サザーク大聖堂とは? わかりやすく解説

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サザーク大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 14:33 UTC 版)

サザーク大聖堂
救世主聖キリストならびに
聖メアリー・オーヴァリー大聖堂
および共同教会
サザーク大聖堂
ロンドン中心部の地図
座標: 北緯51度30分22秒 西経0度5分23秒 / 北緯51.50611度 西経0.08972度 / 51.50611; -0.08972
所在地 サザーク
ロンドン, SE1
イングランド
教派 イングランド国教会
ウェブサイト cathedral.southwark.anglican.org
建築物
様式 ゴシックゴシック・リヴァイヴァル
建設年 1106年 – 1897年
管轄
主教区 サザーク聖公会英語版 (1905年より)
教会管区 カンタベリー
聖職者
主教
(司教)
クリストファー・チェサン英語版
主任司祭 アンドリュー・ナン英語版
副主任司祭 マイケル・ローソン
(Michael Rawson (Canon Pastor))
先唱者 ギリー・マイヤーズ (Gilly Myers)
参事学長 マンディ・フォード
(Mandy Ford (DME))
参事宣教師
参事会計係 レアンヌ・ロバーツ
(Leanne Roberts (DDO英語版))
後唱者 レイチェル・ヤング
(Rachel Young (Minor Canon))
助任司祭 ジェシー・ダニエルズ・ホワイト
(Jessie Daniels White)
ドミニク・アダムソン
(Dominic Adamson)
名誉司祭 クリスティーヌ・ハードマン
(Christine Hardman)
関係平信徒
音楽監督 ピーター・ライト (Peter Wright)
オルガニスト スティーブン・ディズリー
(Stephen Disley)
堂守 ポール・ティムズ (Paul Timms)、サイモン・ガットウェイン (Simon Gutwein)、ジェームズ・コリンズ (James Collins)、ロバート・バイデン (Robert Biden)、トム・グリフィス (Tom Griffiths)
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サザーク大聖堂(英語: Southwark Cathedral)、正式には聖セイヴャー 及び聖メアリー・オーヴァーリーの大聖堂およびカレッジチャーチ (The Cathedral and Collegiate Church of St Saviour and St Mary Overie)は、ロンドンサザークに在る大聖堂である。テムズ川の南岸に在り、ロンドン橋に近い。イングランド国教会サザーク大主教区の母教会である。キリスト教の崇拝場所として千年以上の歴史が有るが、大聖堂になったのは1905年サザーク大主教区が成立してからのことである。

1106年から1538年までの間に、サザーク小修道院(Southwark Priory)というアウグスティノ会の教会として聖母マリアに奉納されていた。 修道院解散にともなって教区教会となり、改めて救い主イエスに奉納されることになった。教会はウィンチェスター教区に属していたが、1877年に救い主イエス教会の教区は他の南ロンドン小教区とともにロチェスター教区に転属した[1]19世紀に建てられた身廊以外、現在の建物は、1220年から1420年の間に建設されたゴシック建築の基本的な形態を保持している。

聖堂内部

歴史

伝説的な起源

16世紀のロンドンの歴史家ジョン・ストウは、修道院解散の前の最後の院長バーソロミュー・リンステッドに聞いた聖メアリーのサザーク小修道院の起源を記録した[2]。リンステッドは「ノルマン・コンクエストよりずっと前に」、メアリーという名前の乙女が両親から相続したテムズ川フェリーの利益により、女子修道院として設立されたと、主張した。後に「貴婦人のスウィゼン」によって、司祭の学校に変えられた。最後は1106にアウグスティノ会の小修道院として成り立った。

渡船業者の娘メアリー及びその善行は有名となったが、後の歴史学者はLinstedの物語を修正した。

関連項目

脚注

  1. ^ Worley 1905, p. 34.
  2. ^ Stow, John (1908), Kingsford, C. L., ed., A Survey of London, 2, Oxford: Clarendon Press, p. 56 

参考文献

  • Bumpus, T. Francis (1930). The Cathedrals of England and Wales. London: T. Werner Laurie 
  • Cherry, Bridget; Pevsner, Nikolaus (1990) [1983]. London 2: South. The Buildings of England. Penguin Books. ISBN 0-14-071047-7 
  • Sobecki, Sebastian (2015). “Ecce patet tensus: The Trentham Manuscript, In Praise of Peace, and John Gower's Autograph Hand.”. Speculum 90 (4): 925–959. doi:10.1017/S0038713415002316. 
  • Worley, George (1905). Southwark Cathedral. Bell's Cathedrals. London: George Bell & Sons. http://www.gutenberg.org/ebooks/24616 2011年10月7日閲覧。 

外部リンク


サザーク大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 21:29 UTC 版)

サザーク」の記事における「サザーク大聖堂」の解説

詳細は「サザーク大聖堂」を参照 イングランド国教会のサザーク大聖堂起源7世紀尼僧院で、テムズ川渡し守の娘メアリーがその創始者ということである。サクソン時代のセント・メアリー・オーヴァリー修道院さかのぼる。16世紀にセント・セイヴィアという教区教会となり、1905年今日サザ大聖堂となった。 現在大聖堂内陣1213年から1238年の間に建てられた。翼廊13世紀末の作であり、外陣19世紀再建されたものである19世紀の改修工事行ったのは建築家アーサー・ブロムフィールドであった内陣北側歩廊にハーバード・チャペルがある。宣教師ジョン・ハーバード近くのバラ・ハイ・ストリートに生まれ, 1607年にこの教会洗礼受けたハーバード1637年アメリカに移住ハーバード大学にとって最初寄付者となったジェフリー・チョーサー時代から文人と縁が深い。大聖堂には、シェイクスピア末弟16歳年下エドマンドの墓がある。

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