古代ギリシア陶器の用途と種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:28 UTC 版)
「古代ギリシアの陶芸」の記事における「古代ギリシア陶器の用途と種類」の解説
全ての古代ギリシアの陶器が純粋に実用的というわけではない。大型の幾何学様式のアンフォラは墓標として使われた。アプリアではクラテールを墓への供え物とし、パンアテナイア祭のアンフォラは芸術的オブジェとみなされていた側面がある。しかし現存するほとんどの陶器は、実用的な目的に沿ってその形状が決まっていた。古代ギリシアの陶器の形状を表す名称は、かつてそう呼ばれていたというわけではなく便宜的なもので、ごく一部はかつて使われていた名称だが、それら以外は考古学者がギリシアの文学に出てくる適当な名前を付けたものであり、常にうまく対応しているわけではない。形状と機能の関係を理解するため、古代ギリシアの陶器を大まかに次の4種類に分類することがある。 貯蔵・輸送用の容器 - アンフォラ、ピトス、スタムノス、ヒュドリア 混合容器 - クラテール、プシュクテール(冷酒器)、レベース 水差しと杯 - リュトン、キュリクス、オイノコエー、スキュポス、カンタロス、ルートゥロポロス 油、香水、化粧品などの容器 - ピュクシス、アラバストロン、アリバロス、レキュトス それぞれの分類の中で、同程度の大きさのものはだいたい似たような形状であり、蓋の有無といった違いはあるが、1つの陶器がどういう使われ方をしたのかをだいたい推測することができる。中には純粋に儀式用のものもあり、たとえは白地のレキュトスは葬式で供え物の油を入れるのに使われ、他の用途には全く使われなかったと見られている。その多くは中が二重底になっていて、油を少し入れただけでいっぱいに入っているかのように見える仕組みになっていたため、他の用途には使えなかった。 ギリシア陶器の国際的市場が紀元前8世紀以降存在し、アテナイとコリントスが紀元前4世紀末までその市場を支配した。その範囲は発見された陶器を地図にプロットすることで大まかにわかるが、それが物だけの移動なのか人間の移住を伴っていたのかはその地図だけではわからない。エトルリア人の墓でパンアテナイア祭のアンフォラがいくつも見つかっていることから、中古市場が存在したとされている。ヘレニズム期にはアテナイの政治的重要性が衰え、同時に地中海西部の陶器市場は南イタリアが支配するようになっていった。
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