8次車
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「京急1000形電車 (2代)」の記事における「8次車」の解説
2008年9月 - 12月にかけて8両編成3本、4両編成2本の32両が竣工した。ステンレス車体の4両編成、川崎重工業製が含まれる。4両編成は全車電動車で、中間に付随車2両を挟むことで6両編成が組成出来るよう設計され、品川寄り中間電動車には付随車への給電用パンタグラフの準備工事が行われている。6・7次車と内装はほぼ同様だが、客室内の配色が一部変更され、立席ポスト(握り棒)に黄色の塗装と滑り止め加工を施工した。このほか、立ち座りの補助として袖仕切に横手すりを追加している。空調装置横のランボード形状を変更した。 8両編成 ← 浦賀 竣工時期形式・車種デハ1000形(M2uc) デハ1000形(M1u) サハ1000形(Tu) デハ1000形(M1u) デハ1000形(M2s) サハ1000形(Ts) デハ1000形(M1s) デハ1000形(M2sc) 車両番号1097 1098 1099 1100 1101 1102 1103 1104 2008年10月 1105 1106 1107 1108 1109 1110 1111 1112 2008年11月 1113 1114 1115 1116 1117 1118 1119 1120 2008年12月 4両編成 ← 浦賀 竣工時期形式・車種デハ1000形(M2uc) デハ1000形(M1u) デハ1000形(M1s) デハ1000形(M2sc) 搭載機器[要出典]SIV・CP・BT VVVF VVVF SIV・CP・BT 車両質量34.5 t 32.5 t 32.5 t 34.5 t 車両番号1449 1450 1451 1452 2008年9月 1453 1454 1455 1456 4両編成のパンタグラフは、各中間車の浦賀方にそれぞれ1基を搭載する。M1s車には6両編成化を考慮したパンタグラフの準備工事が施されている。
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8次車(1971年製造)
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「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「8次車(1971年製造)」の解説
628-678 - 630-680の2両編成3本が製造された。川崎車輛の合併により、メーカーが川崎重工業に代わっている。前照灯はシールドビーム2灯に変更された。
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8次車
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「東京都交通局10-000形電車」の記事における「8次車」の解説
10-270F・10-280F 1997年(平成9年)にアルナ工機(現・アルナ車両)で製造された。このグループは側面のコルゲートがビードプレスに変わり、凹凸が減ってすっきりした印象に変わった。先頭部の配色や額縁の形状も変更されており、東武30000系電車に一部の部分は類似している前面となった。また、側面は東武10030系に類似している。 また三田線6300形とほぼ同タイプのLED・2段表示式の車内案内表示器をドア上部に千鳥配置で設置された。この8次車の車内表示器も7次車と同様に京王線内では長い間行先表示のみの対応だったが、2006年から停車駅案内機能など新宿線内と同様の表示が可能になった。10-300形と同様に新宿線と京王線とでは若干表示が異なるが、停車中の表示は両線とも同様である。 この頃には日本で新規製造される電車のほとんどがVVVFインバータ制御だったが、新宿線では当時のATCシステムに誘導障害を起こすため採用されなかった。またこの8次車が京都市交通局(京都市営地下鉄)10系6次車と共に日本における最後のチョッパ制御での新規製造車両である。 登場から2000年夏までは広告貸切列車「メディアライナー」に指定されていた。車内広告は1社のみの掲出となり、貸切契約がない時は無広告で運用していた。その後は7次車を「メディアライナー」指定編成とし、通常の広告を掲出している。 10-270Fが2018年1月16日に若葉台検車区へ廃車回送された後、最後まで残った10-280Fは貫通扉窓に「さよなら10-000形」の引退記念ステッカーを貼り付けて運行した。同編成は2月11日をもって営業運転を終了し、翌2月12日に同様に大島から若葉台へ廃車回送され、わずか20年で廃車となった。10-280Fの廃車回送時には、貫通扉部に[FINAL RUN]の文字が貼りつけられた。 10-000形8次車 (10-270F)前面の形状・側面凹凸の数などが従来の車両と異なる。(2017年6月16日 京王よみうりランド駅) 10-000形8次車 (10-280F)1997年度に増備された当形式の最終編成。(2017年5月20日 稲城駅)
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8次車
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0系16 - 20次車置き換え用として、1990年4月から1991年2月にかけて10編成160両(G32 - G41編成)が落成した。 視認性を向上させるため、電光掲示板の文字の拡大と行先表示器への蛍光灯内蔵、2・3人用個室のデザイン変更が行われた。このため、電光掲示板の時計と距離表示は省略された。電光掲示板の改良は既存編成には行われていない。
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8次車
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「JR四国1500形気動車」の記事における「8次車」の解説
2014年(平成26年)1月、新たに2両が新潟トランシスから2両(1568 , 1569)出場した。外観は3 - 6次車に準じているものの、内装は7次車とほぼ同一ではあるが袖仕切が関東で見られる大型のものに変更された。側面ロゴマークが省略されている。
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8次車
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1999年度製造の第25 - 27編成が該当する。 1999年(平成11年)11月に竣工したが、仕様変更により乗り入れ先を含めて乗務員訓練が実施されたために営業運転は翌2000年(平成12年)2月3日となった。 制御装置は三菱電機製に変更し、素子の冷却方式も列車走行風を利用したドライパネル冷却方式(自然通風ドライパネル冷却)となった。
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8次車
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「国鉄EF65形電気機関車」の記事における「8次車」の解説
昭和53年度第1次債務で1119 - 1139号機が製造された。関西圏で寝台列車を牽引していたEF58形の老朽取替え用である。1119 - 1128号機が下関運転所に、1129 - 1139号機が宮原機関区に配置された。 関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、耐寒耐雪設備の一部であるスノープラウ、汽笛カバー、砂撒き管ヒーター、主電動機用歯車箱の防雪覆いを省略した。さらにこれまでの使用実績から主電動機をMT52Bに、避雷器をLA16に変更した。加えて、亀裂防止の観点から台車枠は溶接が強化され、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、アイボルトの取り付け方向が90度変更された。
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