かたり‐て【語り手】
語り手
『アクロイド殺人事件』(クリスティ) 財産家アクロイドが刺殺された。アクロイドの知人である医師の「私」は、生前のアクロイドの様子、殺人現場の状況、探偵ポアロの推理の過程などを、事実の通りに記述する。しかし「私」は、「私」がアクロイドを殺した前後10分間の行動についてはすべて省略し、記述しなかった→〔録音〕2b。
『藪の中』(芥川龍之介) 盗賊多襄丸が、旅人金沢武弘・真砂夫婦を藪の中で襲い、あとに武弘の死体が残された。この出来事の経過について、多襄丸、武弘の死霊、真砂の3人は、それぞれに食い違う物語をする。誰が本当のことを述べているのか、あるいは3人とも偽りを述べているのか、わからない〔*『羅生門』(黒澤明)では、事件を目撃した木こりが「真相」を物語るが、別の男が「お前の言うことも当てにならない」と言う〕→〔謎〕5。
★2a.越境する語り手。物語の語り手(あるいは作者)と作中人物が交渉する。メタ・フィクション。
『朝のガスパール』(筒井康隆) 小説家櫟沢は、商社の常務貴野原征三や秘書石部智子たちの登場する物語『朝のガスパール』を新聞に連載し、作中人物の貴野原はパソコン・ゲーム「まぼろしの遊撃隊」を楽しんでいる。現実と虚構の間の壁、虚構と虚構内虚構の間の壁が破れ、新聞連載を終えた櫟沢はパーティ会場で、貴野原や智子、遊撃隊のキャラクター深江や平野、さらにはトルストイ、ゾラ、筒井康隆などと出会う。
『不滅』(クンデラ) 小説家の「私」は、プールで老婦人を見たことをきっかけに、アニェス、その夫ポール、アニェスの妹ローラなどの人物を想像(=創造)し、彼らの物語を書く。物語の途中で、アニェスは交通事故死する。アニェスたちの物語の着想を得てから2年後の同じ日同じ場所で、「私」は作中人物のポールとローラに出会い、会話する。
★2b.語り手である「筆者」と、作中人物「医師リウー」が、同一人物であることが最後に明かされる。
『ペスト』(カミュ) オラン市のペスト発生から終息にいたる期間の、医師リウー、新聞記者ランベール、神父パヌルー、判事オトン、心を病む男コタール、著作をこころざすグランなど、さまざまな人間模様を、語り手である「筆者」が記録する。物語の最後になって「筆者」は、自分がリウーであることを明かす。医師として多くの市民と関わり、彼らの思いを感じ取れる状態にあったので、リウーは「筆者」となるのに適切な存在だったのである。
★2c.語り手の「わたし」が、物語に登場する人物「ムーン」であることが、最後に明かされる。
『刀の形』(ボルヘス) 顔に弧を描く刀傷を持つ男が、ボルヘスに語った物語。「昔、『わたし』はアイルランド独立のために戦った。新入りの同志ムーンは役立たずで、おまけに卑怯者だった。ムーンは身の安全のために、仲間の『わたし』を敵に密告したのだ。『わたし』はムーンを追い詰め、彼の顔に半月型の刀傷を刻みつけてやった。最後まで話を聞いてもらうために、こんな話し方をした。『わたし』が、ムーンなのだ」。
『山谷五兵衛』(武者小路実篤) 60代半ばの「僕」は、8歳年下の友人山谷五兵衛を主人公に長編小説を書く。小説の中で「僕」と山谷は様々な話題・思想を語り合う。主人公の山谷が死ねば小説を終えることができるが、そうするわけにはいかないので、作者イコール語り手の「僕」が、山谷との対話中に死んで、小説は終わる。「僕」はやがて不死鳥となって生き返り、新たな作品に取りかかるであろう。
★4.語り手が死者である。
『地獄』(川端康成) 「私」は7年前に死んだ。死人どうしが会うことはなく、死の世界はまったくの孤独である。それで「私」は、生きている友人西寺と時々短い話をする。近頃、西寺は雲仙を訪れた。昔、「私」の妹が西寺と一夜の関係を結び、翌朝妹は登別温泉の地獄に落ちて死んだ。雲仙温泉の地獄は登別の地獄と似ているのだった。
『われを憐れめ』(マラマッド) コーヒーのセールスマンだった初老の男が語る。「私は、つぶれかけた食品店の未亡人エヴァに同情し、経済的な援助をしようとした。しかしエヴァは私を嫌い、私の好意をすべてはねつけた。私は弁護士の所へ行き、私の全財産がエヴァのものになるように遺書を作成した。それから家へ帰って自殺した」。男は自らが死にいたった事情を、霊界の生活調査員に語り続けた。
*百物語の語り手が死者である→〔録音〕1の『現代民話考』(松谷みよ子)12「写真の怪 文明開化」第2章の8。
『アルセーヌ・ルパンの逮捕』(ルブラン) 大西洋を西進する快速船に、「ルパンが変名で乗り込んだ」との電信がもたらされる。乗客の1人である「ぼく」は、美しいネリー嬢と親しくなり、誰がルパンなのか、推理を語り合う。ルパンではないかと見なされた男が、本物のルパンによって縛られ、金を奪われたため、乗客たちは混乱と恐怖の中に置かれる。やがて船はアメリカに着き、港で待つガニマール警部は、意外なことに「ぼく」を逮捕する。「ぼく」こそがルパンなのだった。
『私』(谷崎潤一郎) 「私」が一高の寄宿寮にいた頃、しばしば盗難事件があった。同室の平田は「私」を疑っていたが、「私」の潔白を信じてくれる友人もいた。ある晩、部屋に誰もいなかったので、「私」は平田の机から10円の小為替を抜き取ったところを、取り押さえられた。それは「私」を捕らえるための罠であり、「私」は友人たちの前で、自分に盗癖があることを告白した。
★6.語り手が遠い昔に殺人を犯したことが、最後に明かされる。
『天城越え』(松本清張) 印刷業を営む50歳すぎの「私」は、「刑事捜査参考資料」という本の印刷を、老刑事から頼まれる。それは30数年前の、未解決に終わった殺人事件の記録だった。「私」は感慨深くその記録を読んだ。老刑事は、「犯人が今頃わかっても、時効だからどうすることもできません」と言った。殺人犯は、当時16歳だった「私」であり(*→〔道連れ〕2)、老刑事はそれを知っていて、「私」に印刷を依頼したのだった。
『沓掛にて』(志賀直哉) 芥川君の『奉教人の死』は、主人公が実は女であることを読者には知らさずにおき、最後に真相を明かして、読者に思いがけない想いをさせるような筋だった。「私(志賀直哉)」は、「筋としては面白いが、仕舞いで背負い投げをくわすやり方は、読者の鑑賞がその方へ引っ張られるため、そこまで持って行く筋道の骨折りが無駄になり、損だと思う」と芥川君に云った。芥川君は素直に受け入れてくれ、「芸術というものが本統に分っていないんです」といった。
語り手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 16:09 UTC 版)
概要
語り手は、映画・ドラマ・演劇・小説など、あらゆる種類のストーリーテリングにおいて、作者・読者と並び重要な存在である。1つの物語には1人以上の語り手が必ず存在する[2]。小説でいうところの「地の文」の語り手である。
定義
語り手は物語の世界に存在して[3]現実世界に肉体を持たず、作者によって創造された存在であり、読者が理解しやすいように物語を説明する役目を果たす。
関連語
作者
物語論における
語り手(英: narrator)は作者(英: author)と明確に区別される[5]。作者は、物語に内在せず、物語から演繹できない、物語とは独立した存在である[6]。語り手は物語に内在し、その性質/人物像が物語から演繹できる[6]。「同一作者の2作品が異なる語り手[7]」「複数作者かつ単一語り手の物語[8]」といったケースの存在はこの区別の妥当性を示している。
性質
語り手は様々な性質をもち[9]、各語り手ごとに性質値が異なる。
- overt
- 聡明さ: knowledgeable / non-knowledgeable
- ubiquitous
- self-conscious
- 信頼性: reliable / unreliable
また語り手ごとに物語内容および聞き手との距離感が異なる[10]。
分類
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一人称の語り手や三人称の語り手がよく使われるが、二人称の語り手(「きみ」など)や一人称複数(「わたしたち」など)を語り手とする場合もある。
一人称の語り手
作者がどういった存在を語り手として選ぶかは、物語や作品がどう読者に受容されるかにおいて重要な問題となる。一般的に一人称の語り手を選ぶと、語り手となるキャラクターの感情や考え方や、そのキャラクターによる世界や他の登場人物に対する見方に、物語の焦点が置かれる。もし作者の意図がキャラクターの内部にまで分け入ることであれば、一人称視点は適切な選択肢だといえる。
三人称の語り手
作者がキャラクターの知ること感じることすべてをあらわにする意図がない場合、語り手をキャラクターすべてを三人称で呼ぶような第三者の視点に置くという選択肢もある。特に「全知の三人称の語り手」は、自分のことしか知らない一人称の語り手とは対照的に物語の世界を概観し、多くのキャラクターの心情を探り、物語の大きな背景を眺める視点を読者に与える。多数のキャラクターによる視点や筋書きが重要な物語の場合、三人称視点の語り手は適切な選択肢である。
複数の語り手
作者は、複数の語り手に異なった視点から物語を語らせることもできる。物語の各部分の語り手のうち、誰が一番信頼できそうかを決めるのは読者次第である。例えば、スティーブン・キングの『キャリー』では第三者が語るストーリーの間に、複数の登場人物たちによる文章や証言が導入されている。
信頼できない語り手
信頼できない語り手は、一人称の物語を背後から動かす力で、語り手の偏見、能力の限界、欲望などからナレーションがゆがむことである。語り手の人格について読者が知るための唯一偏りのない手がかりは、語り手自身の語り方である。すべての語り手は信頼できないともいえ、『白鯨』の語り手で信頼の置けそうなイシュメールから、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』における複数の語り手たち(特に知的障害を抱えるベンジー)や、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』における犯罪者ハンバート・ハンバート教授まで、語り手の信頼度には大きな幅がある。
信頼できない語り手の例としては『日の名残り』の執事スティーヴンス、『グレート・ギャツビー』のニック・キャラウェイ、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールド、映画『ユージュアル・サスペクツ』のヴァーバル・キント、芥川龍之介の『藪の中』や映画『羅生門』の証言者たちなどが挙げられる。19世紀から20世紀にかけて活躍した文学者・ヘンリー・ジェイムズの小説は、すべて語り手の視点の限界や彼らの語りの背後にある動機などが重要な役割を果たしている。
信頼できない語り手はフィクションに限ったものではない。回顧録・自伝・自伝的フィクション(オートフィクションなど)には語り手たる作者とキャラクターたちが登場する。時として、作者は事実を歪曲して本当に「信頼できない語り手」となることもあれば、ある目的から自ら「信頼できない語り手」の人格を使うこともある(例えば、映画『バスケットボール・ダイアリーズ』の原作となったジム・キャロルの自伝的小説、『マンハッタン少年日記』など)。
技法
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物語は、明確で首尾一貫した語り手を持たなければならない。このため、作者による語り手の取り扱い方にはいくつかの決まりごと[独自研究?]がある。
- 語り手は物語の中におり、読者や作者の世界にはいてはならない。(語り手と、読者や作者との間には、超えられない「第四の壁」がある。)
- 語り手は明確な属性と明確な限界を持つ単一の存在でなければならない。
- 語り手は、物語内で出会っていない存在と意思疎通していてはならない。(語り手は物語世界内にある地点から物語を語らなければならない。この地点を「視点」という。)
こうした決まりごとは、ポストモダン文学やそのさきがけとなる文学ではしばしば破られることがある。
歴史
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西洋において小説が勃興した19世紀、「語り手」という概念や、後に「信頼できない語り手」と呼ばれることになる概念が重要なものとなった。1800年ごろまでは、詩(『イリアス』や『失楽園』のような叙事詩、ウィリアム・シェイクスピアの詩劇も含む)だけがアカデミックな文芸評論の対象だったが、詩においては作者と語り手が異ならないことが多かった。しかし、小説を評論するにあたっては、その内部の虚構世界が問題となった。特に、語り手の視点が作者の視点と異なる場合が問題とされるようになった。
脚注
出典
- ^ a b "narrator. The one who narrates, as inscribed in the text." Prince 2003, p. 66 より引用。
- ^ "There is at least one narrator per narrative," Prince 2003, p. 66 より引用。
- ^ a b "The narrator, who is immanent to the narrative," Prince 2003, p. 67 より引用。
- ^ "author. The maker or composer of a narrative." Prince 2003, p. 8 より引用。
- ^ "The narrator ... must be distinguished from the real or concrete AUTHOR" Prince 2003, p. 67 より引用。
- ^ a b "real or concrete author is not to be confused ... with its NARRATOR and, unlike them, is not immanent to or deducible from the narrative." Prince 2003, p. 8 より引用。
- ^ "Nausea and ”Erostratus,” for instance, have the same author -Sartre- but ... different narrators." Prince 2003, p. 8 より引用。
- ^ "a narrative can have two or more authors and ... one narrator (Naked Came the Stranger, the novels of Delly, Ellery Queen, etc.)" Prince 2003, p. 8 より引用。
- ^ "A narrator may be more or less overt, knowledgeable, ubiquitous, self-conscious, and reliable," Prince 2003, p. 66 より引用。
- ^ "A narrator ... s/he may be situated at a greater or lesser DISTANCE from the situations and events narrated, the characters, and/or the narratee." Prince 2003, p. 66 より引用。
参考文献
- 『物語のディスクール』ジェラール・ジュネット著、花輪光・和泉涼一訳 水声社
- Prince, Gerald (2003). A Dictionary of Narratology (Revised ed.). University of Nebraska Press
- プリンス、ジェラルド『物語論辞典』松柏社、遠藤健一(訳)、1991年。ISBN 4881988026
関連項目
外部リンク
- 百科事典マイペディア『語り手』 - コトバンク
- 精選版 日本国語大辞典『語手』 - コトバンク
- Net Author - Reference Site for Writers - ウェイバックマシン(2008年9月22日アーカイブ分)
- 文学理論入門 第五回講義 ウェイン・ブース『フィクションの修辞学』など - ウェイバックマシン(2008年9月22日アーカイブ分)
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