2001年以降の指定解除
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「2001年以降の指定解除」の解説
名称位置指定日解説頭ヶ島天主堂 新上五島町友住郷 1991年3月29日 旧重要文化財(建築物)(2001年11月14日、国指定重要文化財に移行し指定解除)。大正6年(1917年)、鉄川与助の設計施工で落成した。西日本で唯一、基礎構造物が石造で構成された教会で、壁面はルスティカ積み、玄関部はアーチ構造。軒下にロンバルド帯を巡らしたロマネスク様式を取る。 大野教会堂 長崎市下大野町 1972年2月4日 旧重要文化財(建築物)(2008年6月9日、国指定重要文化財に移行し指定解除)。明治26年(1893年)、ド・ロ神父設計・監督のもと落成した。石積み部分の目地止めにド・ロが独自に現地の材料を調合したモルタルを用いた通称「ド・ロ壁」が用いられている。コンパクトな堂宇にするため、列柱を省略し、棹縁天井構造を取る。 江上天主堂 五島市奈留町大串郷 2002年2月26日 旧重要文化財(建築物)(2008年6月9日、国指定重要文化財に移行し指定解除)。大正6年(1917年)、鉄川与助の設計施工で落成した。奈留島西端の大串には外海キリシタンが僅かに入植しており、大正期には珍しく全木造の簡素な教会堂として建立された。五島によく見られるロマネスク様式の堂宇である。 清水寺本堂 長崎市鍛冶屋町 清水寺 1982年1月25日 旧重要文化財(建築物)(2010年12月24日、国指定重要文化財に移行し指定解除)。華僑の何高材が寄進して寛文8年(1668年)に改築されたと言われる。元来は黄檗宗ではなく、京都清水寺と同じく北法相宗だが、黄檗様式の建築技巧が用いられている。観音菩薩に航海安全を祈願した華僑の風習による折衷と推測される。 出津教会堂 長崎市西出津町 1972年2月4日 旧重要文化財(建築物)(2011年11月29日、国指定重要文化財に移行し指定解除)。明治15年(1882年)、ド・ロ神父設計・監督のもと落成した。明治42年(1909年)に玄関と鐘塔を増築したため、前端に鐘塔、後端に装飾塔を持つ双塔の特異な姿となった。数少ない平天井教会で、石・煉瓦や木板・和瓦を用いた和洋折衷型。 聖福寺 大雄宝殿・天王殿・山門 長崎市玉園町 聖福寺 1961年11月24日 旧重要文化財(建築物)(2014年9月18日、国指定重要文化財「聖福寺4棟 大雄宝殿・天王殿・山門」に移行し指定解除)。「三福寺」の聖福寺は、主要建造物が一括指定されている。長崎奉行らの寄進で開山し、堺の匠が建築したため、唐風の影響が少ない。大雄宝殿は正徳5年(1715年)再建・天王殿は宝永2年(1705年)上棟・山門は元禄16年(1713年)上棟。 聖福寺鐘楼 長崎市玉園町 聖福寺 2014年3月25日 旧重要文化財(建築物)(2014年9月18日、国指定重要文化財「聖福寺4棟 大雄宝殿・天王殿・山門」に移行し指定解除)。鐘楼は天王殿と同じく宝永2年(1705年)に着手され、享保元年(1716年)には完成していたと見られる県内最古の鐘楼である。文化財県指定は大きく遅れ、県指定からわずか半年で上述の3棟とともに国指定重文へと昇格した。 長松寺の高麗版大般若経 対馬市厳原町今屋敷 長崎県立対馬歴史民俗資料館 1985年2月27日 旧重要文化財(典籍)(2011年6月27日、国指定重要文化財「高麗版大般若経 附 補写経並版経」に移行し指定解除)。高麗王8代顕宗が発願し、11代文宗時代に出版された「高麗初雕大蔵経」のうち、若干の欠落がある517巻ぶんの折本。対馬に伝来した時期は不明で、一部盗難の末に韓国国宝となった安国寺本(国指定重文)と同じ版と考えられる。本場韓国でも初雕大蔵経は希少とされる。 山鹿文庫 平戸市岩ノ上町 積徳堂(山鹿文庫) 1980年10月24日 旧重要文化財(典籍)(2009年4月3日、東京の研究機関に寄贈され県外流出したため指定解除)。平戸藩初代藩主松浦鎮信に招かれた山鹿素行の自著・蔵書群。国指定重文「山鹿素行著述稿本類」55種を除く膨大な資料群で、個人的な読書録や便覧、本業の兵法書のほか、平安古典の注釈本など多彩な内容で、素行研究の基礎資料である。 白磁手ロクロ 波佐見町井石郷 1997年2月20日 旧無形文化財(2002年9月24日、保持者逝去のため指定解除)。田澤大助が保持する波佐見焼の成型技巧。機械動力を用いない人力の手轆轤を用いた技術に長け、機械動力轆轤成型の指導者でもある。波佐見焼職工としては初めての県無形文化財である。 献上唐子焼 佐世保市三川内町 1960年7月13日 旧無形文化財(2005年1月4日、保持者逝去のため指定解除)。中里時夫(2代雅松)が保持する三川内焼の彩色技巧。三川内焼を代表する「胡蝶を追い遊ぶ唐子」をモチーフとした呉須一色の文様である。シール・テンプレートによる量産品にはない表情の描き分けには熟練を要する。 白磁透かし彫り 佐世保市三川内本町 1997年2月20日 旧無形文化財(2012年2月2日、保持者逝去のため指定解除)。福本正則(14代玉泉)が保持する三川内焼の装飾技巧。成型した生地が生乾きのうちに刀を入れ、格子や窓を切り出す技巧で、壷や灯篭など大物を倒壊せず完成させるには、手際の速さとバランス感覚が要求される。 轆轤成形 波佐見町皿山郷 2009年4月3日 旧無形文化財(2013年12月、保持者逝去のため指定解除)。中村平三が保持する磁器成型技巧。波佐見焼は日用食器の大量生産に特化した伝統産業である。轆轤成型は大量生産に欠かせない技巧で、スピードとともに、品質・規格を均等に揃える正確さを旨とする。保持者は伝統工芸士として後継者の指導を行っている。 木原刷毛目 佐世保市木原町 1975年3月4日 旧無形文化財(2016年2月7日、保持者逝去のため指定解除)。横石陞治(13代臥牛)が保持する復興現川焼の彩色技巧。白磁に呉須絵付の三川内焼の本場ながら、先代が復興した赤土に多色彩色の現川焼を継承する。刷毛塗りの多様な文様の地色に細かな意匠の絵付けが施される。 木原刷毛目 佐世保市木原町 2018年3月29日 旧無形文化財(2018年7月26日、保持者逝去のため指定解除)。横石嘉佶(14代臥牛)が保持する復興現川焼の彩色技巧。先々代が復興した赤土に多色彩色の現川焼を継承する。刷毛塗りの多様な文様の地色に細かな意匠の絵付けが施されるが、指定後わずか4ヵ月で逝去。。 上五島神楽 新上五島町の旧上五島町・新魚目町域 1981年3月27日 旧無形民俗文化財(2016年3月2日、国指定重要無形民俗文化財「五島神楽」に移行し指定解除)。10~11月の秋祭りで披露され、秋冬の豊漁祈願の意味合いがある。旧富江領9か村で起こり、本土の流麗な舞と一線を画す五島特有の律動的な舞である。9か村個別の伝承が難しくなり、稽古は総合で行われる。またかつての神楽48番から30番へと大幅に縮小されている。 豊臣秀吉キリシタン禁制定書 一通 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 1968年4月23日 旧有形文化財(書籍)(2011年9月16日、新指定文化財「松浦文書」に統合し単独指定解除)。天正15年(1587年)旧暦6月19日に豊臣秀吉が発した「バテレン追放令」の原書。布教禁止・宣教師追放・交易継続を骨子とする五箇条が記録されている。同じ禁教令の伊勢神宮所蔵十一箇条の覚書と内容に相違点があり、様々な議論を呼んでいる。 鬼の窟古墳 壱岐市芦辺町国分本村触 1961年11月24日 旧史跡(2009年2月12日、国指定史跡「壱岐古墳群」に編入し指定解除)。直径45メートルの壱岐最大の円墳。羨道を含めた全長は16メートル、玄室の高さ・幅は3.5メートルと広い。墳丘の精密調査は実施されていないため、形状の細部は明らかになっておらず、濠があった可能性も取り沙汰されている。 ツシマジカ生息地 対馬市美津島町 尾崎半島 1966年9月30日「対馬のシカ」・1983年3月25日名義変更 旧天然記念物(2004年3月31日、増殖による絶滅危惧回避のため指定解除)。平戸のニホンジカと逆に、個体数の増加による林業被害に対抗できる駆除地域と完全保護ができる地域を線引きするために、尾崎半島西岸300haが保護区に設定された。昭和51年(1976年)にニホンジカと別種であることが判明したために名義変更された。
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