アメリカとの事前交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:16 UTC 版)
「日本国との平和条約」の記事における「アメリカとの事前交渉」の解説
1950年6月21日から27日にかけて国務長官顧問のジョン・フォスター・ダレスが来日し、6月22日吉田首相と会談した。また1951年1月25日、米講和特使ダレスが来日した。1月29日には吉田・ダレス会談が行われている。1月31日、第2次会談、2月7日、第3次会談がおこなわれた。2月11日、ダレスは、日本政府は米軍駐留を歓迎と声明し、フィリピンにむけて離日した。吉田首相は米国との安全保障取決めを歓迎し自衛の責任を認識すると声明した。3月27日、日本政府は、米政府よりダレス特使の構想にもとづいて米政府が作成した対日講和条約草案の交付を受ける。4月16日、ダレス特使が来日し、4月18日、連合国最高司令官リッジウェー・吉田首相と3者会談、対日講和・安全保障にかんする米国の基本的態度不変を確認。 吉田は朝鮮戦争勃発を講和の好機到来と直感し、秘密裏に外務省の一部に講和条約のたたき台を作らせていた。更に表向きは経済交渉という触れ込みで池田勇人を訪米させ、この講和条約案を直接アメリカ国務省と国防省の高官に内示することにより、講和促進を図ったことが明らかになっている。
※この「アメリカとの事前交渉」の解説は、「日本国との平和条約」の解説の一部です。
「アメリカとの事前交渉」を含む「日本国との平和条約」の記事については、「日本国との平和条約」の概要を参照ください。
- アメリカとの事前交渉のページへのリンク