王シーズン3から雑学クイズ常連の芸能人が降板。解答者5人が芸人オンリーになり、番組構成もクイズより解答中のトークに比重が置かれ、同じく爆笑問題が司会をしていた「検索ちゃん」に近いテイストになっている。11月22日放送分から、左端に「伸び悩み芸人枠」を設けた(解答者は6人。12月20日分のみ伸び悩み芸人枠は排除されている)。2011年1月24日放送分からは、最下位の回答者には、罰ゲームとして太田が出したお題で即興コントをやらされる。 2011年9月26日をもってレギュラー放送は終了した。 レギュラー放送終了後は、不定期に特番として放送されていた。2012年3月22日(木)19:00 - 21:48の放送を最後に5年間放送されていなかったが、2017年4月3日(月)19:00 - 21:48に5年ぶりに特番が放送された。2017年9月25日 (月) 19:00 - 21:48にも特番が放送された。 2019年4月1日(月)19:00 - 21:48に1年半ぶりに特番が放送された。
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番組の遍歴
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「嘉門達夫のネットでごめん!」の記事における「番組の遍歴」の解説
2001年3月18日 コンテンツ開始前の同日に、『ネットでごめん!』プロト放送として「嘉門達夫渋谷ライブ」生放送が試験的に行われた。 2001年4月 本放送開始。放送第1回では番組の概要および各種投稿コーナーの紹介のみに留まった。 2001年12月 西村が正式な降板発表も無く突然の番組降板。その後は嘉門がひとりで番組を進行するようになる。 『ネットでごめん!』第1部終了。 2002年2月 『ネットでごめん!』第2部放送開始。 リスナーの1人が200ポイントの「嘉門達夫私物詰め合わせ」を獲得。 2003年12月 2年9か月間の放送が終了。その後も嘉門は『嘉門達夫の万能塾』や『嘉門達夫のナリキン投稿天国』などを担当。
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番組の遍歴
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鶴瓶がリスナーから番組宛に届いたハガキを読みながら、フリートークが進み、時には気になったリスナーへスタジオから電話を直接 掛けていた。テレビの今、ラジオの今後、政治経済、友人知人の話しと鶴瓶ワールド全開で時に厳しく、時に本気で熱く話していた。番組のラスト15分前後はスタジオの直通電話で早掛けで繋がったリスナーと会話を行って、点天の餃子を鶴瓶の権限でプレゼントしていた。 中村行延の弾き語りが不定期で行われた。福島道場で一度、リスナーの奥様が誕生日ということで電話を掛けて弾き語りをしたところ、電話を切られてしまい、その後は何度掛けても出てもらえなかったことがある。 毎月 第1土曜日は「福島道場」と名付けて、スタジオに観客を入れ、公開生放送を行っていた。 『青春のアンコール』時代より、中村を迎えての電話生リクエストや、スタジオでのフォークライブなどの企画が多かった。また、この番組がきっかけで、鶴瓶のトークとフォークライブの組み合わせという番組形式は後にABCテレビの『ねごとの穴』などでも展開された。 年2回(当時)の聴取率調査週間は惜しくも終了してしまった過去のラジオ番組を実際の出演者を呼んで番組内で再現したり、終了していない番組でも現実には実現しない出演者の組み合わせで放送するという企画が行われたことがあり、『フレッシュ9時半!キダ・タローです』をキダ・タローと初代アシスタントを呼んで行ったり、『ポップ対歌謡曲』を司会:鶴瓶、回答者:キダ・タロー(歌謡曲側)、新野新(ポップ側)として行ったことがある。 番組中期には「全国制覇」と称し、大阪発の番組の電波を受信したリスナーからの電話を受け付け、最初に繋がったリスナーを「城主」と命名。全国47都道府県の全てを網羅しようという企画を行い、見事に達成した。1990年5月9日の放送で「番組名のつるべがおかずはどういう意味で付けたのか?」とリスナーからの疑問に鶴瓶自身がタイトルを付けたことを公表して、「僕をおかずにして皆さんは寝てください、僕は弁当で言うと鮭だ」と話し、浅川は「私は梅干し」と発するとメンバーから爆笑と拍手が起こった。 1998年5月30日の放送では、毎月続けていた福島道場を一時休止すると発表。ディレクターの交代により、同じリスナーばかりが毎月来てしまうことになったマンネリを打破するためと説明。番組には道場閉鎖反対の手紙が殺到。反対の中で2通だけ、賛成の意見が書かれていた。 その後、1998年8月28日夜に事前収録という形で福島道場が復活。この時の模様は8月29日に放送した。10月31日は生放送で福島道場が復活。 以降、「おかずテレホン」(通称・テレクラ)と題して、梅田、なんば、天満などで鶴瓶の弟子やスタッフがチラシを配り、放送日の電話番号に掛けてもらい、メンバーと電話するという企画を行った。通常は生放送だが、この企画の時は収録が多かった。 1998年10月3日のオープニングで、さらっと「12月で終わるんですよ」と発表。「ダイエーが降りたんです」とダイエーの生コマーシャルが毎回 無茶苦茶だったことを指摘しながらも「僕は本当はずっと続けたかったけど、1998年1月頃に(ディレクターから)1998年4月で終わりませんか?」と伝えられ、さらには「(4月以降は)鶴瓶さんだけで続けたい」と打診された。鶴瓶自身の地位とラジオでのギャラが高騰していて、他のメンバーをリストラして、鶴瓶だけの番組を提案されたとのこと。 その事に鶴瓶自身が「僕、ほんまにこの番組おもろい思てたんですよ。辞めるのはいいけど、レーティング(聴取率)がとんでもなく、はじけてた」とのこと。中村行延も「レーティングがずっとトップを独走していた。番組が始まって、7年間。一度もトップの座を譲ったことが無かった」と告白。結果を踏まえて、4月以降も続けようと決まったものの、1998年8月にディレクターから再び呼び出され、「もう持ちません」と終了の通達を受ける。 鶴瓶自身が本当に面白いと思っていたから「このメンバーで、どっか行きませんか?」と他局で同じメンバーでやろうと呼びかけた。 この番組は提供スポンサーの点天も浅川美智子の出演に関しても鶴瓶自身が全て引っ張ってきた上で番組を心底 楽しんでいた為、「いい形で幕引きしよう。そしたら僕(鶴瓶)だけが残るわけじゃなく、楽しいうちに終われる」とディレクターと相談の上、1998年12月12日で終了が決まった。
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番組の遍歴
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「松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」の記事における「番組の遍歴」の解説
この番組は、松井選手がヤンキースに入団した2003年度のシーズンから始まっており、2003年度はヤンキース関連の実況・取材をする師岡正雄アナウンサーが出演した「ショウアップナイターストライク!」土曜日版、2004年度は「板東英二のバンバンストライク」で、「松井秀喜 挑戦への道( - ちょうせん - )」と題して放送していた。2005年度は「松本ひでおのショウアップナイターストライク!」(月曜日19:40ごろ)での放送となった。 2006年度は、ナイターシーズン中は「石井一久のプロ野球バンザイ」、ナイターオフは「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」にそれぞれ内包して放送されている。 2007年度と2008年度のナイターシーズン中は松本ひでおと長谷川滋利のやっぱり、野球は面白い!、2007年度のナイターオフは2006年度のオフ同様「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」にそれぞれ内包して放送されている。 2009年度のナイターシーズン中は「ジョニー黒木のショウアップナイターマンデースペシャル」、ナイターオフは「ショウアップナイターバッテリー」に内包して放送されている。この年、ヤンキースはワールドシリーズを制しワールドチャンピオンとなり、松井自身もシリーズMVPを獲得。文字通り「ワールドチャンピオンへの道」を達成した。 松井は2009年シーズン終了後、エンゼルスに移籍。これにより2010年4月よりタイトルを『松井秀喜2010新たなる頂点へ』に変えて放送。ナイターオフでは2010年度の「広瀬香美 ラジオdeフォロ〜ミ〜」、2011年度は「松本ひでお 情報発見 ココだけ」にそれぞれ内包していた。 松井はスケジュールの都合で出演しない日もあり、その場合はAKI猪瀬が松井を中心としたメジャーリーグ情報を伝えた。 しかし2012年に松井がチーム無所属の状態に入ったため、番組もひとまずの休止に入った(シーズン開始後にタンパベイ・レイズに入団したが、番組再開はせず)。
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「糸居五郎のオールナイトニッポン」の記事における「番組の遍歴」の解説
オールナイトニッポン 月曜- 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜 25:00 - 29:00 糸居五郎 次担当 亀渕昭信(『ビバカメショー』25:00 - 27:00)今仁哲夫(『ビバテツショー』27:00 - 29:00) オールナイトニッポン 金曜2部前担当 イルカ 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎 次担当 湯浅明、田畑達志 オールナイトニッポン 水曜2部前担当 志賀まさひろ 糸居五郎のオールナイトニッポン水曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎 次担当 松山千春 オールナイトニッポン 月曜2部前担当 稲川淳二 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎 次担当 上村貢聖 この項目は、ラジオ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ラジオ/ウィキプロジェクト 放送または配信の番組)。
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番組の遍歴
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「ミュージックヴィレッジ・ピープル」の記事における「番組の遍歴」の解説
2009年4月 GOLD RUSHの後を受けて、月曜と火曜の21:30 - 21:55で放送開始(水曜と木曜は別番組)。パーソナリティは月曜が古賀涼子、火曜が飛田厚史。 2009年9月 新番組開始に伴って月曜分の放送が終了。このクール最後の火曜の放送で古賀と飛田で番組を進行。 2010年1月 パーソナリティが古賀にバトンタッチ。3カ月ぶりの番組登板。 2010年3月 3月30日の放送を持って最終回を迎えた。
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