サザーク大聖堂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > サザーク大聖堂の意味・解説 

サザーク大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 14:33 UTC 版)

サザーク大聖堂(英語: Southwark Cathedral)、正式には聖セイヴャー 及び聖メアリー・オーヴァーリーの大聖堂およびカレッジチャーチ (The Cathedral and Collegiate Church of St Saviour and St Mary Overie)は、ロンドンサザークに在る大聖堂である。テムズ川の南岸に在り、ロンドン橋に近い。イングランド国教会サザーク大主教区の母教会である。キリスト教の崇拝場所として千年以上の歴史が有るが、大聖堂になったのは1905年サザーク大主教区が成立してからのことである。


  1. ^ Worley 1905, p. 34.
  2. ^ Stow, John (1908), Kingsford, C. L., ed., A Survey of London, 2, Oxford: Clarendon Press, p. 56 


「サザーク大聖堂」の続きの解説一覧

サザーク大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 21:29 UTC 版)

サザーク」の記事における「サザーク大聖堂」の解説

詳細は「サザーク大聖堂」を参照 イングランド国教会のサザーク大聖堂起源7世紀尼僧院で、テムズ川渡し守の娘メアリーがその創始者ということである。サクソン時代のセント・メアリー・オーヴァリー修道院さかのぼる。16世紀にセント・セイヴィアという教区教会となり、1905年今日サザ大聖堂となった。 現在大聖堂内陣1213年から1238年の間に建てられた。翼廊13世紀末の作であり、外陣19世紀再建されたものである19世紀の改修工事行ったのは建築家アーサー・ブロムフィールドであった内陣北側歩廊にハーバード・チャペルがある。宣教師ジョン・ハーバード近くのバラ・ハイ・ストリートに生まれ, 1607年にこの教会洗礼受けたハーバード1637年アメリカに移住ハーバード大学にとって最初寄付者となったジェフリー・チョーサー時代から文人と縁が深い。大聖堂には、シェイクスピア末弟16歳年下エドマンドの墓がある。

※この「サザーク大聖堂」の解説は、「サザーク」の解説の一部です。
「サザーク大聖堂」を含む「サザーク」の記事については、「サザーク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「サザーク大聖堂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サザーク大聖堂」の関連用語

サザーク大聖堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サザーク大聖堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサザーク大聖堂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのサザーク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS