高麗版大般若経
主名称: | 高麗版大般若経 |
指定番号: | 2313 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1975.06.12(昭和50.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 内六帖、重熙十五年四月許診寿摺写供養記 |
員数: | 219帖 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | 1046 |
検索年代: | |
解説文: | 高麗版二一九帖を中心に附【つけたり】の補写経三十二帖を加えた大般若経である。高麗版のうち六帖に重熙十五年(靖宗十二年・一〇四六)四月高麗国の金海府戸長礼院使許珍寿が亡父追善のため大般若経六百巻を摺写供養した旨の墨書がある。この外刻字、版式等よりみて本経がその初雕本による後印か、或いはそれと密接な関係が窺われることは明らかで、高麗前期のまとまった版本として東洋印刷史上にも価値が高い。附の補写経は高麗時代の補写一巻を除きいずれもわが国で補われたもので、書写奥書等によって安国寺への伝来の過程を明らかにして注目される。 |
高麗版大般若経 (安国寺)
(高麗版大般若経 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 23:56 UTC 版)
安国寺本高麗版大般若経(こうらいばんだいはんにゃきょう)は長崎県壱岐市の安国寺に伝わる仏教経典。現存する高麗版大般若経の一つ。日本の重要文化財に指定されている。
概要
壱岐安国寺の大般若経は、高麗国 金海府戸長の許珍寿が大願をたて、その祈祷のために600巻を摺写し、西伯寺に寄進されたものだと安国寺で伝えられている。
安国寺本は591帖が重要文化財に指定され、内訳は版木から刷られた高麗初雕本が219帖、日本で補写された写本が372帖となっている。高麗初雕本には契丹の重熙15年(1046年)の奥書を有する[1]。1420年長崎県東彼杵郡川棚町の長浜大明神に1部600巻として寄進され、1486年に出羽立石寺の如円坊の献上により、安国寺に持ち込まれている。1975年6月12日重要文化財に指定され、[2]翌1976年(昭和51年)から1977年(昭和52年)にかけ948万円をかけて保存修理を行った。(「壱岐国安国寺」より(安国寺発行))。仏教文化史、印刷文化史、日朝交流史などの資料として貴重な文化財である。
盗難
1994年7月23日に493帖が宝物殿から盗まれていることが発覚した[3][4][4]。残りは他の場所で展示しており無事だった。
1995年にしみや汚れ、巻末の署名などが酷似したもの3帖が韓国で「発見」され、韓国の国宝284号に指定された。日本の外務省が1998年に韓国政府に対して調査を依頼したが、個人所有であるとして返還が認められなかった[4]。所有者は、コリアナ化粧品(코리아나화장품)会長で韓国博物館会会長の兪相玉(유상옥、ユ・サンオク)である[4]。
盗難の公訴時効は、2001年7月23日に成立している[3][4]。
この問題は、2011年4月22日の衆議院外務委員会でも取り上げられ、外務大臣は韓国政府に調査を依頼すると答弁[5]。日本の外務省は同月末に、韓国外交通商部に対し、1994年に安国寺から盗まれた「高麗版大般若経」と、2002年に鶴林寺から盗まれた「阿弥陀三尊像」について、韓国内流入の事実確認や詳しい経緯の再調査を要請した[6]。
なお、対馬の長松寺には安国寺版と同版とみられる高麗版大般若経(紙本、折本装、586帖、高麗初雕版系)があり、2011年6月27日、重要文化財に指定された(長崎県立対馬歴史民俗資料館に寄託)[7]
脚注
- ^ 長崎県の文化財 高麗版大般若経(安国寺)
- ^ 昭和50年文部省告示第90号
- ^ a b 重文の経典盗難事件が時効・韓国に酷似の国宝 日本経済新聞 2001年7月23日
- ^ a b c d e 菅野朋子 【特別リポート】消えた「重要文化財を追え!」壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた!(週刊新潮 2005年10月13日号)
- ^ 盗難の長崎の重文 韓国の国宝と「酷似」 外務省が調査依頼へ MSN産経ニュース(産経新聞)、2011年4月22日
- ^ 「盗難文化財の再調査を韓国に要請 外務省」 朝日新聞 2011年5月9日
- ^ 文化遺産データベース 高麗版大般若経
関連項目
- 経典#朝鮮半島 - 高麗八万大蔵経
- 安国寺 (壱岐市) - 長崎県壱岐市にある臨済宗大徳寺派の寺院。
- 朝鮮王室儀軌#日本の文化財に対する窃盗に関して - 朝鮮半島から流出した文化財の返還問題 - 鶴林寺 (加古川市)
外部リンク
高麗版大般若経
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「安国寺 (壱岐市)」の記事における「高麗版大般若経」の解説
大般若経591帖が6箱に収められ、安国寺経蔵に保存されていた。当初は巻物であったが、折本装に改められている。591帖の内訳は高麗時代の版本が219帖、後に補われた写本が372帖となっている。版本は高麗初雕本で、うち6帖に施入者高麗国金海府戸長礼院使許珍寿、中に契丹(遼)の重熙15年(1046年)丙戌4月の奥書がある。写本の筆写年は、建武4年(1337年)、正平18年(1363年)、建徳2年(1371年)、応安5年(1372年)から、天正元年(1573年)に至り、長い年月をかけて完成につとめたことがうかがえる。高麗初雕本は日本では珍しく、京都南禅寺に有欠本が伝わっている。1420年(応永27年)彼杵郡河棚村(現東彼杵郡川棚町)の長浜五所大明神に寄進された大般若経一部600巻が、のち文明18年(1486年)出羽立石寺如円坊によって、安国寺に施入された。
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