冷戦期の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:12 UTC 版)
「B-52 (航空機)」の記事における「冷戦期の運用」の解説
冷戦期中、B-52は戦略パトロール任務(airborne alert duty)についた。B-52はソ連の国境の周辺で24時間365日遊弋し、核戦争の際に先制攻撃や報復攻撃を即時行えるように待機していた。 1966年1月17日1機のB-52GとKC-135A空中給油機がスペイン上空で空中衝突事故(パロマレス米軍機墜落事故)を起こした。4発の4メガトン級の核爆弾B28は最終的には回収された。4発の内2発は弾頭の起爆用の通常爆薬が爆発を起こしており、プルトニウムとウランが飛散していた。安全装置は墜落の衝撃と爆発に耐えて核爆発だけは避けられた。事故後、1,400トンの汚染された土がアメリカに運ばれた。衝突事故と土壌汚染のリスクの高さから、以降常時飛行のパトロールは中止された。2006年に事故による汚染の調査と除去についてアメリカとスペインの間で協定が結ばれた。 1968年1月22日、同じく4発の核爆弾を搭載したB-52Gがグリーンランドのチューレ空軍基地に緊急着陸しようとして海氷上に墜落した(チューレ空軍基地米軍機墜落事故)。それによる火災は放射能汚染を発生させ、除去には同年9月まで要した。 1973年10月の第四次中東戦争ではソ連がエジプトとシリア側として参戦すると表明した。対抗措置としてリチャード・ニクソン大統領は軍の警戒レベルをデフコン3に引き上げた。その一環として、メルヴィン・レアード国防長官はB-52部隊に即時の戦闘態勢を命じ、燃料と兵器を満載したB-52がグリーンランドの周囲で上空待機することとなった。これを受けてソ連は参戦を断念した。 B-52は陸上配備ミサイル、潜水艦搭載ミサイルと共に戦略核兵器の三本の柱の一つであり続けた。また戦略パトロール任務を外れたG型の一部は、AGM-84 ハープーン空対艦ミサイルを搭載可能に改造され、洋上哨戒を行い、ソビエト海軍の艦船に対抗した。 B-52の代替機としてB-1B ランサーが登場したものの、B-52の初期型とFB-111の代替に終わった。 ソビエト連邦の崩壊後、第一次戦略兵器削減条約(START I)により365機のB-52が廃棄されることとなり、ロシアは偵察衛星及び監視員によって廃棄の進行状況を監視した。 1991年にB-52は戦略航空軍団において24時間の警戒態勢から解かれた。
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