アメリカとの主導権争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 04:54 UTC 版)
「アンフォルメル」の記事における「アメリカとの主導権争い」の解説
ヨーロッパの美術の側から眺めると、1950年代の世界的な抽象主義の運動を、今日でもアンフォルメルと総括する傾向があり、ニューヨーク派の抽象表現主義を、あえて特殊なものと看做さず、世界的なアンフォルメル運動のひとつとする見方が主流である。他方でアメリカの美術の世界では、当時も現在も自国の美術がヨーロッパ旧大陸の美術を凌駕したという自負を持ちたいという願望から、グリーンバーグの意味づけを容認したという面も見逃せない。日本においては、1960年代以降、アメリカ側からの眺めを受け入れ、アンフォルメル運動をヨーロッパのみの傍流と受け止める見方が支配的である。 タピエの来日は、日本をアンフォルメルの陣営に引き入れようとした感が強い。この時期、アメリカでは、ハロルド・ローゼンバーグ(英語版)やクレメント・グリーンバーグといった評論家に擁護された抽象表現主義が全盛を極め世界に影響を広げようとしており、アメリカとフランスの美術界は戦後美術の前衛の主導権をめぐって争う状態にあった。ポロックらの優れた作家を抱え、優れた理論武装を行った抽象表現主義が次第に優勢となり、今日から振り返ると1940年代から1950年代の現代美術は抽象表現主義の時代であったとされることが多い。しかし、ヨーロッパや日本の美術を振り返る上でアンフォルメルは欠かせない存在である。
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