威力向上の検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
一方で、アメリカ軍の分析は特攻という攻撃方法そのものではなく、「45隻の艦船が沈没したが、その多くは駆逐艦だった。日本は大型艦を沈めたという膨張された主張に彼等自身騙され、大型艦を沈めるにはより重量のある爆発弾頭が必要であるという技術者達の忠告を無視した」 と特攻機に搭載された爆弾の威力不足を指摘していた。 大本営も特攻機に搭載される爆弾の威力不足は認識しており、海軍省軍務局長・海軍航空本部・海軍艦政本部両総務部長に対して、現用特攻機の装備と攻撃法では大型艦に致命的打撃威力を発揮できないとして、画期的威力増大策の研究を指示している。 その概案としては 特攻攻撃により爆弾を敵艦船の水線下に確実に命中させる方法。 特攻機突入時の撃速増大の方法、突撃時攻撃機の翼を切断し速力を急増し、敵の迎撃を局限すると共に撃速を増大させる(キ115の開発と増産)。 成形炸薬弾頭であるV爆弾の実戦配備(成形炸薬弾頭とはモンロー/ノイマン効果を利用した弾頭)。 液体酸素、過酸化水素、黄燐等の炸裂威力助成剤を搭載し爆発威力を増大させる 旧型魚雷に過酸化水素を充填し代用爆弾とする。 などが考えられた。 この内、3の成形炸薬弾の開発のために、未完成で建造中止された空母阿蘇で威力実験されることとなった。 1945年7月に、倉橋島大迫特殊潜航艇基地沖で実施された実験で、海軍はV弾頭の250kg爆弾、V弾頭500kg爆弾を空母阿蘇艦上に設置し爆発させている。250kg爆弾では飛行甲板が大きくめくれ上がり使用に耐えない損傷を負わせ、500kg爆弾では防御甲板が破壊され、舷側より浸水が始まり、かなりの効果が認められたが、V弾頭の爆弾は更なる実験中に終戦を迎えた。その後に陸軍の対艦大型成型炸薬爆弾桜弾を艦上で爆発させた。桜弾の爆発は艦底まで達したが、爆発時点での浸水は限定的で5度傾いただけであった。しかし、その後次第に浸水し最終的に着底した。 桜弾は単体で2.9トンもあり、当実験前より陸軍の四式重爆撃機飛龍に桜弾を搭載した特攻専用機、さくら弾機 キ-167が運用されていたが、あまりの重量に離陸すらあやうかった。桜弾は飛行第62戦隊で運用されており、同飛行隊には6機のさくら弾機が配備されたが、3機は事故で墜落し、残りは福岡大刀洗基地より出撃したが2機が未帰還で戦果は確認されていない。 搭載爆弾を大型化すれば、威力向上するのを日本軍も理解し様々な対策を講じたが、爆弾が大型化すればするほど特攻機の搭載重量は増え運動性は低下するため、飛行が困難になるばかりでなく敵の迎撃の好餌となってしまった。特に大重量爆弾を搭載できる双発機は、アメリカ軍の特攻対策マニュアル「Anti-Suicide Action Summary」にて「桜花母機及び、潜在的な母機となりうる双発機を最優先で攻撃すること。」と徹底されており、アメリカ軍戦闘機の優先攻撃目標となっていたために、敵艦への接近が非常に困難になっていた。 アメリカ軍は戦後に「大型機を別にすれば、陸海軍機のすべては、威力不十分な爆弾を使用していた。連合軍の主力艦が自殺機によって、1隻も撃沈されなかった理由のひとつも、このあたりにあった」と総括し、日本側も「中央当局の努力にもかかわらず終戦までに具体的に搭乗員の崇高なる特攻精神にふさわしい威力を具備した特攻機は出現しなかった。」と総括している。 搭載した爆弾に加えて、特攻機は機体自体が破片兵器であり焼夷兵器だった。航空燃料は焼夷兵器となり 火災や艦船搭載弾薬への誘爆を引き起こした。特攻機が爆発することによって破片が散らばり艦船の乗員を殺傷した。爆弾のみを投下する場合と威力は比較にならず、いわば爆弾とナパーム弾が同時に命中したような効果が生じた。特攻機の命中によって生じた火災は、被害艦を沈没まで至らせなくても重篤になることが多く、艦の損傷を拡大させ、多くの人員に重篤な火傷を負わせて戦闘不能にさせ、適切な消火に失敗すると艦を再起不能の損傷に至らせている。そのためアメリカ軍は、特攻機は爆弾を搭載していなくとも、極めて強力な焼夷弾となったと評している。沖縄戦においては、特攻により生じた大量の損傷艦のために慶良間列島の泊地は常に満杯であり、損傷艦は工作艦により応急修理がなされると、随伴艦と一緒に群れを成して太平洋を横断してアメリカ本国に帰還した。
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