番組の開始から終了に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 16:14 UTC 版)
「料理の鉄人」の記事における「番組の開始から終了に至るまで」の解説
元々はフジテレビ局内で「プライムタイム枠で、従来の料理番組(レシピ紹介)のスタイルとは全く異なる新しい料理番組を作ろう」というアイデアが持ち上がり、同時期に田中経一から本番組の企画が持ち込まれたことが番組誕生のきっかけとされている。当初はキッチンスタジアムのセットや鹿賀丈史の大袈裟な衣装、ミシュランガイド等に代表される既存の料理界の権威に対するパロディ要素を多分に含んだ企画となっていた。 1993年10月放送開始。この当時は日曜日22時30分からの放送であった。その後、1994年4月、金曜23時放送の『ワーズワースの庭で』(後に『ワーズワースの冒険』として改題リニューアル)と放送枠を交換する形となった。 1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぎゴールデンタイムの番組にも勝る結果になった。最高視聴率は、1995年3月31日に放送されたスペシャル「完全なる料理の鉄人 香港決戦」で23.2%。同年にはATP賞グランプリを獲得したほか、海外での放映もスタートしエミー賞にもノミネートされるなど番組は絶頂期を迎える。当初「既存の料理界の権威のパロディ」として始まったはずの番組が、人気の高まりにつれ番組自体が権威と化し、多くの料理人が出演を希望するようになるという、番組スタッフにとっては皮肉な、そして、嬉しい悲鳴を上げる程の現象も起きた。 しかし1996年の年明け早々、番組の看板の一人である和の鉄人・道場六三郎が降板。1999年に単独スポンサーだった日産自動車の経営不振と、これに伴うルノーとの資本提携・カルロス・ゴーンの最高執行責任者就任・経営再建計画「日産リバイバルプラン」の発表により単独スポンサーを降板(その後は筆頭提供)し、番組の制作費がシビアとなったことや出演者のスケジュール調整の問題もあり、番組継続に頭を抱えるようになった。視聴率的には以前と比較し落ち込んではいたものの二桁をキープしてきたが、1999年9月に6年にわたるレギュラー放送の終止符を打った。その後は特番という形で不定期放送することになったものの、2002年の特番が最後の放送となった。 その後2012年10月より、タイトルを海外版と同じ『アイアンシェフ』に改めて、13年ぶりにレギュラー放送で復活した。解説の服部以外メンバーは総入れ替えとなった。しかし前評判とは裏腹に視聴率は伸びず、わずか半年で終了した。
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