冷戦時代の語学教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:06 UTC 版)
「アメリカ国防総省語学学校」の記事における「冷戦時代の語学教育」の解説
1950年代、アメリカ空軍によって行われていたイェール大学、コーネル大学、インディアナ大学およびシラキュース大学との契約プログラムによる外国語教育、およびアメリカ海軍によって行われていたワシントンD.C.の海軍調査学校(Naval Intelligence School )での外国語教育は、1963年に国防外国語プログラム(Defense Foreign Language Program)に統合された。国防省語学学校本部がワシントンD.C.に新たに設立され、元陸軍語学学校校長のジェームズ・L・コリンズ・ジュニアが初代学部長に就任した。陸軍語学学校は国防総省語学学校の西海岸支部(East Coast Branch)に、海軍調査学校の外国語部は東海岸支部(East Coast Branch)にそれぞれ改編された。大学との契約プログラムは、順次、廃止された。また、テキサス州ラックランド空軍基地の英語学校も国防総省語学学校に統合され、国防総省語学学校英語センター(DLI English Language Center, DLIELC)に改編された。 ベトナム戦争(1965〜73年)のピーク時には、国防総省語学学校における語学教育の必要性も増大した。通常の語学訓練を継続しつつ、20,000人以上の隊員に対するベトナム語の訓練が行われた。その多くは、軍事顧問団の「サバイバル」課程における8週間の特別訓練として実施された。1966年から1973年にかけては、テキサス州フォート・ブリス近郊のブリッグス空軍基地において、契約インストラクターを活用したベトナム支部の運営も行われた(後に、国防総省語学学校南西支部と命名された)。ベトナム語教育は、2004年まで続けられた。
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