番組の遍歴とは? わかりやすく解説

番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 09:11 UTC 版)

今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」の記事における「番組の遍歴」の解説

2005年4月、「決定!これが日本のベスト100全国一斉○○テスト」の番組内容リニューアルされ、雑学クイズ企画スタート。これが後の特番芸能人芸人雑学王最強No.1決定戦SP」や「クイズ雑学王」の源流となった番組でおり、テロップBGM当時のものをそのまま流用している。 2005年9月25日18時30分 - 2054分(JST)、同番組内の企画として、最終回に「史上最強芸人雑学王No.1決定戦SP!!人気お笑い芸人21人が大集結バカは即!強制退場2度テレビ映りません!!師匠vs若手の大バトル」と題し放送以後不定期に芸能人芸人雑学王最強No.1決定戦SP」が放送されるうになる2005年12月30日1900分 - 2148分(JST)、2006年6月29日1953分 - 2148分(JST)、「芸人雑学王No.1決定戦SP」(後述)を放送2007年1月8日1900分 - 2148分(JST月バラ!)、2007年4月12日1900分 - 2148分(JST)、「芸能人雑学王最強No.1決定戦SP」(後述)を放送平均視聴率は17.9%の高視聴率獲得した2007年5月13日15時30分 - 17時25分(JST日曜ワイド)、特別番組として、第1回放送された。以降、『バラエティ祭』のどちらか半月1回ペースで、合計5回放送された。 2007年9月27日1900分 - 2148分(JST)、「芸能人雑学王最強No.1決定戦SP」を放送番組最高視聴率22.4%の高視聴率記録した2007年10月3日 - 12月19日毎週水曜日23時15分 - 翌0時10分(JSTネオバラエティ)で週1放送2007年12月30日23時30分 - 翌0時30分(JST)、総集編放送し視聴率は13.5%(ビデオリサーチ関東地区調べ2007年12月31日23時30分 - 2008年1月1日1時30分(JST)「年越し雑学王」と題して、初の生放送全国各地年末年始知りたい雑学アンケートし、人気高かった年末年始雑学ベスト10ランキング形式出題無人島にいたよゐこも生中継出題年越し時には仁摩サンドミュージアムからのカウントダウン中継もあった(しかし、「仁摩サンドミュージアム」がある島根県テレ朝系列のない地域であるため一部地域では見られない)。ただ、司会爆笑問題23時45分までバラエティー番組1億分の1の男』(フジテレビ系、但しテレビ大分テレビ宮崎除く)に出演していたため、23時45分頃に登場した開始から15分の間は2008最初に使える雑学ベスト10漏れた問題前番組無人島中継時間調整して埋めた2008年1月9日 - 、毎週水曜日2000分(一部地域では1954分から前座番組として「このあとクイズ雑学王」を放送) - 2054分(JST)に週1放送ネオバラからのゴールデン移動よくあることだが、わずか3か月でのゴールデン枠移動過去テレビ朝日番組の中では最速となる。 ゴールデン移動初回は、3時間スペシャルとして『芸能人雑学王最強No.1決定戦』(後述)として放送関東での視聴率は17.7%で同時間帯1位となった通常放送では開始当初から9月まで1記録することが若干多かったが、開始した10月以降は2キープしていた。 2008年12月31日23時30分 - 2009年1月1日1時30分(JST前年続いて年越し雑学王」を生放送太宰府天満宮からのカウントダウン中継があった。 2009年2月4日1900分 - 2148分(JSTテレビ朝日開局50周年記念50時間テレビ』の一環として3時間のスペシャル放送され50年歴史からの雑学出題された。さらにこの日の23時15分 - 翌0時10分(JST)には久しぶりに「芸人雑学王No.1決定戦」のタイトル生放送された。 2009年12月31日23時30分 - 2010年1月1日1時30分(JST)「年越し雑学王」を生放送年越しの瞬間は、「太田雑学ウソ?ホント?」でテレビ朝日屋上出題者ジュディ・オングが「魅せられて」を歌っている最中ジュディ・オング衣装全体スクリーンになった場面だった。なお、市谷亀岡八幡宮吉水神社からの初詣出題生中継された。 2010年春の改編で、4月より水曜20時台は『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』が放送開始される。それに伴い同時間帯での放送2010年3月3日をもって終了同年4月5日から番組名を「雑学王」と変えて月曜深夜11:15一部地域除く)へ移動同時に通常回出題ナレーション杉本るみから矢島アナ変更するが、スペシャル回での出題ナレーション杉本のまま。シーズン2から杉本るみ戻されたが、シーズン3では再び別の人物変更された。 2010年10月からの雑学王シーズン3から雑学クイズ常連芸能人降板解答者5人が芸人オンリーになり、番組構成クイズより解答中のトーク比重置かれ同じく爆笑問題司会をしていた「検索ちゃん」に近いテイストになっている11月22日放送分から、左端に「伸び悩み芸人枠」を設けた解答者は6人。12月20日分の伸び悩み芸人枠排除されている)。2011年1月24日放送分からは、最下位回答者には、罰ゲームとして太田出したお題即興コントやらされる。 2011年9月26日をもってレギュラー放送終了したレギュラー放送終了後は、不定期に特番として放送されていた。2012年3月22日(木)19:00 - 21:48放送最後に5年放送されていなかったが、2017年4月3日(月)19:00 - 21:485年ぶりに特番放送された。2017年9月25日 (月) 19:00 - 21:48にも特番放送された。 2019年4月1日(月)19:00 - 21:481年半ぶりに特番放送された。

※この「番組の遍歴」の解説は、「今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」の記事については、「今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」の概要を参照ください。


番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 04:52 UTC 版)

嘉門達夫のネットでごめん!」の記事における「番組の遍歴」の解説

2001年3月18日 コンテンツ開始前同日に、『ネットでごめん!』プロト放送として「嘉門達夫渋谷ライブ生放送試験的に行われた2001年4月 本放送開始放送第1回では番組の概要および各種投稿コーナー紹介のみに留まった。 2001年12月 西村正式な降板発表無く突然の番組降板その後嘉門ひとりで番組進行するうになる。 『ネットでごめん!』第1部終了2002年2月ネットでごめん!』第2部放送開始リスナー1人200ポイントの「嘉門達夫私物詰め合わせ」を獲得2003年12月 2年9か月間の放送終了その後嘉門は『嘉門達夫の万能塾』や『嘉門達夫のナリキン投稿天国』などを担当

※この「番組の遍歴」の解説は、「嘉門達夫のネットでごめん!」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「嘉門達夫のネットでごめん!」の記事については、「嘉門達夫のネットでごめん!」の概要を参照ください。


番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:20 UTC 版)

つるべがおかず」の記事における「番組の遍歴」の解説

鶴瓶リスナーから番組宛に届いたハガキ読みながら、フリートーク進み時にはになったリスナースタジオから電話直接 掛けていた。テレビの今、ラジオ今後政治経済友人知人話し鶴瓶ワールド全開時に厳しく時に本気で熱く話していた。番組ラスト15分前後スタジオ直通電話で早掛け繋がったリスナー会話行って点天餃子鶴瓶権限プレゼントしていた。 中村行延弾き語り不定期行われた福島道場一度リスナー奥様誕生日ということ電話掛けて弾き語りをしたところ、電話切られてしまい、その後何度掛けても出てもらえなかったことがある毎月 第1土曜日は「福島道場」と名付けて、スタジオ観客入れ公開生放送行っていた。 『青春のアンコール』時代より、中村迎えて電話リクエストや、スタジオでのフォークライブなどの企画多かったまた、この番組きっかけで、鶴瓶トークとフォークライブの組み合わせという番組形式は後にABCテレビの『ねごとの穴』などでも展開された。 年2回(当時)の聴取率調査週間惜しくも終了してしまった過去のラジオ番組実際出演者呼んで番組内再現したり、終了していない番組でも現実には実現しない出演者組み合わせ放送するという企画が行われたことがあり、『フレッシュ9時半!キダ・タローです』をキダ・タロー初代アシスタント呼んで行ったり、『ポップ対歌謡曲』を司会鶴瓶回答者キダ・タロー歌謡曲側)、新野新ポップ側)として行ったことがある番組中期には「全国制覇」と称し大阪発の番組電波受信したリスナーからの電話受け付け最初に繋がったリスナーを「城主」と命名全国47都道府県全て網羅しようという企画行い見事に達成した1990年5月9日放送で「番組名のつるべがおかずどういう意味で付けたのか?」とリスナーからの疑問鶴瓶自身タイトル付けたことを公表して、「僕をおかずにして皆さん寝てください、僕は弁当で言うとだ」と話し浅川は「私は梅干し」と発するメンバーから爆笑拍手起こった1998年5月30日放送では、毎月続けていた福島道場一時休止する発表ディレクター交代により、同じリスナーばかりが毎月来てしまうことになったマンネリ打破するためと説明番組には道場閉鎖反対の手紙が殺到反対の中で2通だけ、賛成意見書かれていた。 その後1998年8月28日夜に事前収録という形で福島道場復活。この時の模様8月29日放送した10月31日生放送福島道場復活以降、「おかずテレホン」(通称テレクラ)と題して梅田、なんば、天満などで鶴瓶弟子スタッフチラシ配り放送日電話番号掛けてもらい、メンバー電話するという企画行った通常生放送だが、この企画の時は収録多かった1998年10月3日オープニングでさらっと12月で終わるんですよ」と発表。「ダイエー降りたんです」とダイエー生コマーシャル毎回 無茶苦茶だったことを指摘しながらも「僕は本当はずっと続けたかったけど、1998年1月頃に(ディレクターから)1998年4月終わりませんか?」と伝えられさらには「(4月以降は)鶴瓶さんだけで続けたい」と打診された。鶴瓶自身地位ラジオでのギャラ高騰していて、他のメンバーリストラして、鶴瓶だけの番組提案されとのことその事鶴瓶自身が「僕、ほんまにこの番組おもろい思てたんですよ。辞めるのはいいけど、レーティング聴取率)がとんでもなくはじけてた」とのこと中村行延も「レーティングがずっとトップ独走していた。番組始まって7年間。一度トップの座を譲ったことが無かった」と告白結果踏まえて4月以降続けよう決まったものの、1998年8月ディレクターから再び呼び出され、「もう持ちません」と終了通達を受ける。 鶴瓶自身本当に面白いと思っていたから「このメンバーで、どっか行ませんか?」と他局で同じメンバーでやろうと呼びかけた。 この番組提供スポンサー点天浅川美智子出演に関して鶴瓶自身全て引っ張ってきた上で番組心底 楽しんでいた為、「いい形で幕引きしよう。そしたら僕(鶴瓶)だけが残るわけじゃなく、楽しいうちに終われる」とディレクター相談の上1998年12月12日終了決まった

※この「番組の遍歴」の解説は、「つるべがおかず」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「つるべがおかず」の記事については、「つるべがおかず」の概要を参照ください。


番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:43 UTC 版)

松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」の記事における「番組の遍歴」の解説

この番組は、松井選手ヤンキース入団した2003年度シーズンから始まっており、2003年度ヤンキース関連実況取材をする師岡正雄アナウンサー出演したショウアップナイターストライク!土曜日版2004年度は「板東英二のバンバンストライク」で、「松井秀喜 挑戦への道( - ちょうせん - )」と題して放送していた。2005年度は「松本ひでおのショウアップナイターストライク!」(月曜日19:40ごろ)での放送となった2006年度は、ナイターシーズン中は「石井一久のプロ野球バンザイ」、ナイターオフは「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」にそれぞれ内包して放送されている。 2007年度2008年度ナイターシーズン中は松本ひでおと長谷川滋利のやっぱり、野球は面白い!2007年度ナイターオフ2006年度オフ同様「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」にそれぞれ内包して放送されている。 2009年度ナイターシーズン中は「ジョニー黒木のショウアップナイターマンデースペシャル」、ナイターオフは「ショウアップナイターバッテリー」に内包して放送されている。この年ヤンキースワールドシリーズ制しワールドチャンピオンとなり、松井自身シリーズMVP獲得文字通りワールドチャンピオンへの道」を達成した松井2009年シーズン終了後エンゼルス移籍。これにより2010年4月よりタイトルを『松井秀喜2010新たなる頂点へ』に変えて放送ナイターオフでは2010年度の「広瀬香美 ラジオdeフォロ〜ミ〜」、2011年度は「松本ひでお 情報発見 ココだけ」にそれぞれ内包していた。 松井スケジュール都合出演しない日もあり、その場合はAKI猪瀬松井中心としたメジャーリーグ情報伝えた。 しかし2012年松井チーム無所属の状態に入ったため、番組ひとまず休止入ったシーズン開始後にタンパベイ・レイズ入団したが、番組再開はせず)。

※この「番組の遍歴」の解説は、「松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」の記事については、「松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」の概要を参照ください。


番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:12 UTC 版)

糸居五郎のオールナイトニッポン」の記事における「番組の遍歴」の解説

オールナイトニッポン 月曜- 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜 25:00 - 29:00 糸居五郎担当 亀渕昭信(『ビバカメショー』25:00 - 27:00今仁哲夫(『ビバテツショー』27:00 - 29:00オールナイトニッポン 金曜2部担当 イルカ 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎担当 湯浅明、田畑達志 オールナイトニッポン 水曜2部担当 志賀まさひろ 糸居五郎のオールナイトニッポン水曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎担当 松山千春 オールナイトニッポン 月曜2部担当 稲川淳二 糸居五郎のオールナイトニッポン月曜2部 27:00 - 29:00 糸居五郎担当 上村貢聖 この項目は、ラジオ番組関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(ポータル ラジオ/ウィキプロジェクト 放送または配信番組)。

※この「番組の遍歴」の解説は、「糸居五郎のオールナイトニッポン」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「糸居五郎のオールナイトニッポン」の記事については、「糸居五郎のオールナイトニッポン」の概要を参照ください。


番組の遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:42 UTC 版)

ミュージックヴィレッジ・ピープル」の記事における「番組の遍歴」の解説

2009年4月 GOLD RUSHの後を受けて月曜火曜21:30 - 21:55放送開始水曜木曜は別番組)。パーソナリティ月曜古賀涼子火曜飛田厚史2009年9月 新番組開始伴って月曜分の放送終了。このクール最後火曜放送古賀飛田番組進行2010年1月 パーソナリティ古賀バトンタッチ。3カ月ぶりの番組登板2010年3月 3月30日放送持って最終回迎えた

※この「番組の遍歴」の解説は、「ミュージックヴィレッジ・ピープル」の解説の一部です。
「番組の遍歴」を含む「ミュージックヴィレッジ・ピープル」の記事については、「ミュージックヴィレッジ・ピープル」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「番組の遍歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「番組の遍歴」の関連用語

番組の遍歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



番組の遍歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王 (改訂履歴)、嘉門達夫のネットでごめん! (改訂履歴)、つるべがおかず (改訂履歴)、松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道 (改訂履歴)、糸居五郎のオールナイトニッポン (改訂履歴)、ミュージックヴィレッジ・ピープル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS