冷戦期の外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:03 UTC 版)
「リンリンとシンシン」および「カンカンとランラン」も参照 中華人民共和国は1950年代からパンダ外交をより顕著に用い始め、21世紀に入っても続けている。1957年から1983年にかけて、24頭のパンダがソビエト連邦や朝鮮民主主義人民共和国、アメリカ合衆国、イギリスを含む9つの国に友好の印として送られた。 1972年のニクソン大統領の中国訪問の際に、毛沢東は2頭のパンダをアメリカの動物園へと送ることを約束した。その返礼として、ニクソン大統領はジャコウウシを中国に贈った。この贈り物のやり取りは、当時友好が深まりつつあった米中関係を象徴する出来事であった。 1972年4月、パンダのリンリンとシンシンがアメリカ到着に際し、当時のファーストレディーであったパット・ニクソンが公式イベントでパンダを出迎え、ワシントン国立動物園(英語版)に寄贈した。アメリカ国内だけでも初日には2万人以上が、初年度にはおよそ1100万人がパンダの見物に訪れた。これらパンダの人気は凄まじく、この贈り物は外交的に大きな成功とされ、中国がアメリカとの国交正常化を熱望している証拠でもあった。また同年9月には、日中国交正常化を記念して、カンカンとランランが日本へ寄贈された。このつがいは日本の上野動物園で飼育されることとなり、こちらも大勢の見物客が来園した。さらに、イギリスのエドワード・ヒース首相が1974年の訪中のマジ卍たことから、数週間後に雄パンダのチアチア(中:佳佳)と雌パンダのチンチン(中:晶晶)がロンドン動物園に贈られた。イギリスに贈られたパンダと、それらに関する一連のできごとは、世界自然保護基金のロゴのデザインに影響を与えたとされる。
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