〈皇国〉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 00:20 UTC 版)
ツァルラント大陸の東南に浮かぶ東海列洲に存在する島国。西の海を皇海。東の海を東海洋と呼ぶ。正式な国名があるかは不明。初代皇主明英帝以来500年余りの歴史を持つが<大協約>世界の諸国の中では新興国に位置づけされる。皇主の権威が低下した後は諸将家による群雄割拠の状態が長く続いたが、30年余り前に有力な五つの将家(安東、西原、駒城、守原、宮野木)が皇主を戴き、それに諸将家も従う形で再統一された。半封建体制により領土と民衆は、将家が支配する将家領と領民、皇室が支配し執政府が統治する旧天領と衆民に分けられている。衆民には参政権が付与されるほか、執政府は天領に開放経済と自由化政策を敷いている。これにより近年天領では、商業の急速な発達による訴訟の多発や、将家領の間や衆民間で貧富の差が生まれている。また貧富の格差から弱小将家の反乱や開放社会についていけない衆民の匪賊化が問題になっている。五将家含む諸将家は特権階級に就き、共に現在も〈皇国〉執政府および軍の実権を握っているが、力をつけた天領の衆民も政治参加によって発言力を持っている。 度量衡 〈皇国〉における単位系時間:一年=13ヶ月=397日 1日=26刻 1刻=10尺=100寸=1000点 長さ:1里=1000間 1間=10尺=100寸=1000点 新城の身長1間6尺弱という表記から1間≒1m 重量:大きい順に 石、貫、斤 対応関係は不明 人口 〈皇国〉の総人口は約4000万人である。また、天龍の総数は約400万頭である。 領土 ツァルラント東端より海洋によって隔てられた洋上に存在する東海列洲がその領土となっている。北領・内地・東洲・皇嶼・南塊・西領の六つの大島からなる。北領(ほくれい) 〈皇国〉の最北端に位置する大島の一つ。超大国〈帝国〉が突如来襲し、天狼原野で〈皇国〉軍と相対した。現在は〈帝国〉軍の手に落ち、〈帝国〉鎮定領ノルターバーンとなる。 東洲(とうしゅう) 〈皇国〉北東領をなす大島。かつては〈皇国〉有数の豊かさを誇る土地であったが、それまで内地からの輸入に頼っていた食料の自活が可能になったため皇紀五二十年東洲公目加田英直による乱が勃発した。その豊かさに目を付けた全国の将家が軍を派遣、戦火は東洲全土へと拡大し、東洲勢は早晩に崩壊。敗残兵による略奪・蛮行が横行し、豊かな東洲に目をつけていた将家と執政府には戦災復興という重い負担が圧し掛かった。本編の主人公新城直衛の出身地(東洲放浪前の記憶がないため定かではない)である。現在は安東家の領土。 軍事 〈皇国〉軍は大きく陸軍(20万名)・近衛(1万5千名)・水軍(40隻+徴用船舶)からなる。兵制は徴兵制による国民軍ではあるが、長く続く将家支配と本格的な対外戦争の経験がないため士気と錬度は決して高くない。各将家には、将兵あるいは部隊を供与する義務があり、軍の将校には将家や将家領民出身の者が多いが、衆民にも門戸が開かれている。 近衛はさらに近衛禁士隊(ナイツ)と近衛衆兵(シヴィル)に分けられるが、禁士隊は将家出身者で固められ、衆兵は衆民の志願者から編成されるが、弱兵として有名である。 近衛および水軍は執政府直属とされているが、高級士官の多くは将家出身者に占められている。 陸軍と近衛において少将以上の希望者には両性具有者が個人副官として配属され、多くの場合は直属上官の愛人として扱われるが、両性具有者からは同じ両性具有者しか生まれないため、将家出身の将校の副官だからといって継承問題などは起きない。なお、新城は近衛少佐の時点で冴香を与えられたが、これは例外と思われる。 伝統的理由で兵站を充実させている。陸軍 陸軍の平時の最大編成単位は鎮台であり、〈皇国〉各地にこの鎮台を置れ、鎮台の名称は置かれた洲に由来する。五将家の領地に置かれた鎮台は各将家の当主やそれに連なる者が司令官を勤める。戦時は鎮台が軍へ改編される他、各地の鎮台から抽出された部隊や軍監本部直属の部隊をもとにした集成軍が編成される。 戦時は軍の部隊の編成は、銃兵・騎兵・砲兵の三兵協同(諸兵科聯合)が通常とられるが、平時は反乱の防止並びにその際の対処と平時の訓練と兵站の効率化のため諸部隊は単独兵科で編成されることが多い。剣虎兵 (サーベルタイガーズ) 皇国の〈主力戦闘獣〉剣牙虎(愛称: 猫)を装備する皇国独自の兵科。上述したように飼育可能な猛獣としての剣牙虎の特性に着目して創設された兵科。諸将家時代には導術と同様に剣牙虎を軍事的に利用していた時期も存在するが、導術と違い一部で運用されていただけで大々的に利用されるようになったのは近年になってからのことである。歴史の浅い新兵科であることと採用している戦術の違いから、軍の一部にはその能力に懐疑的である。編成の際は兵1猫1の一組で構成される。猫持ち兵数組に銃兵数十人ついて1個小隊を編成する。猫持ち兵には剣虎兵学校で教育を受けて猫と組んだ者、剣虎兵装備部隊で育てられた猫と組んだ者、個人的に飼っている猫を軍隊に持ち込んだ者に分けられる。軍の猫は尻尾を切断することによって、野生猫や持ち込み猫・飼い猫と区別される。猫は建前上、軍隊の装備・兵器として扱われ、俘虜の待遇等は受けられないが、北領戦後は俘虜の待遇の受けられることになる。 捜索剣虎兵編成中隊は諸兵科聯合部隊であるのに対し、鉄虎編成中隊は剣虎兵の単独兵科部隊である。捜索剣虎兵は威力偵察を任務とする部隊でその編成は任務特性上、諸兵科聯合が取られるが、それら不可欠な馬は、猛獣である剣牙虎に対して怯えるということから不足しており、通常馬の牽引が前提である砲も、軽量の騎兵砲であるが人力による牽引をしている。猫を恐れない馬は貴重で、輜重の馬車や橇の牽引などに取られているのが実情である。なお、猫による荷物の運搬牽引は猫の疲労を抑えるため軍規で禁じられている。また本来騎兵が担う機動力は、そのまま猫が負っている。 その機動力とまさに獣じみた戦闘力で突撃戦や突破戦、迂回機動、威力偵察を得意とし、奇襲や逆襲には狂ったような戦果をあげる反面、その機動力ゆえに部隊がバラけやすく、集合・後退に時間がかかりやすく部隊の分断・各個撃破の危険をはらむ。そのため、部隊の指揮連絡には導術が組み込まれている。他部隊と連携がとりにくい性質上、自己完結した独立部隊であることが求められる。整然とした横列の銃兵に対した攻撃は被弾面積の大きさから大きな被害を受けやすく、強力な敵と渡り合う実力を持つがそれにはそれ相応の被害を受ける。 独立捜索剣虎兵第11大隊(どくりつたんさけんこへいだい-だいたい) 北領に配備された剣牙虎装備の独立部隊。新兵科である剣虎兵(サーベルタイガーズ)の事実上の実験部隊。大隊本部、捜索剣虎兵2個中隊・鉄虎1個中隊、本部付きの各支援部隊で構成される。定数は874名/100頭。 六芒郭(ろくぼうかく) 初め皇龍道先の位置へ築城される予定であったが五将家の縄張り争いが始まり、玉虫色の決着をみた。その結果、場所は孤立してしまった場合軍事的な価値がほとんど消滅する位置。規模は〈皇国〉の内の要塞としてはそこそこのものとなった。要塞の築城様式は稜堡式。堡は六角星型。中心に本郭があり、その周辺へ六つの堡塁(突角堡)を突きだす。本郭と突角堡とは水堀に架けられた通行橋によりつながっている。皇紀五五五年に築城が開始されたが、問題がいくつも噴出し築城工事が混乱した。いまだ南突角堡の工事未了のまま皇紀五六八年、〈帝国〉東方辺境鎮定軍主力27万を新城支隊約9000名が迎え打つこととなった。撤退中に接収(拾った又は虎で脅して部隊ごと連れ込んだ)砲で恐ろしい火力を有する要塞となる。脱出の際新城支隊の手によって完全に爆砕された。 新城支隊(しんじょうしたい) 部隊規模は増強旅団程度(約9,000名)平時の一個鎮台に匹敵する。敗兵を寄せ集めただけにすぎないが単純で明確な命令(攻撃と撤退のみ)により〈帝国〉本領軍相手にまったく劣るところがなかった。衆民には、〈皇国〉中の精鋭を集めた部隊と勘違いされる。 駒洲軍 〈皇国〉陸軍最精鋭の部隊。総数は4万名に迫り、諸将時代の気質をもっとも濃く伝えている軍である。参謀団のほぼ全員が駒城家家臣団、駒洲領民の出身であり駒城保胤中将が総司令官を務める。駒洲軍は〈大協約〉世界史上、もっとも整備された命令系統を持っているが、運用思想の未発展により司令部に機能が集中しすぎており導術化された指揮系統が硬直している。 水軍 もとは初代皇主明英帝の東海列洲上陸から続く由緒ある存在だったが諸将家時代の原因となった内紛によって水軍の長であった将家が滅亡したため一度断絶する。その後、五将家が各自で所有していた水軍を、〈皇国〉再統一に伴い、皇室に献上したため復活した。その成立の過程で、いわゆる海賊衆も取り込んだため、そこから由来する伝統が存在する。 海洋国家〈皇国〉を色濃く反映する商船隊を背景に、優秀な船乗りと造船技術を持ち合わせている。例として、大協約世界で先駆けて実用化した熱水機関搭載巡洋艦が挙げられる。規模は〈帝国〉水軍に及ばないものの、徴用に耐えうる優秀な商船と私掠制度による私掠船、有力な建艦能力によって単純には比較できない。 独特の兵科として龍兵(ドラグーン)を編制し、それらを運用する独自の艦種として龍巣巡洋艦(ドラゴンクルーザー)を保有する。さらに龍兵の運用に最適化した龍巣母艦(ネスト・キャリアー)を建造中である。東海洋艦隊 東洲を根拠地としている艦隊、旗艦は特等戦列艦〈霊峰〉。五将家の―とりわけ守原家の影響力が強く士官は有力将家出身者が多数を占めている。 五将家 二十以上の将家が三百年の永きにわたり相争った〈皇国〉の大内乱、諸将時代。これに終止符を打った、安東、西原、駒城、守原、宮野木家は皇室を名目上の主君として連合し、すべての地方勢力をその支配下に組み込み統一国家〈皇国〉を再興した。駒城(くしろ) 良馬の産地である駒洲・駒走の国(こましりのくに)を抑えて将家になった。将家のなかでは現実主義的で衆民に近い家風を持つ。現当主は篤胤であるが五将家として有する権力、実務を息子の保胤にほとんど任せている。現在、謀略で篤胤 政略で保胤 軍略で直衛の体制で力をもつ。 守原(もりはら) 上護(かみもり)、下護(しももり)、守背(もりせ)という皇都に近い三国を支配してきた。五将家の中でも特に貴族的な思想の家。しかし近年は北領における独占的権益だけが守原家の財政基盤となっていた。現当主である長康は病に臥せっており弟の英康が代行を務めている。 安東(あんどう) 家産は滅茶苦茶だったが、現当主光貞の奥方のおかげで家格を維持してきた。東洲を押さえており女性の発言力が強い家である。守原と手を組み「義挙」を企む。 西原(さいばら) 西領にある西洲・西原を抑えている将家。当主である西原信英(篤胤とは特志幼年学校からの間柄)はすでに隠居同然で、家は嫡男の信置が切り回しているが変人として有名。 宮野木(みやのぎ) 背洲公を授けられている家。現当主は和麿であるが篤胤により政界からは追い出されている。
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