特攻精神
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1945年(昭和20年)1月、空襲から逃れるため家族を夫人の郷里である山形県鶴岡市に疎開させた。1945年3月に発表した「特攻隊」では、「特攻隊の精神」を「すべてのものから別れて行く精神」として次のように書いた。 「私はこの特攻精神を、数千年、数万年の太古から伝はつて来た、もつとも純粋な世界精神の表現だと思つている。敵を滅ぼすといふがごとき、闘争の精神なら、すべてのものから別れる必要はない。運命に従ふとふがごとき、諦めの精神なら、訓練する要もない。歴史を創造する精神、といふより、むしろ、そのやうな創造の精神を支へ保つ、最も崇高な道徳精神だと思つている。」 — 横光利一「特攻隊」1945年(昭和20年)3月 6月には自らも鶴岡市に疎開し、同月末に山形県西田川郡上郷村に移る。疎開先では米、味噌、醤油も買えず食料難に苦しみ、健康を害した。
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