威信財論の黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:59 UTC 版)
威信財論の緒言は、1922年のブロニスワフ・マリノフスキによるクラ研究や、1897年のフランツ・ボアズのポトラッチ研究とされる。これらの交換や贈与の発見により、非市場的交易の究明が進んだ。1954年に発表されたマルセル・モースは『贈与論』で、贈与交換の原理に「霊的な力」の概念がある事を指摘し、経済現象にとどまらない「全体的社会事実」であることを明らかにした。その後、欧米での威信財論は、器物の交換局面に焦点を当てた研究と、社会構造論・国家形成論の枠組みを構築する研究に2分化する。特に後者について、1957年にカール・ポランニーが、貨幣経済以前の古代社会において威信財など財宝を支払い手段とする「財宝財政」と、食料などを支払い手段とする「基本物資財政」の2つが存在した事を主張した説は、その後の威信財論に大きな影響を与えた。このポランニーの視点は、1960年代以降に新進化主義人類学と構造主義的マルクス主義に取り入れられ、エクホルムらによって器物の流通と婚姻のコントロールにより社会関係が維持・再生産・発展するという視点が現れる。
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