アメリカとのつながり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 08:41 UTC 版)
「ハーバード・ハウス」の記事における「アメリカとのつながり」の解説
ハーバードという家名とのつながりは1605年、ストラトフォード=アポン=エイヴォンでトマス・ロジャースの娘キャサリンがサザークのロバート・ハーバードと結婚したことに由来する。ロバートもロジャース同様肉屋であり、かつ居酒屋のオーナーでセントセイヴィア教会(現在のサザーク大聖堂)の教区委員であった。 ジョン・ハーバードは1607年11月生まれで、父の地位ゆえにセントセイヴィアグラマースクールに通うことができた。1625年までには疫病のせいで一家はジョンと兄弟のトマス、母の3人だけになっていた。今や地主となった母キャサリンはジョンをケンブリッジ大学エマニュエル・コレッジに送ることができ、ジョンは聖職者の叙任を受けた。キャサリンは1635年に、兄弟のトマスは1637年に亡くなった。 1636年にジョン・ハーバードはアン・サドラーと結婚し、翌年イングランドからアメリカのマサチューセッツに移民した。ジョンは説教者および宣教長老として働いた。1638年9月14日に結核でなくなったため、ジョンがアメリカで過ごした時間は短かった。 ジョンの死の前にマサチューセッツ湾植民地はニュータウンにカレッジを創設していた。多くの植民者がケンブリッジ大学に在学したことがあったため、この大学町にちなんでニュータウンはこの直後にケンブリッジと改名された。父、母、兄弟から多額の遺産を受け継いでいたため、ジョンは750ポンド(今日の300万ポンド以上に相当する)と蔵書を基金に遺贈した。感謝の意を示すため、植民地は新しい学校をハーバード・カレッジと命名した。これはアメリカ最古の高等教育機関であり、現在のハーバード大学の母体である。
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