【威力偵察】(いりょくていさつ)
軍事作戦における情報収集の手段の一つ。
敵方の勢力や装備などを把握するために、実際に敵と交戦してみる事。
あるいは、敵の位置がわからない場合に、怪しい場所に制圧射撃を加えてみる事。
敵の撃破は主目的ではなく、素早く撤退して情報を持ち帰る事が優先される。
こうした任務は機動力に優れた部隊によるヒットアンドアウェイが要求される。
偵察
(威力偵察 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 19:18 UTC 版)
偵察(ていさつ 英:reconnaissance、レコニッサンス)は、敵などの情報を能動的に収集すること。受動的である監視の対義語。基本的には密かに行われる活動である。 軍事用語として用いられるが、そこから派生して一般においても「相手の情報の収集」の意味で用いられる。[1] イギリス英語圏ではrecce(レキ)、アメリカ英語圏ではrecon(レコン/リーコン)と省略される。
軍事上の偵察
目的
作戦行動には、基本的に「作戦地域についての情報」と「敵についての情報」の2つが必要となり、特に後者の情報は流動的であるために逐次更新することが必要となる。偵察は、これら情報を収集することを目的とした活動である。主に小隊、中隊に置かれている偵察部隊がこの任務につく。偵察には、隠密偵察と威力偵察(強行偵察)がある。隠密偵察とは敵に察知されることなく行う偵察行動であり、威力偵察とは部隊を展開して小規模な攻撃を行うことによって敵情を知る偵察行動である。第二次大戦後、特に冷戦下では情報収集の重要性が増すとともに火力を用いることの政治的なコストが増大したため、「敵に察知されることは前提であるが(積極的な)攻撃は行わない」という隠密偵察と威力偵察の中間的な活動も多くなった(特に航空偵察において)。
通常、ただ偵察という場合は隠密偵察のことを指すため、偵察と威力偵察が区別して使われることはあっても、隠密偵察と偵察が区別されることはあまり無い。 また、敵の有無や位置を探る「捜索」、地形地勢について調査する「地形探査」、敵が存在する可能性が高い状態で敵の位置を探る「索敵」などと使い分ける場合もある。
要領
偵察部隊に限らず、現代の軍隊では、ほぼ全ての兵士に効率的な監視および報告の技能を習得させる。この偵察において広く用いられている方法をサルート(SALUTE:敬礼の意)と言う。これは、規模(size)、行動(activity)、位置(location)、部隊(unit)、時間(time)、装備(equipment)の頭文字からとったものであり、偵察において重要な要素をまとめたものである。以上が徹底している報告は次のように為される。
(いつ)トキ1520 (どこで)ザ0000.0000 (何が)敵戦車T-72BM3 ×3 BMP3×2が(何を)まるまる通りを南進、(なぜ)事後ロスト、(どの様に) ロスト座標0000.0000
オーバー
装備
米国における体制
アメリカでは1960年に世界初となる作戦用写真偵察衛星コロナKH-1が打ち上げられソ連軍の基地の監視などに利用された[2]。
1988年からはレーダー偵察衛星ラクロスが運用されている[2]。
アメリカ空軍では戦術レベルから戦略レベルまで飛行高度の異なる5種類の偵察システムを運用している[3]。
- 偵察衛星
- 最上層の領域の高度21,000mには有人型U-2S高高度偵察機が当てられている[3]。
- 二番目の高さの高度18,300mにはRQ-4A無人偵察機が当てられている[3]。
- 三番目の高さの高度12,800mにはE-8Cレーダー地上偵察機が当てられている[3]。
- 最下層の領域の高度7,600mにはMQ-1プレデター無人機が当てられている[3]。
日本における体制
日本陸軍
偵察を行うのは、主として航空機、歩兵騎兵部隊および歩兵騎兵砲兵工兵その他の部隊から出される斥候である。より精密な情報を得るために、将校を派遣する偵察をとくに将校斥候と呼んだ。さらに高級指揮官および各団隊の指揮官は、必要に応じて自ら偵察に従事した。
日本海軍
巡洋艦その他から成る戦隊を遠く敵方に派遣して敵情を探知した。 艦隊中戦艦で編成される戦隊が主隊となり、他戦隊は補助部隊としてこれに協力する。
陸上自衛隊
陸上自衛隊の全ての師団・旅団に偵察隊(水陸機動団は偵察中隊)が編成されているが、全て機甲科扱いとなっている(機甲科#偵察部隊を参照)。 普通科などの他科では「情報小隊」が偵察任務(隠密偵察)に当たる。自衛隊の偵察では長らく偵察用オートバイなどの非装甲車両が用いていたが、87式偵察警戒車の配備により装甲化され、威力偵察時の隊員の安全性・生存性は向上した[4]。
陸上自衛隊の威力偵察は次のような手順で行われる(一例)[4]。まず、偵察オートバイ隊が敵陣地に接近し、敵の攻撃を受けた地点を記録・報告する。続いて、同地点まで偵察警戒車を進ませて攻撃を行い、敵の反撃を観測する。可能であれば、さらに前進して敵戦力を解明していく。
戦車を配備している部隊の場合は、戦車を用いて威力偵察も行われる。また、87式偵察警戒車の退役が進む今後は、16式機動戦闘車がその後継車輌として偵察任務に当てられる予定[4]。
民間軍事会社の偵察
2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ロシアの民間軍事会社であるワグネル・グループが刑務所から恩赦などと引き換えに受刑者を兵士として調達。前線においてウクライナ軍陣地に向けて経験のない兵士を索敵もしくは偵察に出すことを繰り返し、攻撃を受けるとウクライナ側の位置を割り出して離れた場所から砲撃を加える戦闘手法を用いた[5]。使い捨てのように用いられた兵士は多数が死亡した[6]。
消防活動での偵察
消防活動での偵察とは、自動火災報知設備などからの火災と紛らわしい通報の受信や、怪煙が発見された場合に、確認のために消防隊が出動することをいう[7]。
スポーツでの偵察
野球
野球において、敵軍の先発メンバーを見てから、自軍のオーダーを決めたい場合、「登板予定の無い投手」を野手として一度出場させ、敵軍の先発メンバーを確認でき次第、一度も攻撃・守備をさせることなく、その「野手として出場した『登板予定の無い投手』」をベンチに下げる。この「野手として出場した『登板予定の無い投手』」を「偵察オーダー」あるいは「偵察要員」などと呼ぶ。
モータースポーツ
ラリーでは、競技本番前にタイムトライアル区間(スペシャルステージ)を試走することを「レッキ(recce)」と言う。レッキとは上述のように、偵察(reconnaissance)をイギリス英語式に略したもの。レッキではコース情報を収集し、ペースノートの作成・確認を行う。
サーキットレースでは、決勝スタート前にピットを離れたマシンがコースを1周し、ダミーグリッドに着くまでの走行をレコノサンスラップ[8](偵察周回)と言う。このラップ中にコースコンディションやマシンセッティングの最終確認を行う。ダミーグリッドに着かずにピットレーンを素通りすれば、ピットレーン出口が閉鎖される時刻までは何周走行しても構わない。
脚注
- ^ A Dictionary of Aviation, David W. Wragg. ISBN 0850451639 / ISBN 9780850451634, 1st Edition Published by Osprey, 1973 / Published by Frederick Fell, Inc., NY, 1974 (1st American Edition.), Page 222.
- ^ a b 河津幸英『図説 アメリカ空軍の次世代航空宇宙兵器 汎地球戦力ロードマップ2006-25』2009年、60頁。
- ^ a b c d e 河津幸英『図説 アメリカ空軍の次世代航空宇宙兵器 汎地球戦力ロードマップ2006-25』2009年、64頁。
- ^ a b c “87式偵察警戒車と「威力偵察」 危険な重要任務はどのように遂行されるのか?”. 乗りものニュース. (2018年6月30日)
- ^ “東部前線で戦うワグネルの「使い捨て兵士」 ウクライナ”. AFP (2022年11月1日). 2022年11月8日閲覧。
- ^ “兵士不足のロシア軍は「刑務所で囚人をスカウト」 戦場に送られた3000人は全滅の異常事態 この冬に敗れる可能性”. デイリー新潮: p. 2. (2022年9月22日) 2022年11月4日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “2003年年報” (PDF). 四日市市. p. 39. 2021年1月5日閲覧。
- ^ “ディ・グラッシ、レコノサンスラップでクラッシュ”. オートスポーツweb (2010年10月10日). 2014年3月12日閲覧。
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- クリス・マクナブ ウィル・ファウラー著『コンバット・バイブル 現代戦闘技術のすべて』原書房
- 防衛庁防衛研修所戦史部『戦史叢書 陸海軍年表 付兵語・用語の解説』朝雲新聞社
関連項目
威力偵察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 22:10 UTC 版)
本格的な上陸作戦に先立って、連合軍側は威力偵察を行うこととなった。3隻の高速輸送艦、ウォーターズ(英語版) (USS Waters, APD-8) 、タルボット(英語版) (USS Talbot, APD-7) およびディカーソン (USS Dickerson, APD-21) が用意され、アメリカ軍とニュージーランド軍からの4個中隊からなる部隊が編成された。また、ブカ島出身者でグリーン諸島の事情に明るい者から状況を聞き出すなど、事前の情報収集にも余念がなかった。 1月30日、駆逐艦や魚雷艇に護衛された3隻の高速輸送艦はベララベラ島の泊地を出撃し、翌31日朝にグリーン諸島に到達する。環礁内に入った偵察部隊はニッサン島に上陸し、橋頭堡を築く。その様子を見ていた日本海軍の見張り員は「敵上陸ス 〇九〇〇」と報じたあと、非戦闘員は暗号書を焼いて隣接するフエニ島に避難する。残存部隊は上陸部隊との間に小規模ながら戦闘を交え、上陸部隊からアメリカ軍3名、ニュージーランド軍1名の計4名の戦死者と5名の負傷者が出た。報告を受けた南東方面艦隊(草鹿任一海軍中将)は航空機を繰り出して偵察を行い、「巡洋艦3隻」を発見して航空攻撃を行わせるとともに、逆上陸の準備に取りかからせた。命令を受け、ラバウルに進出していた第二航空戦隊の零戦8機が出撃して環礁内の上陸部隊を攻撃し、「魚雷艇3隻撃沈破」を報じた。一方、不意打ちを食らった上陸部隊は高速輸送艦に戻り、日本側の航空機の出現もあって31日の夜にグリーン諸島から離れ、ベララベラ島に帰投した。この帰途において、支援の駆逐艦がブカ島近海で伊号第一七一潜水艦(伊171)を探知して攻撃し、撃沈している。 翌2月1日、第二航空戦隊の零戦18機、艦上爆撃機3機、偵察機が出撃してグリーン諸島に向かったが、敵影は見えなかった。同じ2月1日、第八根拠地隊から抽出された和田久馬大尉が指揮する逆上陸部隊123名が伊号第一六九潜水艦(伊169)と伊号第一八五潜水艦(伊185)に分乗してグリーン諸島に向かい、2月3日未明にグリーン諸島沖に到着して77名が上陸。77名の内訳は第八十六警備隊から26名、高砂義勇隊から51名であった。残り46名は荒天で上陸できずラバウルに戻った。逆上陸部隊は敵部隊の撤退を確認して見張り員も復帰し、グリーン諸島全体の日本軍の数は102名となった。1月31日の戦闘における日本側の死傷者数は不明である。なお、日本海軍潜水艦による敵に近接した島嶼への陸戦隊輸送は、実現したものに限れば、このグリーン諸島へのものが最初で最後であった。
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