新しい学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 04:17 UTC 版)
「プルーデンス・クランドル」の記事における「新しい学校」の解説
学校の話は大西洋岸の諸地域を駆け巡り、州外からもクランドルの学校へ娘を送る黒人家庭も出始めた。1833年4月1日、ボストン、プロヴィデンス、ニューヨーク、フィラデルフィアほか、コネチカット周辺の地域から集まった20人の黒人少女たちが、「ミス・クランドルの有色人種のお嬢さん方のための学校」に集まった。 新しく始めた学校で、クランドルは、さまざまな教科を教えた。読み方、書き方、算術、英語の文法、地理、歴史、自然哲学、倫理、化学、天文学、美術、音楽、ピアノに、フランス語までも教えた。生徒たちには四半期ごとに25ドルの支払いが求められた。このお金は、授業料、寄宿費、清掃費に充てられた。本と文房具は一括購入して生徒たちに割引販売した。学校運営をやり遂げて若い黒人女性たちを助けようというクランドルの情熱はしかし、短い時間で尽きてしまった。なぜなら、彼女は地元社会からの村八分と批判にすぐに直面することになったからである。コミュニティからの排除と批判はさらに、コネチカット州全体からも向けられることとなった。
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