冷戦期間の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 09:46 UTC 版)
「コネチカット州の歴史」の記事における「冷戦期間の繁栄」の解説
冷戦期間、コネチカット州では最初の原子力潜水艦USSノーチラスやペンタゴン向けの基本的な武器を製造した。1960年代初めには雇用率が上がり、一人当たりの収入ではアメリカでも最大の州となった。生活水準が上がり、大都市の周りに様々な郊外地域が開発された。コネチカット・ターンパイクのような主要幹線道路が建設され、それまでの小さな町が大規模開発の対象となり、その傾向は現在でも続いている。この時期に州内人口の成長率もピークを迎え、1950年から1970年の間に100万人以上増加した。 1964年、アメリカ合衆国最高裁判所の指示により、コネチカット州議会は新しい憲法を採択して「一人一票」を認めることになった。この目的は、それまで小さな町の代表の数が多かった州議会に、都市部から人口に比例した平等な代議員を送り出せるようにしたことである。これは都市部で強い民主党には好都合であり、ジョン・M・ベイリー党首の任期中は議会を制した。1954年から1986年まで、民主党は知事選で1度負けただけであった。1974年、ベイリーの子分であるエラ・T・グラッソは夫の後を継いだのではない最初の女性知事になった。 コネチカット州の繁栄は1980年代末まで続いた。この時期に、ゼネラル・エレクトリック、アメリカン・ブランズ、およびユニオンカーバイドのような著名企業がフェアフィールド郡に拠点を移した。フェアフィールド郡はニューヨーク市に近接しており、多くの労働者はメトロ・ノース鉄道を使って通勤が可能で、ニューヨーク大都市圏と一体となって繁栄した。現代のコネチカット州は圧倒的に郊外型の中流階級の州となっており、その中に幹線道路や都市部とは比較的無縁な小さな田園地帯が忘れられたように存在している。ロナルド・レーガン大統領が始めた防衛構想の時には、エレクトリック・ボートの造船所、シコルスキーのヘリコプターおよびプラット・アンド・ホイットニーの航空機エンジンなどの雇用者が多く、特に繁栄した。恐らくはその結果として、1970年代と1980年代の選挙では共和党の勢力が州内で優勢となった。
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