増備途上での変更点
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「名鉄8800系電車」の記事における「増備途上での変更点」の解説
1987年製造(2次車) 2両編成2本が製造された。展望室の座席はシートピッチを縮小して前後5列としたほか、最前列と2列目は親子3人が並んで座れるように幅の広い座席とした。また、6人区分室は廃止され、4人区分室を1室増加させた。2人区分室は開放型座席に変更され、パーテーションを廃止して360度回転の1人がけ座席に変更されたほか、もともと6人区分室があったデッキと車端部の間には完全に仕切られた4人用個室を設けた。 1989年製造(付随車) 3両編成化のためにサ8850形のみ4両を製造し、すべて奇数番号車。台車については、S型ミンデン式空気ばね台車であるFS098形台車を新造した。海側(豊橋から岐阜に向かう場合の左側)には4人区分室を5室配置し、山側(豊橋から岐阜に向かう場合の右側)には360度回転の1人がけ座席9席配置した。また、床面を8 cm高くし、ソファーが10脚配置された定員10人のラウンジを設け、ラウンジ内に給茶機も設けられた。また、サ8857に限り、試験的に衛星放送受信装置を設けた。豊橋方車端部にはトイレと洗面所が設けられた。
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増備途上での変更点
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「名鉄7000系電車」の記事における「増備途上での変更点」の解説
1962年5月製造(2次車) 6両編成が4本増備された。運転台前面窓の寸法拡大により、窓の寸法と形状が一部変更されたほか、排障器の形状変更が行われた。また、車側灯は1灯式から2灯式に変更され、制御装置がMC-11D形に変更された。車内では展望席の座席の位置が変更となり、最前部座席と冷房装置との間隔が500mmから600mmに変更されたほか、展望席付近に速度計が装備された。台車は空気ばねを中間リング式ベローズに変更したが、台車形式は変更されていない。また、このときの増備車からは前面に「逆富士形」と呼ばれる行き先表示板が設けられた。 1967年3月製造(3次車) 4両編成が登場、5本が増備された。車体構造が一部変更され、窓柱などに変化がある。運転室の窓配置は7500系に準じた使用に変更され、運転室側面に排気口が設けられ、運転室後方の窓が隅に2箇所から背面に1箇所に変更された。電装品についても、制御装置がMC-11E形に変更され、制御段数も直列・並列とも13段に変更されたほか、冷房装置がRPU-1504形に変更され、台車がダイヤフラム式空気ばねを使用したFS335B形に変更された。また、このときの増備車から前頭部にフロントアイと称する広角凸レンズの機器が設置され、正面に連結対応準備工事が施された。 1968年10月製造(4次車) 既存の編成を組成変更して4両編成を増加させるための増備で、先頭車のみ4両が製造された。車内のロングシート部分につり革が設けられた。 1969年4月製造(5次車) 4両編成が2本増備された。側面に電照式の座席指定表示器が設けられ、各車両に号車番号札差しが設けられた。 1970年4月製造(6次車) 4両編成を増加させるために、先頭車のみ6両が製造された。主電動機がTDK825/2-A形に変更された。 1971年7月製造(7次車) 4両編成3本が増備された。この時の増備車から冷房装置が8,500kcal/hの能力を有するRPU-2208形に変更され、先頭車に3台・中間車に4台が搭載された。また、展望室部分のみシートピッチを880mmに変更し、最前部座席と冷房装置との間隔が600mmから660mmに変更された。 1973年4月製造(7700系) 2両編成と4両編成が4本ずつ増備された。展望席がなく、前面が貫通形になったのが特徴で、先頭車連結面側の車掌台もない。機器と性能は7000系とまったく同じであるが、台車がS形ミンデン式のFS384に変更され、制御装置はMC11-E1M形とMC11-E2M形が採用された。室内では座席のモケットの色がスカーレットに変更された。 1974年6月製造(8次車) 6両編成が2本増備された。台車は7700系と同様のFS384に変更され、座席のモケットの色も7700系と同様にスカーレットに変更された。また、当初より正面に電動式の行先・種別表示器が設けられた。簡易運転台の必要はなくなっていたため、モ7150形は製造されていない。 1975年7月製造(9次車) 一部の4両編成を6両編成化するため、中間車のみ12両が製造された。ラッシュ時対策として側面扉を幅1,200mmの両開き扉としたほか、扉両脇をロングシートとした。クロスシート部分は座席定員確保のためシートピッチが840mmに縮小されている。車両番号は7100番台となったが、形式はモ7050形のままである。
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増備途上での変更点
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「名鉄7500系電車」の記事における「増備途上での変更点」の解説
1964年7月製造(2次車) 6両編成3本が製造された。性能・車体ともに1次車と同一仕様である。 1967年4月製造(3次車) 8両編成化のためモ7570形のみ4両を製造。すべて偶数番号車。冷房装置がRPU-1504形に変更された。4両中1両は運転台つきの制御電動車である。 1967年12月製造(4次車) 6両編成2本が製造された。モ7650形のうち1両は常設運転台つきの制御電動車である。この時の増備車からは前頭部にフロントアイと称する広角凸レンズの機器が設置されたほか、車内のロングシート部分につり革が設けられた。 1969年10月製造(5次車) 8両編成の増強のためモ7570形のみ4両を製造。 1970年4月製造(6次車) 8両編成を6両編成とするため、先頭車だけを6両製造。側面に電照式の座席指定表示器が設けられた。
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増備途上での変更点
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「名鉄5000系電車 (初代)」の記事における「増備途上での変更点」の解説
1956年8月製造(2次車) 4両編成3本が増備された。空車時と満車時の性能差をなくすための応荷重装置が追加されたほか、台車は基礎制動装置はクラスプ式(両抱え式)に変更されたFS307A形となった。車体側では、裾部分への水切り設置、屋根上モニタールーフの形状変更などが行われている。 1957年6月製造(6両編成化用の増備車) モ5150形が10両製造された。全長が19,230mmに延長され、台車は軸ばね式軸箱支持方式の住友金属工業FS315形に変更された。モ5150形では、集電装置は全車両の豊橋寄り屋根上に設けられた。 1957年10月製造(5200系) モ5200形のみで2両編成を組成、6本が製造された。電装品や台車はモ5150形とほぼ同様であるが、側面窓が2連で1組とした一段下降窓となったため車体断面形状が変更され、5000系で丸みを帯びていたものが5200系では平面的になった。前面は貫通型となり、平面ガラスで構成されたパノラミックウィンドウとし、前面の貫通扉には引込式の貫通幌が設けられたほか、前照灯は5000系が1灯だったのに対して3灯となった。全長はモ5150形と同様の19,230mmである。
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増備途上での変更点
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「名鉄6000系電車」の記事における「増備途上での変更点」の解説
1976年12月製造(6000系1次車) 1976年12月から1977年2月までに、4両編成6本が製造された。 1977年10月製造(6000系2次車) 4両編成2本が増備された。前面は行先表示器上部の構造が変更されたほか、貫通扉の固定位置を変更して前面と同一平面にした。また、方向幕が色地に白抜き文字に変更された。 1978年製造(6000系3次車) 2両編成が登場、6本が製造された。基本仕様は2次車と同様である。 1979年製造(6000系4次車) 4両編成3本が増備された。当時製造されていた100系に準じて客用扉の窓が大型化されたほか、前面の行先表示器が大型化された。また、貫通路の幅が狭められ、貫通扉が両開きから片開きになった他、レール上面から床面までの高さは1,110mmとなった。 6000系5次車からは側面窓が開閉式となった 開閉式となった側面窓の内部 1980年製造(6000系5次車) 4両編成と2両編成が5本ずつ増備された。この時の増備から省エネルギーの見地から仕様が変更となり、側面窓が開閉式(一段上昇窓)に変更されたほか、冷房装置は10,500kcal/hの能力を有するRPU-3004A形を2台搭載に変更した上で、新たに熱交換型換気装置(ロスナイ)を設置することによって熱損失の防止を図った。電動発電機は、容量40kVAのCLG-367形に変更された。また、非常用の自動ブレーキの併設は省略されたほか、当初より列車無線車上装置を装備した。 1981年製造(6000系6次車) 4両編成3本と2両編成2本が増備された。車体の各部で軽量化を図ったほか、側面窓隅の寸法が変更された。 1982年製造(6000系7次車) 4両編成3本と2両編成2本が増備された。基本仕様は6次車と同様である。 1983年製造(6000系8次車) 4両編成4本と2両編成3本が増備された。基本仕様は7次車と同様である。 正面が非貫通となった6000系9次車(左)と6500系2次車(右)。6500系2次車・6000系10次車からは標識灯が変更された クロスシート形状が変更された6500系の車内 1984年製造(6500系1次車・6000系9次車) この時から4両編成は6500系としての増備に変更され、4本が製造された。 6500系の外観は、正面が非貫通となり、正面下部左右には標識灯が設けられた。また、正面窓上と客用扉の上半分をライトグレーに塗装し、正面窓下部にはステンレス製の飾り帯を設けた。編成の組み合わせによって扉位置が変わることを回避するため、先頭車・中間車とも扉中心間距離を5,660mmに統一し、座席もクロスシートが減少してロングシート部分が増加した。座席自体の構造を見直し、それまでの6000系と比較してシートピッチを50mm拡大、幅を100mm・背もたれ高さを110mm拡大した。補助電源装置は、ゲートターンオフサイリスタ(GTO)素子を用いた容量40kVAのBS-477-C形静止形インバータ(SIV)に変更された。6500系では界磁チョッパ方式と回生ブレーキを採用した。制御装置は1台の制御器で8基の電動機の制御を行う方式(1C8M)の回生ブレーキ付界磁チョッパ制御装置で、EP-39-A形と称する。界磁チョッパ制御の採用は名鉄では初めてである。台車は住友金属工業製のSU形ミンデン式の空気バネ台車が採用された。電動台車がFS521A形・付随台車がFS098A形で、いずれも基礎制動装置はシングル式(片押し式)で固定軸距は2,100mmである。6500系1次車のシールドビーム2灯式標識灯は、2003年5月からLED1灯式の3300系(2代)廃車発生品に交換した。 2両編成は6000系のままで4本が増備されたが、車体や内装は6500系と同一となった。台車は電動台車がFS521B形・付随台車がFS098B形で、6500系の台車とはブレーキシリンダの直径が異なるためサフィックスが変更された。いずれも住友金属工業製のSU形ミンデン式の空気バネ台車である。 1985年製造(6500系2次車・6000系10次車) 6500系4本と6000系2両編成4本が増備された。前面の標識灯が発光ダイオード(LED)を使用した1灯式に変更され、運転室後部のロングシート長さを860mmから920mmに変更したほか、両端脇のクロスシート部の仕切り板と中央部のロングシート位置を扉側に70mm寄せた。 1986年製造(6500系3次車) 6500系5本が増備された。乗務員室の仕切り壁の配色を、側壁と同様のクリーム色縦縞模様に変更した。 1987年製造(6500系4次車) 6500系2本が増備された。側面には当時製造されていた5700系と同様に、側面に種別・行先表示器を設けたほか、集電装置は離線を少なくするために剛体架線用のPT4214S-A-M形に変更された。 1987年製造(6500系5次車・6800系1次車) この時からは2両編成の増備は回生ブレーキを付加した6800系に変更され、6500系2本と6800系4本が製造された。 6800系では界磁添加励磁制御を採用した。制御装置は1台の制御器で4基の電動機の制御を行う方式(1C4M)の界磁添加励磁制御装置で、CB-16C-40A形と称する。台車は電動台車がFS521C形・付随台車がFS098C形で、6500系の台車とはブレーキシリンダの直径が異なるためサフィックスが変更された。 冷房装置は6000系5次車以来10,500kcal/hのRPU-3004A2台と熱交換器1台という構成だったが、この5次車より再度10,500kcal/hのRPU-3004A3台構成に戻された。 1988年製造(6800系2次車) 6800系4本が増備された。台車は軸受け構造を片つば式に変更したFS521D形・FS098D形に変更された。 6500系6次車・6800系3次車からは車体構造が大幅に変更された ヘッドレストを装備するクロスシートに変更された6500系6次車・6800系3次車以降の車内 1989年製造(6500系6次車・6800系3次車) 6500系3本と6800系15本が増備された。この時の増備から車体構造は大幅に変更され、車体幅を10mm拡大した。前面は大型曲面ガラスを2枚使用したものとなり、あわせて乗務員室の仕切り壁の窓を拡大し、客室からの前面展望を向上させた。側面窓は連続窓風のスタイルに変更となり、一部の窓は一段下降窓としたほか、窓回りはレモンゴールドの金具で押さえる方法に変更した。内装についても、座席形状を見直し、ヘッドレストを装備するとともに、シートピッチを840mmに拡大したほか、ロングシートも100系3次車と同様の形状に変更された。また、乗務員室内の色彩がミストグリーンからクリーム色に変更されたほか、6500系の台車は軸受け構造を片つば式に変更した耐雪ブレーキつきのFS521E形・FS098D形に変更された。 1990年製造(6500系7次車・6800系4次車) 6500系2本と6800系8本が増備された。基本仕様は6500系6次車・6800系3次車と同一である。 1991年製造(6800系5次車) 6800系4本が増備された。この時の増備から、6800系はオールロングシートに変更された。立客の視界を確保するため客用扉の窓が上方に大型化されたほか、扉窓の固定方法が金具によって押さえる方式に変更された。内装の配色も変更され、6750系2次車と同様のパープル系に、化粧板がクリーム色に変更された。車内のつり革も枕木方向に増設された。台車は1000系1015編成・1016編成の台車交換により発生した台車に軸ばね調整を行ったFS539A形・FS039A形である。 1992年製造(6500系8次車・6800系6次車) 6500系2本と6800系4本が増備された。6500系もオールロングシートに変更された。車内のロングシート長さを一部変更することによって扉付近のスペースを広くしたほか、車号板の文字色が黒から群青色に変更されている。
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増備途上での変更点
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「名鉄5700系電車」の記事における「増備途上での変更点」の解説
5700系1次車は1986年6月に4両編成が3本、5300系1次車は1986年6月から7月にかけて4両編成が4本製造された。 1986年11-12月製造(5300系2次車) 4両編成4本と2両編成1本が増備された。このときに流用した台車のうち、FS307形台車については基礎制動装置をシングル式(片押し式)からクラスプ式(両抱え式)に改造した上で使用した。 1987年3月製造(5700系2次車) 4両編成2本が増備された。この増備車からは、集電装置(パンタグラフ)が剛体架線に対応したものに変更された。 1987年11月製造(5300系3次車) 2両編成4本が増備された。このときに流用した台車のうち、FS315形台車についてはボルスタ部分を改造した上でFS315A形として使用したほか、電動空気圧縮機は5700系と同じC-1000形に変更された。 1989年6月製造(5700系3次車) 当時の名古屋本線での高速・急行運用で6両編成の運用が増加していたため、6両貫通編成の増強目的で中間車(サ5600・モ5650)のみが2編成分4両増備された。この時の増備車は界磁添加励磁制御方式を導入、制御装置に三菱電機製のABFM204-15MRH形を採用した。主電動機は出力150 kWの直流直巻補極補償巻線付電動機である東洋電機製造製TDK8051A形が採用され、台車は、住友金属工業製のSU形ミンデン式空気ばね台車であるFS521D形・FS098D形に変更された。
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