総理大臣時代の原発事故対応の批評
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「菅直人」の記事における「総理大臣時代の原発事故対応の批評」の解説
民間の事故調報告 2012年2月27日に発表された民間の事故調報告(福島原発事故独立検証委員会)では、東京電力本店に乗り込んだ件などの言動は東京電力側に「覚悟を迫った」と評価したうえで、事故対応の局面で怒鳴るなど菅の個性が「混乱や摩擦の原因ともなった」「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」「無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で泥縄的な危機管理」「菅の決定や要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった」「官邸の中断要請に従っていれば作業が遅延した可能性がある危険な状況だった」。ただし、中止の指示を最終的に直接出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が認めている(吉田調書)[要出典]。「会議で海水注入による再臨界の可能性を菅が強い調子で問いただし再検討を指示していた」と指摘した。北澤宏一委員長は、菅の事故対応について「情報の出し方を失敗し、国民の評価を失った。全体としては不合格」と評価した。 国際原子力機関 国際原子力機関は日本政府の原発事故後の対応を模範的なものであったと評価している。一方で、原発事故の未然対策については不十分であり、日本の原発管理はその構造から見直すべきであるとした。 国会事故調査委員会・政府事故調査委員会 2012年6月9日、国会の「事故調査委員会」は原発事故の住民避難の混乱拡大について、菅前首相をはじめ、首相官邸による過剰な現場介入が事故対応の妨げとなるとともに、官邸の初動の遅れが住民避難の混乱拡大を招いたと結論づけた。 2012年7月5日に発表された 国会の事故調査委員会では、「海江田経済産業相から法に基づく原子力緊急事態宣言を出すよう求められるも、菅が各号機の出力や燃料溶融の可能性など技術的な質問を連発し発出を認めなかったことで宣言の発令まで約1時間20分を要し初動が遅れた」「菅が全面撤退を阻止したとする主張については菅が全面撤退を阻止したという事実は認められない」と指摘しており、2012年7月23日に発表された政府の事故調査委員会最終報告では、「海水注入準備が進む中、海水注入による再臨界を懸念し菅が技術的検討を指示した」、「菅らは官邸5階にいて重要案件を決め、関係省庁の幹部が集まる危機管理センターを活用しようとしなかったためSPEEDI活用の機会を失った」と指摘し、双方の報告書において「東電は全員撤退を決定した形跡は見受けられない」と指摘しており、事故発生後の官邸の介入に関しては「混乱を招いた」、「弊害が大きい」と非難を受けた。 自民党 自民党は震災対応に対する指導力不足を指摘し、被災者の仮設住宅入居について「何としてもお盆までにすべての希望する人が仮設住宅に入れるように、私の内閣の責任として実行する」と述べたことについて自民党の野村哲郎は「根拠がない」と批判し、のちにそれが菅の個人的な目標であったことが明らかになると同党の林芳正は「リーダー失格」と批判した。 自民党の安倍晋三は2011年5月20日、自身が発行するメールマガジン[リンク切れ]にて、福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。これに関し、菅は、中止の指示は東電側から出されたもので安倍に嘘の情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求していたが、安倍はこれに応じずメルマガの掲載を続けたため、2013年7月16日、菅は東京地裁への提訴に踏み切った。2015年12月3日、東京地裁は、安倍の主張に事実と異なる部分があるとしながらも、記事の主要部分は真実と認め、賠償責任に至るものではないとの判決を下し、高裁、最高裁もこれを支持した。 なお、実際には事故当時の福島第一原発所長・吉田昌郎の判断により海水注入は続けられていたことが後日判明している。 当時の政府関係者による評価 当時、政府内で事故対応にあたった閣僚からは「あれぐらいわがままで勝手で強引でという人間でなかったら、たぶん政府の機能が止まっていたのではないか」(枝野幸男)、「菅首相以外の首相があそこで判断を迫られた場合、判断できた人が誰なのか、私は分からない」(細野豪志)など当時の菅の対応を支持する声もある。当時首相補佐官を務めた辻元清美は、菅が理念重視のあまり気が回らず、妥協、利害調整ができなかったと指摘する一方で「浜岡原発停止要請」や「脱原発表明」は菅自身が考え抜き決断したとも語っている。当時菅内閣の防衛大臣であった北澤俊美は東電の「全面撤退」を菅が拒否したとして「戦後最大の危機に対処できたのは菅首相のリーダーシップがあったればこそだ」と評価する 一方、住民避難のため緊急時迅速放射能影響予測システム (SPEEDI) の活用を「強く進言したが採用されなかった」と記し「首相が孤軍奮闘する場面が多く、閣僚、官僚を信じ、任せて一丸となる仕組みやムードを作れなかった」と苦言も呈した。当時の菅の側近であり、首相補佐官として事故対応にあたった寺田学は、3月15日早朝に東電本店に乗り込んだ際の菅の演説を史上最低だったと評した。 メディアの評価 読売新聞系列 読売新聞は地震発生から2週間以上も記者団の取材や質問に応じず、国会での答弁も行わなかった菅首相について「表舞台に姿を現さない」、「首相のリーダーシップが見えない」としている。また、菅や閣僚が、各府省幹部らが集まる官邸地下の危機管理センターを十分に活用しなかった結果、放射性拡散物質SPEEDIを住民の避難誘導に利用することは検討もされなかったことや、官僚組織を使いこなせず、事態を混乱させた責任は重いとし、官邸が各府省や東電に対して、広報活動の事前連絡を求めたため原発の状況に関する国民への情報提供も遅れたとしている。「2つの調査委員会が、ともに政府の責任を厳しく問うていることを重く受け止めねばならない」と指摘し、事故対応の遅れは「菅災である」としている。結果的に、菅政権は震災への対応等で混乱して批判を受けるなどゴタゴタが続いたため民主党に対する信頼を失わせたとしている。 朝日新聞系列 朝日新聞は「福島第一原発事故の対応拠点となった免震重要棟が大飯では未整備なまま容認するなど、付け焼刃の基準による判断が国民の不信感を増幅させた」としている。 中日新聞系列 日経新聞系列 日経新聞は「原子力には詳しい」と自負していた菅が「臨界って何だ」と発言したと報じ、「なまじ知識があるだけに話すとぼろが出そう」との周囲の不安が出番の激減につながっているとした。また、「震災や福島原発事故を巡る菅の対応は初動を巡る政治の混乱が国内外に不安をもたらした」としている。 毎日新聞系列 毎日新聞は菅が岩手県陸前高田市、宮城県石巻市を視察した際に、被災者たちから「来るのが遅すぎる」「今頃来ても」「がんばれしか言えないのか!」と厳しく菅を非難する声があったと報じている。また、「政府にも大きな問題があった」、「規制する立場でありながら規制される側の電力事業者に取り込まれ必要な安全規制の導入を怠ってきた。国会事故調の人災との指摘はもっともであり、電力会社と政府は事故の共犯といってもいいだろう」、「官邸の危機管理にも様々な不手際があった」としている。 一方で、毎日新聞の倉重篤郎は2011年6月30日、「菅直人首相さえいなくなれば問題のすべては解決する」という安直な発想に永田町が陥っているとし、原発事故対策などポスト冷戦時代の日本の抱える問題を原罪に例えて、菅を「原罪を背負って十字架にかけられる人のようにも見える」とイエス・キリストに例えた。 産経新聞系列 産経新聞は「引きこもり」「枝野官房長官に説明を丸投げ」「パフォーマンスばかりが目立つ」等と批判している。産経新聞の阿比留瑠比は内閣官房参与の松本健一が菅との会談後「原発周辺は10年、20年住めない」「東日本はつぶれる」と会談の内容を明かし、波紋を呼んだ際には、菅を「歩く風評被害」と評した。政府の事故調が原発事故に関する報告書を公開した際にも「調査の結果、菅による人災が証明されたといえる」としており、一部菅を評価する調査結果についても原発事故担当相だった細野豪志が民間事故調の聴取で、菅が東京電力本店に赴き「撤退はあり得ない」などと発言したことについて「日本を救ったと思っている」と話ったことが明かされていることから、民間事故調が報告書の中で、菅が東電本店に乗り込んだ際の言動を評価したことについては、細野の証言が強く影響しているとしている。 国外メディア 2012年3月にはガーディアン紙特派員が「東電幹部の首根っこを抑えた菅前首相は及第点」と 一定の評価をした。 ドイツの第2ドイツテレビ (ZDF) は東電幹部、作業員、原子力工学者などに対するインタビューや現地調査、河野太郎、佐藤栄佐久などの他、菅直人自身にもインタビューを行って作成した日本の原子力事情や危機管理、福島第一原発事故を巡る一連のドキュメンタリー報道の中で、菅の対応は、原子力危機に対する危機管理が整備されていない状態で、できることの中では十分なものであったと評価した。また日本の政界、財界、産業界、マスコミには総理大臣すらコントロールできない原子力村と呼ばれる巨大なネットワークが存在すると指摘しており、原発事故後に然したる確証も無いままにマスコミが行った菅に対するネガティブ報道を行ったことや、政界で菅おろしの動きが急速に広まったことについても、菅が原子力行政をめぐって原子力村と真っ向から対立したことが大きな原因であるとしている。 イギリスのBBCは原子力事故に関して作成したドキュメンタリー「Inside the Meltdown」の中で当時の東京電力の対応を強く批判する一方で、菅の対応は最善とはいえないが、それなりに高く評価はできるとした。 その他 元原子炉設計者でもある大前研一は官邸の「過剰介入」が被害を拡大させたとの事故調の指摘を「的外れ」と批判し、首相に正しいアドバイスができなかった原子力安全委員会に問題があったとしている。一方で、菅をはじめとする民主党政府に全く危機管理能力がなかったことも原発事故直後から明らかで、炉心溶融を2か月も隠して国民に嘘をつき続け根拠もなく広い区域に避難指示を出して損害賠償額を膨大なものにしたとして当時の官邸の対応を批判している。 菅の公式ウェブサイトには、作家で元外交官の佐藤優による、事故当時の菅政権の対応により“都市パニック”を防ぐことができた点においては、肯定的な評価を行うことも重要だと述べたメッセージが掲載されている。 御厨貴は菅の東日本大震災の対応に対して東電幹部を怒鳴ってみたり菅氏は一つの流れの中で全体を大観する国家リーダーとしての資質に乏しい総理でしたと述べている。 2016年4月30日に東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故後、脱原子力と再生エネルギーの普及を訴えたとして評価され、ドイツのフランクフルト市から脱原発勇敢賞を受賞した。
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