古代ギリシア語 古代ギリシア語の概要

古代ギリシア語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 19:10 UTC 版)

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古代ギリシア語
ΕΛΛΗΝΙΚΗ
話される国 古代ギリシア
消滅時期 紀元前4世紀までにコイネーが発達
言語系統
表記体系 ギリシア文字
言語コード
ISO 639-2 grc
ISO 639-3 grc
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概要

古代ギリシア語は、その後のヨーロッパ諸言語に最も影響を与えた言語の一つである。ホメーロス叙事詩、劇作家、ペリクレス時代の哲学者、『新約聖書』等がその証左と言えよう。また、「民主主義(democracy)」のような不可欠な語も含め、英語の語彙に多大な影響を与えてもいる。ルネサンスから20世紀初頭にかけては、西洋の教育制度において標準的な科目となっていた。学名に用いられている新ラテン語(近代ラテン語)には、今日でも古代ギリシア語からの語彙の引用が精力的になされている。

ヘレニズム期の古代ギリシア語はコイネー(「共通語」の意)、あるいは聖書ギリシア語として知られ、その後期の形が中世ギリシア語に変異していった。初期のコイネーは古典期との共通点も多いが、ギリシア語の歴史の中では独立したものとして扱われる。コイネーより前の、古典期やそれ以前のギリシア語にはいくつかの方言が存在した。ミケーネ文明期のミケーネ語前1600年前1100年)は、古代ギリシア語(前8世紀-前4世紀)に先行する言語である。

古代ギリシアの諸方言

歴史的方言の成立

ギリシア語の起源および初期の歴史は、同時代の史料が欠けており判然としない。そのため、いくつか仮説が存在する。初期のギリシア語的特徴を有する言語がインド・ヨーロッパ祖語から分岐(遅くとも紀元前2000年までに)してから紀元前1200年頃まで、どのような古代ギリシアの方言群が存在していたのか。どの仮説も概要は共通しているものの、細部で異なる。上記の時代で存在が証明されている[注 1]のはミケーネ語だけだが、歴史的方言とその背景に鑑みるに、全ての方言群が当時すでに何らかの形で存在していたとも考えられる。

古代ギリシア語の主な方言は、紀元前1120年ドーリス人の侵入の時期)までには発達していたとされる。ギリシア文字によるはっきりとした記録が確認されるのは紀元前8世紀以降である。古代のギリシア人は、自身にドーリス人・アイオリス人イオニア人という3つの主な区分があると考えており、それぞれ弁別的な方言を有していた。人目につかない山岳地帯のアルカディアと、学問の中心から離れたキュプロスを見落としていたという点を斟酌すれば、上記の区分は現代の歴史言語学の調査結果と酷似している。これは、方言の内実と変化を理解する上で非常に重要である。

分類と概要

古典期のギリシア語方言の分布[1]
西部:
  北西方言
  アカイア方言
  ドーリス方言
中部:
  アイオリス方言
  アルカディア=キプロス方言
東部:
  アッティカ方言
この図では分類不明:M マケドニア方言

古代ギリシア語の各方言は以下のように分類される[2]

ギリシア語方言の分類は、西部と非西部というのが最も古くかつ有力である。非西部諸方言は「東ギリシア諸方言」と呼ばれることもある。

方言群の大半は、ポリスの領域ないし島に対応する形で、上記のようにさらに下位の区分に振り分けられる。たとえば、レスボス方言はアイオリス方言のひとつである。また、ドーリス方言はそのような細かな区分との間に位置する中間区分も有しており、島嶼ドーリス方言(クレタ方言など)、南ペロポネソス・ドーリス方言(スパルタのラコニア方言など)、北ペロポネソス・ドーリス方言(コリントス方言など)があった。

イオニア系以外の方言群は主に碑文によって把握されている。注目すべき例外はサッポーピンダロスの作品だが、これらは断片的にしか現存していない。各方言群はまた、植民市によって独特に表現されることもあった。それら植民市は、時には開拓移民や近隣住民が話す異なる方言の影響を受けて、独自の発展を遂げた。

紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の征服ののち、コイネーもしくは共通ギリシア語として知られる国際的な方言が発達した。コイネーは大部分でアッティカ方言が原型となっていたが、ほかの方言の影響も受けていた。古代の方言のほとんどは徐々にコイネーに入れ替わっていったが、ドーリス方言は現代ギリシア語のツァコニア方言として生き残っているほか、デモティキの動詞にもアオリストの形を残している。紀元後6世紀頃までに、コイネーは中世ギリシア語に変異していった。

古典ギリシア語

日本語では「古典ギリシア語」という名称が広く知られているが、これは「古代ギリシア語」と同一の概念ではない。古典ギリシア語は、古代ギリシアの諸方言の中で最も代表的なものとなった古典期のアッティカ方言を指す呼称である。

紀元前5世紀頃までは散文の中心がイオニア地方であったため、イオニア方言が主に用いられていた(ヘーロドトスなど)。しかし、前5世紀後半からはアテーナイに優れた弁論家・文筆家(プラトーントゥーキューディデースなど)が多く現れ、さらに政治的にもアテーナイがギリシアの中心となったため、前4世紀頃にはアッティカ方言がギリシア世界の標準語となった。この頃[注 2]に用いられていたアテナイの言語を指して「古典ギリシア語」と呼ぶ。

音韻の変化

ギリシア祖語以来、以下の音韻の変化はほぼすべての古代ギリシア語方言に見られる。

  • 音節主音的子音 /r/, /l/ は、ミケーネ語とアイオリス方言で /ro/, /lo/ に、それ以外の方言では /ra/, /la/ に変化した。ただし、共鳴音の前では /ar/, /al/ と発音された。
    例) インド・ヨーロッパ祖語の *str̥-to- は、アイオリス方言では στρότος となり、他の方言では στρατός となった(どちらも「軍隊」の意)。
  • /h//j/ が、原形の /s/(初期は例外)から脱落した。
    例) τρεῖς「3」は *tréyes から、ドーリス方言の nikaas「征服した」は nikasas から nikahas への変化から、それぞれ脱落して形成された。
  • 多くの方言で、/h/, /j/ が脱落するまでには /w/ が脱落した。
    例) ϝέτος から ἔτοςへの変化(どちらも「年」の意)。
  • 両唇軟口蓋音の多くが両唇音に変化した。一部は歯音軟口蓋音にもなった。
  • /h//j/ の脱落の結果(/w/ の影響は小さい)、母音の隣で融合が起きるようになった。これはアッティカ方言で最も顕著な現象である。
  • 融合などの影響で特殊なサーカムフレックス(曲アクセント)が作られた。
  • 上記の制約とともに、アクセントを最後の3音節のいずれかに付すという規則が誕生した。
  • /s/ の前で /n/ が脱落し(ただしクレタ方言では不完全)、直前の母音で代償延長が起きた。

/w/, /j/ は脱落する傾向が強かったが、完全に消失していたわけではない。初期には母音の後ろにあるとき、その母音と結合して二重母音の形をとっていた。子音の後ろでの /h//w/ の脱落は、直前の母音の代償延長に伴って起こった。一方、子音の後の /j/ の脱落には、直前の母音の二重母音化、口蓋化、子音のほかの変化など、多くの複雑な変化が絡んでいた。以下はその例である。

  • /pj/, /bj/, /phj//pt/
  • /lj//ll/
  • /tj/, /thj/, /kj/, /khj//s/ - 子音の直後のとき。それ以外の場合は /ss//tt/(アッティカ方言)。
  • /gj/, /dj//zd/
  • /mj/, /nj/, /rj//j/ - このときの /j/ は子音の前で置換され、直後の母音とともに二重母音をなす。
  • /wj/, /sj//j/ - 同時に直後の母音を二重母音化する。

母音融合の結果は方言ごとに複雑であった。多数の異なる種類の名詞や動詞の屈折語尾に起こる融合は、古代ギリシア語文法の最も難解な面を体現している。母音融合した動詞の分類、名詞から作られた動詞、母音の屈折語尾において、このような融合は非常に重要になってくる。実際、現代ギリシア語では母音融合動詞の発達形(たとえば、古代ギリシア語の母音融合動詞を受け継いだ動詞の組み合わせ)が、動詞の主要な2つの分類を象徴している。


注釈

  1. ^ 裏付けは完全とは言えず、またアルファベットではなく音節文字表(線文字B)で書かれているため、一部は再建による。
  2. ^ 具体的にはペリクレースの死(前429年)からデーモステネースの死(前322年)までの約100年間。

出典

  1. ^ Roger D. Woodard, “Greek dialects,” The Ancient Languages of Europe, R. D. Woodard (ed.), Cambridge: Cambridge UP, 2008, p. 51.
  2. ^ 高津春繁『ギリシア語文法』による。最新版『ブリタニカ百科事典』のように、これより簡略な分類がされる場合もある。マケドニア方言の位置は、現在主流となっている最新の学説を元に配置した。
  3. ^ Roisman, Worthington, 2010, "A Companion to Ancient Macedonia", Chapter 5: Johannes Engels, "Macedonians and Greeks", p. 95:"This (i.e. Pella curse tablet) has been judged to be the most important ancient testimony to substantiate that Macedonian was a north-western Greek and mainly a Doric dialect".


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