総理大臣筆頭秘書官の妻へとは? わかりやすく解説

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総理大臣筆頭秘書官の妻へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:19 UTC 版)

榎本三恵子」の記事における「総理大臣筆頭秘書官の妻へ」の解説

1966年の秋、店の裏通りラーメン屋一人食事をしていた時に当時自民党幹事長だった田中角栄秘書榎本敏夫見初められる。店は『来々軒』で、食べ終わって店を出ると連れ一人追いかけてきて、働いている店名聞かれたという。榎本敏夫見た第一印象は「ちっちゃい人だなあ」というものだった。「君は背が大きい。僕はちっちゃい。だから相性が合うんだ」と言われた。一度離婚歴があった榎本敏夫は、翌日から店に通い始めてカウンター水割り二、三飲んでいくのが日課になり、ある日、店に名刺置いていった。その名刺肩書には『自由民主党幹事長 田中角栄第一秘書官と書かれており店内一気どよめいた。そして後日榎本敏夫三恵子に「僕の秘書ならないか」と突然持ち掛け履歴書を書くように言いつけてっきり就職のためと思い込んだ三恵子が榎本宅へ履歴書届け行ったところ、いきなり向こう両親に引き合わされ結婚のための面談となる。その時榎本敏夫40歳三恵子は18歳22歳も年の離れているということ結婚家族から猛反対されるが、榎本の「田中先生総理大臣にする」という熱意三恵子は打たれ結婚踏み切るまた、中学生のころに父を亡くしていた三恵子は、「自分父性愛飢えていたから」と、年の差のある夫に惹かれたことの理由として上げている。式はその年の12月9日田中角栄仲人で、ホテルニューオータニ行われ、籍は14日入れたが、その入籍の日まで榎本敏夫三恵子の18歳という年知らなかったという。 1968年8月9日長男1971年5月次男1973年1月三男出産する1972年7月5日田中角栄自由民主党総裁当選し総理大臣筆頭秘書官の妻となった三恵子は電話報告を受け、涙を流した。そして陳情に来る人物財界頂点にいる側近などに対して、夫と共に接触して付き合って問題ないかどうかなどを忠告するなどの役目を負う。後に丸紅ルートと言われ裁判でも大きな焦点となる5億円の受け渡し行った大手総合商社丸紅のIに関しては、付き合い止めて欲しいとの忠告その時すでにしていた。その時榎本敏夫返事は「君がそう思うなら間違いないだろう」というもので、それ以来、Iからの電話は家へかかってなくなった

※この「総理大臣筆頭秘書官の妻へ」の解説は、「榎本三恵子」の解説の一部です。
「総理大臣筆頭秘書官の妻へ」を含む「榎本三恵子」の記事については、「榎本三恵子」の概要を参照ください。

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