総理就任と外交政策とは? わかりやすく解説

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総理就任と外交政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:01 UTC 版)

周恩来」の記事における「総理就任と外交政策」の解説

1949年中華人民共和国の建国後、周恩来国務院総理首相に相当。建国当初政務院総理称していた)に就任し1976年死去するまで27年間この地位にあったまた、1958年まで外交部長外務大臣)を兼任し外交政策主管した周恩来1950年に非共産圏ではビルマ次いで中華人民共和国国家承認して最初に大使館設置したとなっていたインドと関係を強化しインド対立していたパキスタンとも1951年外交関係結んで後にインドよりも中華人民共和国親密になる契機築いた1955年インドネシアバンドン開かれたアジア・アフリカ会議バンドン会議)の出席者アラブ諸国団結掲げエジプトガマール・アブドゥル=ナーセル大統領とは回族アズハル大学卒業生の馬堅(英語版)の通訳で会話交わして親交を結び、エジプトアフリカ初め中国国家承認する国となってアフリカ諸国歴訪でも真っ先訪れた。同会議直前には会議招待されなかった中華民国台湾)による周恩来暗殺作戦とされるカシミールプリンセス号爆破事件起きている。インドネシアスカルノ大統領とは「北京ジャカルタ枢軸」と呼ばれる関係を築きスカルノ国際連合非加盟国でつくる「第二国連」を構想して新興勢力会議CONEFO)を結成した際に中国アラブ連合共和国とともにCONEFO本部建設最大支援国となっており、インドネシア中華民国イスラエル1962年アジア競技大会参加拒否して新興国競技大会開催するなどアラブ諸国中華人民共和国連携しスカルノ失脚直前には中華人民共和国インドネシア核開発協力持ちかけるまでの蜜月ぶりだった。また、会議出席したアフリカ独立運動のとされるガーナクワメ・エンクルマ大統領周恩来特注して贈られ人民服愛用し訪中同時にガーナクーデター起きた際も周恩来からエンクルマ国賓待遇された。周恩来W・E・B・デュボイスヒューイ・P・ニュートンアメリカ合衆国黒人運動家中国招いてアフリカ系アメリカ人公民権運動にも支持与えた。 かつての向ソ一辺倒での蜜月消えてソビエト連邦との中ソ対立起きると、中華人民共和国発展途上国だけでなく、米国日本など先進国との国交正常化求めようになった周恩来総理として両国との交渉管掌した。日本とは高碕達之助との合意LT貿易行い日本社会党自由民主党の元内閣総理大臣である片山哲石橋湛山緊密な関係を築き1959年には中国建国10周年慶祝訪中団団長の片山会見して石橋日中国交樹立呼びかける共同声明発表している。 1971年には周恩来外交手腕もあって中国共産党一つの中国政策支持してきたインドエジプトなどアジア・アフリカ非同盟諸国ソ連東ヨーロッパなどの東側諸国米ソと並ぶ国連安保理常任理事国でもあるイギリスフランスなどの一部西側諸国当時ウ・タント国連事務総長からの支持得てアルバニア決議国連総会可決され中華人民共和国国連加盟して中華民国国連関連国際機関から追放させることに成功しアルバニア決議反対していた日米中華人民共和国との国交樹立に動くことになる。 1972年2月パキスタンルーマニア仲介アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンの訪中実現させ、アメリカとの国交正常化交渉前進させた(アメリカ合衆国中華人民共和国との米中国交正常化実現したのはニクソン共和党政権交代した民主党ジミー・カーター大統領鄧小平の間の1979年のことである)。 同年1月日本当時佐藤栄作総理中華人民共和国との国交正常化目指すことを演説述べ周恩来への親書託した密使香港派遣して北京訪問希望伝えてきた。なお、アルバニア決議採択された際に自由民主党幹事長保利茂訪中する美濃部亮吉東京都知事書簡託す周恩来佐藤政権への不信感から斥けていた。同年9月現職総理では初め訪中した田中角栄数度にわたる交渉臨み日中共同声明調印して日本との国交正常化実現した調印式で交わした田中総理との固い握手とその写真時代象徴として語り草になった日中国交正常化には当時自由民主党政権だけでなく、国交正常化前に派遣されていた社会党公明党民社党といった野党永野重雄経済界訪中団なども貢献した。「日本人民は軍国主義者犠牲になった被害者だ」、「日中両国には、様々な違いはあるが、小異残して大同につき、合意達することは可能である」「わが国賠償求めない日本の人民も、わが国人民同じく日本軍国主義者犠牲者である。賠償請求すれば、同じ被害者ある日本人民に払わせることになる」と公言したことで日本マスコミから賞賛されたが、近年明らかにされた外交文書ではアメリカ合衆国国務長官ヘンリー・キッシンジャー対し日本台頭米中両国脅威である」などと話していたことが明らかになっている。 周の誠実な人柄と、自ら権力欲しない謙虚な態度中国革命への献身は、中華人民共和国民衆から深い敬愛集めていた。また、その人柄からニクソンキッシンジャー田中角栄など、諸外国指導者層からも信頼厚かった

※この「総理就任と外交政策」の解説は、「周恩来」の解説の一部です。
「総理就任と外交政策」を含む「周恩来」の記事については、「周恩来」の概要を参照ください。

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