わ‐しゃ【話者】
話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 05:50 UTC 版)
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関連項目
話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 09:37 UTC 版)
「アアルヴァニティック語」の記事における「話者」の解説
アアルヴァニティック語の話者の推定数は、3万人から15万人の間で大きく異なる。 これらの数字には、言語の不完全な知識技能を取得しただけで、それを将来の世代に渡す可能性が低い、若い世代の「末端話者」(Tsitsipis 1998)が含まれている。 伝統的なアアルヴァニティーの住民がいる村の数は、500を超えると推定されている。 現在、全員がギリシャ語のバイリンガルであるため、純粋なアアルヴァニティック語単独の話者はいない。 アアルヴァニティック語は、ここ数十年で末端話者の間でギリシャ語への大規模な言語シフトがあったため、絶滅危惧言語と見なされている。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 22:04 UTC 版)
チャド語派を話す民族はY染色体ハプログループR1bが高頻度である。これは他のアフロ・アジア系民族がハプログループE1b1bが高頻度であることと対照的である。R1bは7000年前にレバントから移動を開始し、チャド湖平原に到達したと考えられる。チャド語派の原郷は現在のスーダンあたりと考えられる。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 17:32 UTC 版)
2002年の人口統計では、ロシア連邦内で1,379,000人の話者がバシキール語を母語としている。話者の大半は、バシコルトスタン共和国および、隣接するタタールスタン共和国、ウドムルト共和国に居住する。また、ロシア連邦のペルミ地方、チェリャビンスク州、オレンブルク州、スヴェルドロフスク州、クルガン州、そして、カザフスタン、ウズベキスタンにも話者が存在する。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 21:51 UTC 版)
ウズベク語の話者の大半は、ウズベキスタンに居住している。また、タジキスタンに120万人、キルギスに55万人、カザフスタンに33万人、トルクメニスタンに31万人が居住し、アフガニスタン北部、中国の新疆ウイグル自治区にもウズベク語話者が存在する。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 04:40 UTC 版)
1980年には富裕キルギス語はコミュニティーの成人の多数派で、100世帯前後で話されていた。しかしながら、多くの成人話者はモンゴル語の地元の変種へ、子供は教育により中国語へと切り替わっている。
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話者
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ワルング語の調査は1960年以降に本格的に始まったが、当時すでにワルング語を流暢に話せる人は少なかった。残っているデータはアルフ・パーマーとアレック・コリンズの2人から得られたものがほとんどである。 アルフ・パーマー (Alf Palmer) は、ワルング語の名前を Jinbilnggay といい、1880年頃にクイーンズランド州マウント・ガーネット付近で生まれた。父はイギリス人、母はアボリジニであった。1918年のサイクロンによって家を失ってパーム島に移住し、1981年に亡くなるまでそこで暮らした。ワルング語の他に、英語・ジルバル語(英語版)・ギラマイ語(英語版)・ワルガマイ語(英語版)を話すことができた。1964年にはR・M・W・ディクソン(英語版)が、1971年、1972年、1974年には角田太作が、彼の協力を得てワルング語の調査を行なった。 アレック・コリンズ (Alec Collins) は、ワルング語の名前を Wolngarra といい、1920年以前にハーバート峡谷のアボリジニの族長ワンビノ (Wambino) の息子として生まれた。1963年頃にディクソンが、1970年にピーター・サットンが彼のワルング語を調べた。1975年に亡くなった。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/29 04:11 UTC 版)
アルギック語族の話者にはハプログループX (mtDNA)とハプログループR (Y染色体)がある程度の頻度で見られる。ともに欧州、オリエントでよくみられるタイプであり、有史以前のある時期にヨーロッパ方面から北アメリカへの直接移住が存在した可能性も考えられる。アルギック語族の拡散はこの集団を基に起こった可能性がある。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/30 09:49 UTC 版)
オロモ語話者の95%は主にエチオピアのオロミア州に住んでいる。ソマリアにも約4万2000人の話者がいる。エスノローグによると、エチオピアのオロモ語に極めて近いボラナ語とオルマ語の話者が15万7000人いる。エチオピア国内では、オロモ語は最も話者人口が多い(40パーセント以上)。アフリカ全体で見た場合、互いに意思疎通ができないアラビア語の諸方言および様々な変種を含むオロモ語をそれぞれ単一の言語と見なすと、オロモ語はアラビア語、スワヒリ語、ハウサ語に次いで4番目に話者数が多い言語である。 第一言語の話者の他に、北西オロミアにはオモ語派のバンバシ語話者やナイル・サハラ系言語の話者クワナ人のように、オロモ語と接していてオロモ語を第二言語として話す人々が多くいる。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 05:57 UTC 版)
「ニジェール・コンゴ語族」の記事における「話者」の解説
ニジェール・コンゴ語族の話者はY染色体ハプログループE1b1aと関連している。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:59 UTC 版)
「ユダヤ・イタリア語群」の記事における「話者」の解説
ユダヤ・イタリア語の基礎的な知識を持つ者は4000人足らず。流暢に使いこなせる者は、このうちごく一部である。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 01:04 UTC 版)
話者のガマイ族(フランス語版)はナイジェリアのプラトー州シェンダム地方行政区におけるエスニックグループとしては多数派で、農業を経済の基盤としつつ漁業も行っている。口承からはゴエマイ語の話者たちは比較的近頃になってジョス・プラトー(Jos Plateau)から現在の土地に移住してきたことが窺える(参照: Isichei (1982); Yearwood (1981))が、自分たちこそが地域の先住民であると考えてきた。ガマイ族にはキリスト教徒もムスリムもおり、ガマイ族と同じ地域に暮らしてきてムスリムが目立つジャラワ(Jarawa)、Borghom、Pyem といった集団はかつてガマイ族により先住民として認められていたが、1990年を境にロング・ガマイ(Long Gamai)として知られるシェンダムの伝統的な首長は彼らの先住民としての権利を否定し始めた。ジャラワはシェンダムから20キロメートル離れたプラトー州南部の町イェルワ(Yelwa)を築き上げた集団であることを主張しているが、ガマイ族はジャラワを後から来た「入植者」に過ぎないと見做している。シェンダムの地方行政官がヒューマン・ライツ・ウォッチに語ったところによれば、地域には常に「先住民か入植者か」問題が絶えず、双方が土地の所有権を主張していたものの、宗教の違いはあくまでも表面的なものに過ぎなかった。伝統的な首長を選出する手続きをめぐる悶着は昔からあったものの、現代になるまで目立った暴力沙汰は起きていなかった。しかし状況が分極化していたこともありやがて対立は宗教を軸としたものへとすり替わっていき、2002年6月の前触れを経た後、2004年2月から5月にかけて様々なエスニックグループのキリスト教徒・ムスリム同士による宗教を対立軸とした暴力の応酬が行われた(参照: イェルワの虐殺 Yelwa massacre)。このうち犠牲者の多くがキリスト教徒であった2004年2月24日の事件が起こる2-3日前にはイェルワ近郊のムスリムが多数を占める村ヤミニ(Yamini)においてフラニ人たちとラングタング・サウス地方行政区(Langtang South)出身のキリスト教徒たちとの間の牛泥棒をめぐる騒動を発端としたいざこざの最中、当時50代であったムスリムのガマイ族地方首長サアドゥ(Sa'adu)がキリスト教徒により殺害された。また犠牲者の多くがムスリムであった2004年5月の事件の際イェルワの町は統率された軍隊のような集団に包囲されたが、この事件の生存者は言語や訛りから判断して襲撃者たちにはガマイ族、タロック族(Tarok)、Montol が含まれていた旨を証言している。 ガマイ族の間で子供たちへのゴエマイ語の継承は限定的であるように見受けられ、Dimmendaal & Voeltz (2007) によれば第一言語がハウサ語に移り変わりつつある。
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話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 21:49 UTC 版)
多言語話者(マルチリンガル(英: multilingual)、ポリグロット(英: polyglot))とは、二種類以上の言語(同じ言語の方言は含まない場合が多い)能力を持っている人のことである。そのうち、二言語話者をバイリンガル(英: bilingual)、三言語話者をトリリンガル(英: trilingual)、四言語以上の話者をマルチリンガル(英: multilingual)と呼ぶ。 しかし、言語をどの程度まで扱える場合に「多言語話者」と定義されるのか(生活に支障がないレベルで十分なのか、母語話者と丁々発止の議論を遣り合える程度なのか、母語習得期に複数の言語を浴びていたのか)は非常に曖昧である。かつ、何をもって一つの言語と数えるのかの議論も輻輳している。 詳細は「方言連続体」を参照 マルチリンガルは、状況・話題・聞き手などに応じて言語を使い分けているのが普通である。もっとも、この現象は、複数方言の話者でも行われているので、多「言語」話者にのみ特徴的なこととは言えない。ポリグロット同士の一連の会話で複数の言語を織り交ぜる現象(コードスイッチング)が観察され、それに関する研究も盛んである。 言語は満8歳(7歳説、5歳説も)まででないと母語としての習得は難しいとされる(臨界期仮説)ため、「外国語の習得には若い方がよい」という主張もあるが、単純に過ぎ、有力な反論も多い。また、幼いうちに外国語を身に付けさせると母語の確立が遅れかねないというジレンマがある上、長じても母語の表現力が貧弱なままでとどまったり(「セミリンガル」)、外国語を習得した人材が相次いで国外流出してしまうといった深刻な社会問題に発展する可能性も高い。 自ら外国語を学習して多言語話者となる以外で多言語話者になる要因としては、個人的なものと社会的なものの2つがある。前者の例としては、日本のような圧倒的なモノリンガル社会にやってきた移民や出稼ぎ労働者が当てはまる。後者の事例としては、スイスやベルギーなど複数の言語共同体が共存している場合である。 しかし、こういった多言語状態を政府は嫌うのが常で、言語政策・言語計画の名の下に「標準語」の策定・普及を推し進め、方言・少数(移民)民族の言語を抑圧し排除されるケースが多々見られる。また、ドイツ語圏やアラビア語圏のように同言語の標準語(公共・教育など)と地方方言(日常生活など)に機能的優劣が付けられた社会も存在し、ダイグロシアと呼ばれる。 ちなみに、一言語のみ習得している者はモノリンガル(英: monolingual)、二言語の環境で育ち、その両言語において年齢に応じたレベルに達していない者はセミリンガルと呼ばれる。近年は、セミリンガルという言葉が否定的だという意見が増え、ダブル・リミテッド(ダブルリミテッド)という名称が広まりつつある。ダブル・リミテッドは、日本においては帰国子女や日本に住む外国人児童の間に散見されるため、特に教育関係者の懸案事項となっており、言語学や教育学の専門家による研究が広く行われている。 言語獲得は環境および年齢差・個人差が大きい上に、日常会話能力(BICS)はバイリンガルであっても、抽象思考や学習のための言語能力(CALP)がダブル・リミテッドの状態にあり教科学習に支障をきたす者もいる。何をもってバイリンガル、何をもってダブル・リミテッドと判断するのかは未だ曖昧である。
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「 話者」の例文・使い方・用例・文例
- おしゃべりが得意な話者になりたいです。
- その話者たちは海外から来ました。
- 英語話者に通じなきゃ意味ないぞ。
- 彼が英語を話すのを聞けば、母語話者だと思うだろう。
- 彼の発音は母語話者の発音に引けを取らない.
- 彼らは、ほとんど話者の話を聞くことができなかった
- 話者は、最も多様に主題を扱った
- 実際の状況での話者の言語の実際の使用
- この場所に(特に話者に向かって)
- 話者に関して
- 話者によって理解されないいくつかの方法で
- 話者の終わりは、拍手で迎えられた
- 自信に満ちた話者
- 山のこの(話者の)側で
- くどくて(または口先ばかりの)話者
- 重大なに関して、話者に発言を求める
- 精力的な話者
- 群衆は話者をあざけった
- 次の話者は、彼女の議論を繰り返した
- 多くの言語で、話者は、名詞、代名詞、および形容詞の格を変化させる
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