アメリカとの国交正常化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:18 UTC 版)
「ラウル・カストロ」の記事における「アメリカとの国交正常化」の解説
詳細は「キューバの雪解け」を参照 革命以来、軍内での基盤が堅く、アメリカとの闘争などでは兄よりも強硬派とされている。1962年のキューバ危機では最後まで強硬論を兄に進言し続けていた。 しかし、議長就任後の2008年11月に行ったインタビューでは、 「アメリカはキューバにとって最も近い隣人です。私たちは互いを尊重するべきであり、私たちはアメリカの人々に対し何の敵意も持ってはいません。両国の友好関係は互いにとって有益です。我々は全ての問題を解決することは出来ませんが、より多くの問題を解決することが出来るはずです」 と答え、アメリカとの関係改善に含みを持たせた。 2013年12月10日、南アフリカ共和国・ヨハネスブルグで行われたネルソン・マンデラの追悼式に出席した際、アメリカ大統領のバラク・オバマと握手を交わし、「関係改善の兆し」として注目を集めた。また、ラウルとオバマの握手について、フィデルも「友好的ながらも毅然とした態度だった」とラウルを評価している。 2014年12月16日にオバマと電話会談し、翌17日に会見でアメリカと国交正常化交渉に入ることを明らかにした。20日には人民権力全国会議で演説し、アメリカに対してテロ支援国家の指定や経済制裁の解除を求めた他、今後も社会主義体制を維持すると表明した。 関係改善に踏み切った背景には、キューバの経済状況の悪化と、盟友だったウゴ・チャベスの死後、ベネズエラがキューバへの石油輸出を減少させていることが挙げられており、チャベスが死去した2013年からローマ教皇フランシスコの仲介で国交正常化に向けた協議を重ねていた。 2015年4月11日、パナマで行われた米州首脳会議に参加し、会場でオバマ大統領と59年ぶりの米・キューバ首脳会談を行った。会談の場では経済制裁の解除を求めた他、アメリカからキューバに逃亡した犯罪者の扱いについて協議した。また、キューバの人権状況や報道の自由についても議論すると表明したが、「幻想を抱いてはいけない」として譲歩する気はないと発言している。7月には正式にキューバとアメリカの国交が回復し、相互の大使館が再開された。 2016年3月21日、オバマが現職のアメリカ大統領として88年ぶりにキューバを訪問し、ラウルと首脳会談を行った。会談では両国関係の正常化推進や経済・通信分野での関係を改善することで一致したが、人権問題については「深刻な違い」と主張するオバマに対し、ラウルは「我々は人権を守っている」と反論している。
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